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滋賀県立琵琶湖博物館 専門学芸員 里口保文
 
人の生活にとって水は欠かせないものですが、そういった真水は川や湖などから供給されています。
近畿地方の人びとにとって、水不足で悩むことが少ないのは、滋賀県の中央にある日本一広い湖であるびわ湖の存在が大きいといえます。

 
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びわ湖といえば、高度成長期の頃には、水質悪化の問題やそこから起こった石けん運動などの市民団体による活動、また近年では外来種の問題などで社会的な注目をあびることがありました。
そういった問題がでてくるのは、それだけ人間活動と密接に関係しているからだといえます。
他の地域でいえば、茨城県にある霞ヶ浦などもその一例でしょう。
びわ湖と人間活動との関係は、2万年前頃からあったことが周辺の遺跡調査からわかっています。
 
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遺跡からはびわ湖の魚介をとっていたことをうかがわせる資料や、丸木舟といった湖へ出かけていたことが考えられるようなものも見つかっています。また、周辺地域では、縄文時代草創期のおよそ1万3千年前という、日本で最古級の土偶が見つかっているなど、びわ湖の周りで古くから、人びとの活動があったことが知られています。
2万年というと人間にとってはとんでもなく古い話ではありますが、自然の時間はもっと長いスケールで、びわ湖の周りに人が住み始めるよりも、もっと以前にびわ湖は誕生しています。
びわ湖がかなり古くからあったことは、びわ湖にいる生き物からも推察されます。
 
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びわ湖には、地球上にここだけにしかいない生き物、いわゆる固有種とよばれる、ニゴロブナや、体長が1mを超すビワコオオナマズなどがいます。ニゴロブナは、滋賀県周辺で食されているフナズシに使われるなど、固有種が人の食文化にも影響を与えていたことがわかります。
魚以外にも、貝類やプランクトンなどにもみられ、全部で50種類以上います。
このような固有種がいることは、びわ湖が古くから存在し、そこで固有の進化をとげたためだと考えられます。固有種を持つような湖のことを、古代湖といいます。古代湖は世界的に見ても珍しく、20例ほどが見つかっているにすぎません。日本では、びわ湖だけです。つまり、びわ湖は日本で一番広いだけではなく、一番古い湖だともいえます。
 
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一般に湖は数千年〜数万年でなくなると言われています。それは、湖には、水だけではなく、土砂もたまるために、長い時間をかければ次第に埋まってしまうからです。びわ湖は、現在の場所で今のように広い湖になったのがおよそ40万年前、その前の小さい湖の段階からだと100万年前、おいたちすべてでは400万年前からあると考えられています。通常の湖に比べると、桁違いに古いことがわかります。そういう長い生い立ちがあるからこそ、固有の生き物たちをはぐくむことができた、というわけです。
そのような長い生い立ちは、びわ湖や過去の湖とその周辺環境を埋めていった土砂でできている地層の研究によってわかりました。例えば、現在のように広い湖になったびわ湖の年代は、湖底にある250mもの厚い泥の地層の調査からです。また、その泥層の調査から、40万年間の世界的な気候変動の影響がびわ湖地域でもあったことが明らかにされています。
現在の場所でのびわ湖の生い立ちは100万年前からですが、びわ湖の生い立ちのすべてである400万年の大部分は、現在とは違う場所にありました。つまり、びわ湖は移動してきたようです。では、びわ湖の生い立ちとはどのようなものだったのでしょうか?400万年間を数分に縮めて説明しましょう。
 
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はじめの湖は、滋賀県にはなく、現在位置より南方の三重県伊賀市付近にありました。この当時の日本は大陸と地続きで、気候もかなり暖かかったと考えられています。
 
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大陸と陸続きであったことで、大陸にいた大型の動物が渡ってくるなど、大陸の生き物との関係が深かったようです。当時の動物は、体の高さが4mもあるような大型のゾウや、ワニ、サイなどの日本には生息していない動物がいたことが、産出する化石からわかっています。
 
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そこから百万年たった300万年前には、やや北へ移動し、三重県と滋賀県をまたぐ地域に広い湖が出来ます。当時の湖は、現在のびわ湖の2/3程度の大きさだったと考えられます。はじめの湖からこの当時までの湖から流出する水は、現在の伊勢湾方向へ流れていたと考えられています。現在のように大阪方向へ川が流れ出すのはこのあとの、約250万年前頃からだと考えられます。つまり、湖の位置だけでなく、川の流れる方向も現在とは全く違うものでした。
その当時から、徐々に安定した広い湖はなくなっていき、小さな沼が点在する河川が卓越する平野が広がっていきました。当時の水系が、岐阜県北部から大阪を経て淡路島付近までつながっていたことが、約175万年前の北アルプス付近で起こった大規模な火山噴火と、その後に起こった土石流によってできた火山灰層の調査から明らかにされています。
そのような、広い湖がない時代を経て、100万年ほど前に現在のびわ湖南部地域に湖ができはじめました。
 
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この当時のびわ湖北部の状況は、まだ山が連なっているという状態で、平野にもなっていなかったようです。その山地は、地盤の沈降によって低くなり、谷は土砂によって埋められ、湖ができる広い土地ができあがりました。
 
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現在のびわ湖でも、過去の山の連なりをイメージできるものが、びわ湖にうかぶように見える竹生島や沖島といった島として見ることができます。これらは、昔の山の頂上の名残です。
 
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地盤の沈降は、地震を起こす断層の運動によるものです。現在のびわ湖の地形を南からみた東西断面でみてみると、図のようなイメージになります。西側に断層あり、その断層が動くために、びわ湖の地盤が沈みます。東側はそれに引きずられるようにして地盤が沈むので、西側が深く、東側が浅いという現在のびわ湖湖底の地形ができます。現在のびわ湖が長く安定した湖であるのは、西側にある断層が活発であることによるものです。
びわ湖の移動という場所の変化は、このような活発に動く断層のできる場所が、時代によって北へ変わってきたことによるものです。
びわ湖は古くから人びとに利用され、現在も近畿地方の人びとにとっては重要な水源となっていますが、長い生い立ちによって、特有の生態系を維持してきたことなど、自然という側面からも希有な存在であるといえるでしょう。
現在の私たちが暮らす環境は、そういった自然の長い時間をかけた変化によって得られた結果です。そのことは、私たちの暮らしている環境がどのような場所であるのかを考えるヒントになるでしょう。
 

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