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ジャーナリスト・映画監督 綿井健陽
 
私は2003年3月の開戦直前から、イラク戦争の取材をこれまで続けてきました。
今年の3月で開戦から11年目を迎えたわけですが、いまなおイラク国内は、イスラム教シーア派とスンニ派の宗派抗争、爆弾テロ、武装組織による襲撃が続いています。そして、今年に入ってからはあの「イスラム国」と名乗る組織が勢力を拡大して、米軍によるイラク空爆も再び行われました。開戦以来のイラク人市民の死者数は、正確な統計はありません。しかし、少なくとも10万人以上に上ると言われています。今年1年だけでも、爆弾テロや対立による死者は1万5000人を超えました。

そんな中で私は今年10月、『イラク チグリスに浮かぶ平和』というタイトルのドキュメンタリー映画を完成させ、各地で上映しています。イラク戦争の取材でこれまで出会った人たちが、この10年という月日をどう生き抜いてきたのか、彼らは何を見て、どんなことを思い続けてきたのか―。それを描きたいと思い、開戦から10年目を迎えた昨年の2013年3月、イラクの首都バグダッドに入りました。
その中で、どうしても再会したい一人のイラク人男性がいました。それがこの映画の主人公アリ・サクバンです。
 
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彼は、1972年生まれで、私よりも一つ年下なのですが、彼は私にとって、いわばイラクの「最初の人」でした。彼との出会いからイラク戦争の本当の取材が始まった、と言っても過言ではありません。ずっと撮影してきた彼と久しぶりに再会することが、この映画の最初のシーンとなり、彼と彼の家族の「その後」が、イラク戦争の「その後」を描く軸にもなると思っていました。

2003年4月に米軍がバグダッドを制圧した翌日、市内北部の病院を訪れたとき、彼は血だらけのシャツで5歳の娘シャハッドを抱きかかえていました。米軍の空爆は市内を制圧した翌日もまだ続いていたのです。
 
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泣き叫びながら、カメラに向かって訴える彼の姿を撮影することに必死だった私は、1週間後に病院を再び訪れてカルテを調べました。そこには「シャハッド 死亡」と記録されていました。そして、彼の7歳と3歳になる子どもたちも、同じ日に亡くなっていたのです。
私はバグダッド市内北部のアリの自宅を訪ねました。彼の自宅は空爆によって半壊して、瓦礫の中で茫然と立ち尽くしていました。しかし、彼の一家はこのイラク戦争だけの被害ではなかったのです。80年代のイラン・イラク戦争で、アリの兄2人が徴兵されて戦死、叔父2人も死亡していました。1990年にイラクがクウェート侵攻した当時、彼は18歳になってイラク軍に徴兵されたばかりで、クウェート侵攻部隊に入れられました。アメリカ軍の投降を呼びかけるビラを見て、彼は部隊を離れてイラクに戻ります。そして、イラク戦争では3人の子どもたちを米軍の空爆で失いました。そんな中で、唯一生き残った子どもが、当時7歳の長女ゴフランでした。
私は、戦争に翻弄された彼の人生と家族を追うことで、戦火の国で暮らす人たちの大きな実像や人々の心情が見えてくると思いました。彼のその後を多くの人に知ってほしいと思って、この10年間、何度も彼の撮影を続けたのです。イラク戦争開戦から1年後の2004年には、次女のファティマも生まれました。
 
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アリは、「この子は亡くなったシャハッドにそっくりだ」と語っていました。2006年から07年にかけて、イラクの治安状況は宗派抗争で悪化する一方でしたが、彼の家族は何とか生活を続けていました。
しかし、そんな私の水先案内人とも言えるアリ・サクバンが、2008年に殺害されます。武装組織とみられる男たちからの銃撃でした。彼の弟もその2年前に同じく銃撃で殺害されています。私はアリが亡くなっていたことを、昨年バグダッドに入ってようやく知りました。彼が目の前からいなくなり、自分のイラク戦争取材のすべてが終わったようにも感じました。

私はイラクで過去10年間、生きている人も、死んでいる人も、できる限り撮りました。喜んで撮影を受け入れてくれた人もいれば、拒まれた人たちも数多くいます。いつもビデオカメラで撮影してきました。それ以外には一切何もありません。
アリのこれまでの人生や生活や言葉を思い返すことで、もう一度イラク戦争を問い直すことはできないか?彼の遺された家族たちの「その後」を描くことで、イラク戦争が何であったかをもう一度考え直すことはできないだろうか?アリが亡くなった後の5年もの空白は、絶対に埋められないと悟りつつも、少しでもやれることがあるとすれば何か……。それはこれまでと同じく、撮影することしかないと覚悟を決めました。
 
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アリの自宅を訪れると、年老いたアリの両親だけが暮らしていました。
アリの死後、妻と子どもたちは彼女の実家へ戻ったというのです。10年前までは息子や孫たちの声がいつも聞こえていた家は、アリの父親の礼拝と鳥が鳴く声だけがかすかに聞こえてくる寂しい空間になっていました。アリ・サクバン一家は、家族の遺影だけが増え続け、戦乱によって崩壊したのです。
 
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映画のエンディングシーンには、バグダッドを流れるチグリス川の光景をバックに、アリ・サクバンのモノローグが聞こえてきます。

「イランとの戦争も湾岸戦争も、今回のアメリカとの戦争も、何の意味もない。何の意味も理由も大義もない」
「私にとってもイラクにとっても、これが最後の戦争であってほしい」
「時代はどんどん悪くなるかもしれない。それでも日々はつづいていく」。

この声は、2003年に収録したアリ・サクバンの声です。しかし、これは決して彼だけの声ではありません。彼の両親の声、子どもたちの声、あるいは他のイラク人たちの声。この声は、イラクの人たち誰もの願い、あるいは悔い、嘆きのように聞こえてきます。この映画の物語は、いまを生きるイラクの人々につながっているのです。
「それでも日々はつづいていく」と語っていたアリ・サクバンでしたが、残念ながら彼自身の人生の日々はつづきませんでした。彼の願いは届かず、そして多くのイラク人たちの人生もまた、つづかなかったのです。
そのつづかなさ、その届かなさ。
そこにイラク戦争がもたらした結果と傷跡が刻まれています。
生と死を隔てる塀の上を歩くような日々。イラクの人たちがこの10年間に描いた平和も、自由も、夢も、希望も、チグリスの川の流れの向こうに、浮かんでは消えていきました。
日本にとってのイラク戦争は、当時の小泉純一郎政権の支持表明、自衛隊派遣、在日米軍基地の協力など、日本が深く関わった戦争でした。しかし、多くの日本人にとっては「遠い戦争」と感じたでしょう。この映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』のアリ・サクバン家族の人生や家族の姿を通じて、イラク戦争がイラクの人々に何をもたらしたのか、もう一度問い返してほしいと願っています。

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