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視点・論点 「働き方改革の基本路線」

労働政策研究・研修機構 主席統括研究員 濱口桂一郎
 
 昨年6月に閣議決定された『「日本再興戦略」改訂2014』では、女性の活躍推進と働き方改革を旗印に、雇用制度改革に向けたさまざまな方針を打ち出しています。しかし、その後の動きを見ると、それを支持する側も反対する側も、どこにどういう問題があり、何をどのように変えていかなければならないかという肝心な点について、的確な理解がされていないのではないかと感じられます。その最大の問題は、賛成側も反対側も、雇用制度改革を「規制緩和」だと思い込んでいる点にあります。前者は、日本の労働法が硬直的なために自由な働き方ができず、女性が活躍できないと考えているようですし、後者はその労働法を柔軟化することが長時間労働をもたらし女性の活躍を阻害すると信じているようです。しかし、どちらも間違いです。

 現在の日本の労働法制は、企業が労働者を自由に働かせたいと思えば、それを阻害するような要素はほとんどありません。世界的に見れば極めて規制緩和されてしまっているのが実情です。しかし、それは戦後70年間かけて、労使が作り上げてきた日本型雇用システムの一環なのです。欧米では、労働者は原則として、職務、労働時間、勤務場所を限定して採用されます。いわゆる「ジョブ型」社会です。
従ってその職務が消失すれば解雇の最も正当な理由になります。
それに対して日本では、労働者が会社の一員になる「メンバーシップ型」社会なので、職務も労働時間も勤務場所も無限定が原則であり、それゆえその職務がなくなっても社内に別の仕事がある限り解雇されないのが原則です。逆に、時間外労働や配転を拒否するような労働者は懲戒解雇することが、最高裁の判例によって認められています。
 妻子を養う成人男性のみを前提とすれば、このようなモデルにも合理性がありました。深夜まで働いて残業代を稼ぎ、時には単身赴任も厭わず、その代わり経営が苦しくなっても解雇されずに家族の生活費をまかなうことができるというのは、悪い話ではなかったのです。しかし、かつては結婚退職するのが常識だった女性たちが、子供を育てながら働くのが普通の社会になってくると、このモデルはあらゆる方面に矛盾を生み出していきます。正社員女性は男性並みの無限定な働き方を要求され、それができなければ非正規労働を余儀なくされていきます。ワークライフバランスというスローガンの下で育児休業や短時間勤務をする女性は増えましたが、男性の無限定な働き方は変わらないため、マミートラックと言われるような別コースに集められてしまいます。そしてその分、数少なくなった男性と子供のいない女性たちの労働負荷がますます高まるという矛盾が生じているのです。

 問題の根源は、国家による法規制ではなく企業の雇用慣行にあります。労働基準法では1日8時間、週40時間を超えて働かせてはならないことになっているのに、それは完全に空洞化して、無限定に働くことが原則となり、逆に育児や介護の責任がある場合にだけ、夜勤や残業を免除して貰える権利があるという仕組みになってしまっているのです。ところが、いわゆる規制緩和派は、ここを完全に取り違えて、労働基準法の労働時間規制を緩和すればもっと自由に働くことができると主張します。ウソです。
労働基準法の労働時間規制を緩和するというのは、もっと長く働かせてもいいという以上の意味は持ち得ません。長時間労働できるようになれば仕事と育児が両立するなどと本気で思っている人がいるのでしょうか。
 一方、規制緩和に反対する人々の議論も虚構に満ちています。なぜなら、物理的な労働時間規制という点でみる限り、日本は既にこれ以上ないくらい緩和されているからです。現に労災保険の過労死認定基準を超える年間1000時間といった時間外労働協定も少なくありません。しかし、規制緩和反対論は、例外的に規制されている残業代という賃金規制を維持することに精力を集中しているようです。労働時間に超えてはならない上限を設定しようという考え方には、経営側だけでなく労働側も積極的ではありません。とりわけ、産業別組合や企業別組合など現場に近いところほど、そういう感覚が強いようです。無限定に働く男性正社員を前提とする発想が労使双方に強固に残る中、残業代というお金の話だけが議論の焦点になるのが日本の現状なのです。
 ようやくごく最近になって、仕事内容自体は決して補助的ではなく、むしろ基幹的、専門的な仕事でありながら、職務や時間、空間が限定的な働き方が論じられるようになりました。「限定正社員」とか「ジョブ型正社員」と呼ばれるものです。しかしなお今までの伝統的な意識が非常に強いために、反対の声が絶えません。無限定正社員がデフォルトルールになっているため、多様な働き方というものが落ちこぼれ扱いされてしまうのです。

 過去20年間、働き方の多様化が繰り返し論じられてきましたが、それらは全て片面的多様化でした。
片面的というのは、職務も時間も空間も無限定な就労義務と、それを前提とする長期の雇用保障、年功的な処遇に特徴付けられる、メンバーシップ型の正社員モデルを当然のデフォルトとし、そこから、義務もこれだけ少ない、それゆえ保障もこれだけ少ないというように、削る方向にのみ多様化を考えてきたということです。したがって、働き方の多様化というのはすべて下方への逸脱というふうに見られがちでした。
 そのため、限定正社員とかジョブ型正社員というと、すぐに「解雇しやすいジョブ型正社員反対」というふうな反対論が必ず吹き出してきます。これは、無限定な働き方をデフォルトとする考え方をみんなが共有しているからそうなるのです。しかし、日本以外の社会においては、基本的に職務も時間も空間も限定されている無期契約労働者、つまりジョブ型の正社員がデフォルトモデルであって、そこから両側に多様化していくというのが、働き方の多様化です。
 先に申し上げたように、問題の根源は法規制より雇用慣行にあるのであれば、その慣行改革に必要なものは、既に空洞化している規制のさらなる緩和などではなく、むしろ空洞化している規制を実質的に強化することではないでしょうか。
 例えば、労働者のデフォルトモデルは限定正社員とし、無限定な働き方を希望する者は、そこから上方に逸脱するというふうにルールを決めるということも実はあり得るわけです。むしろ欧米社会はそれがごく普通の在り方です。たとえば、EUの労働時間指令では、原則としては時間外を含めて1週間の労働時間には48時間という上限があります。しかしそれを超えて働いてもいいという人は、個人ベースでこれを適用除外することができます。もっとも、そういう人でも、週1回の休日と1日11時間の休息時間は守らなければなりませんので、週労働時間の絶対上限は78時間になります。
 残念ながら、現在までのところ、規制改革をとなえる方々も、それに猛烈に反対する方々も、限定正社員を原則のモデルと考えるという発想には猛反対のようです。ここに雇用慣行の根強さというものが表れています。
 女性の活躍を推進するための働き方改革とは、法規制の緩和ではなく雇用慣行の改革であり、そのために必要なのはむしろ法規制の強化である、というこの逆説を、関係者たちがどこまで痛切に理解することができるかに、働き方改革の正否がかかっていると言ってもよいでしょう。
 

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