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視点・論点 「フリースクールなどに国の支援を」

NPO法人フリースクール全国ネットワーク 代表理事 奥地圭子
 
2月12日、国会の施政方針演説の中で、安倍総理は、20歳の娘を持つあるお母さんからの手紙を読まれました。娘さんは、中一で不登校になったもののフリースクールとの出会いによって自信を取り戻し、就職活動にチャレンジしていると述べられており、「多様な学び、多様な生き方を受け入れ認め合う社会を目指す日本であってほしい。ちっぽけな母親の願いです。」と結ばれていました。安倍総理は「当然の願いであります。子どもたちの誰もが、自信を持って学び、成長できる環境をつくる責任があります。」「フリースクール等での多様な学びを国として支援してまいります。」と述べました。
これは、どういうことなのだろうか、と思っておられる視聴者の方々もいらっしゃるかも知れません。

フリースクールとは、学校制度外の子どもの居場所、学び場、活動の場であり、主として不登校の小・中・高校生が活用しています。学習塾と異なるのは、学習塾が放課後や土日に教科学習を中心に扱う機関であるのに対し、フリースクールは朝から夕方まで、平日に開いており、教科学習のみでなく、料理や音楽、スポーツ、遊びやイベントなど様々な活動に取り組んでいます。たいていは、子どものミーティングで話し合って決め、その子の個性やペースを尊重し、幅広い成長支援をしています。
日本のフリースクール誕生の背景には、登校拒否・不登校の激増という背景があります。文科省が毎年発表する小中学生の不登校数は、70年代半ばより増加の一途をたどり、2000年代に入ってからは、約12万人台の高止まり状態で微減、微増しております。
 
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学校に行けない、行かない原因は、いじめ、その他さまざまですが、その子にとっては学校と距離をとるにいたる何らかの状況があり、無理に学校に行かせようとすることは、やってみたらわかりますが、本人を苦しめ、追い詰めるだけで、よい結果にはつながりません。
人が育つのは、学校だけではありません。私たちは、多くの不登校を経験している子どもたちが、フリースクールで安心して過ごし、友達づくりや学習、様々な体験をして、自分らしく育ち、進学や就労など自立への道を歩む姿をたくさん見てきました。フリースクールは、学校が合わない、また学校が苦しい結果、学び育つ場所を失った子どもたちに居場所、学び場を市民・民間で提供し、学ぶ権利を保障する営みである、といえます。
こういったフリースクールは、80年代の半ばから増え始め、日本には300~400はあるだろうといわれています。学校制度への橋渡しとして、92年からフリースクールへの出席は学校の出席日数に認められ、93年から通学定期券で安く通うことも可能となっています。
しかしながら、フリースクールは、社会にとって大切な役割を担ってきたにもかかわらず、公的な支援がありません。経営的には、とても大変で、大部分は保護者の支払う会費により運営していますが、助成金を見つけたり、寄付をお願いしたりして回しています。小規模なフリースクールが多く、通いやすい良さがありますが、経営が安定しにくく、教育費に充分回せません。スタッフの給与も低く、安心して継続的に働くためには、待遇改善がなされる必要があります。
最近は貧困の問題も避けて通れません。不登校の子の保護者にとって、ここなら行きたいと子どもがいうフリースクールに何とか通わせたい。相当な無理をするか、かわいそうでもあきらめさせる。生活保護家庭はフリースクールに通うなら生保を打ち切ります、といわれるのです。
そこですべての子どもの学ぶ権利を保障するためには、学校以外で学ぶ子に公的支援を行う仕組みを作る必要があります。
すべてに、というのは、フリースクールだけをさすのでありません。公教育とは内容や手法が異なるシュタイナー教育やサドベリー、フレネ、手法だけでなく言語や文化なども異なるインターナショナルスクールや外国人学校、学校ではなく自宅で学び育つホームエデュケーションなど、学校教育法第一条にある学校以外で育っている全ての子が、公的に支援され安心して育つことができるように、という意味も込めて申し上げています。
さらに、財政支援だけでなく、二重籍の問題も検討されねばなりません。現在フリースクールに入会しても、親の就学義務との関係から学校の籍を抜けません。進級卒業の裁量権は、子どもが行っていない学校の校長にあります。そのため、学校長が子どもの状況をよく理解せずに、無理な卒業条件をつきつけるなど、時にややこしい問題になります。
また、自己肯定感の問題も考えられねばなりません。学校教育一本の現状では、学校に行けない自分はダメ人間と感じて苦しみます。フリースクールは、ダメな子の行く所という世間の偏見もいまだあります。学校一本ではなく、多様な学び、多様な育ちができる仕組みにし、選択肢を選ぶというかたちにしていければ、子どもは主体的に感じ、社会の価値観も変わっていくでしょう。
このように、国のフリースクール支援は、ぜひ必要なのですが、支援の在り方は慎重に検討されなくてはなりません。というのも税金投入の対象ですから、どんな所にも出す、というわけにはいきません。しかし、フリースクール等は多様であり、その独自性が担保され、子どもが自分に合った選択ができるようにするにはどうしたらいいか、という課題があります。支援はほしいけれど、そのためには行政の干渉が強まり、フリースクールのよさが失われるのではないかという心配も生じています。
いや、そもそも、フリースクールという機関にお金を出すのか、学校以外でやっている子どもとその親に出すのか、という点での検討も行われなくてはなりません。前者の場合、憲法89条の「公の支配」との関係、後者の場合、家庭に出して親の酒代に消えたりするのをどう防ぐのだ、という議論もあります。
また、二重籍問題や子どもの自己否定感の問題を解消して行くには、学校教育と対等に多様な学びのありかたを選択でき、自立する上でも不利にならないしくみをしっかりとつくるために、新しい法律がいるのではないか、という指摘もあります。
1月30日には文部科学省のもとで「フリースクール等に関する検討会議」が新たに設けられました。ここでは、フリースクールなどの支援のあり方について、具体策が話し合われています。私は、幸いにもこの会議の委員に選任され、現場の声を直接、国の会議に反映させることができることになり、喜んでいると同時に、責任の大きさも痛感しています。
学校外の学びかた、育ちかたを認める事は大きな変化ですから、様々な課題をはらんでいますが、日本で暮らすすべての子どもが、安心し、自信を持ち、笑顔で学び成長していける社会を目指して、支援の在り方がよく検討されることを心より望んでいます。  
 

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