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東京藝術大学大学美術館准教授 古田 亮
 
 明治の文豪、夏目漱石と言えば『坊っちゃん』や『心』といった小説がよく知られています。今年は、『心』の刊行からちょうど100年を迎えますが、漱石文学は世代を超えて読み継がれ、色あせるどころか益々多様な読み方がなされているように思われます。興味深いことに、漱石文学には古今東西の美術作品、画家、彫刻家たちが登場します。漱石と美術との関係は意外に深く、また複雑ですが、文学における絵画イメージの役割を考えるうえで、漱石文学ほど魅力的なものはほかにありません。

では、いくつかの小説を取り上げて、漱石と美術との関係を紐解いていくことにしましょう。明治41年に発表された『三四郎』では、多くの画家や絵画作品が登場するのですが、何よりも、小説のひとつひとつの場面がまるで絵画のような視覚イメージを伴っていることや、「森の女」という油絵が完成するまでを描くストーリー展開をふくめて、まさに絵画小説と呼ぶに相応しい作品となっています。
 東京に出てきた大学生小川三四郎は、美禰子という女性に出会い、魅了されていきます。漱石は、美禰子の容姿を伝えるにあたって、フランスの画家ジャン=バティスト・グルーズの描く少女のように「ヴォラプチュアス」である、つまり官能的であると表現しました。

【グルーズ 少女】
 日本ではさほど有名ではないこの画家の作品は、当時も現在も、一般の読者にはイメージできないと思われます。しかし、漱石は、おそらくロンドン留学中に実際に見たグルーズ作品の、甘く訴える少女の表情が忘れがたく、その記憶を小説のなかで蘇らせたものと思われます。もうひとつ、男を虜にする魔性の女としての美禰子を暗示させるのにも絵画イメージが使われています。三四郎と美禰子が画集の中に人魚の絵を見つける場面です。
その一節を読みましょう。

【ウォーターハウス 人魚】
「一寸御覧なさい」と美禰子が小さな声で云ふ。三四郎は及び腰になつて、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪(あたま)で香水の匂がする。 
 画はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になつて、魚の胴が、ぐるりと腰を廻つて、向ふ側に尾だけ出てゐる。女は長い髪を櫛で梳きながら、梳き余つたのを手に受けながら、此方を向いてゐる。背景は広い海である。
「人魚(マーメイド)」
「人魚(マーメイド)」
頭を擦り付けた二人は同じ事をさゝやいだ。(『三四郎』「四の十四」)

 漱石は、明らかにウォーターハウスの描いた《人魚》を想定して、この場面を描いています。人魚は、19世紀末の美術や文学では「ファム・ファタル」つまり、男を虜にしてしまう運命の女、魔性の女と結びつくイメージでした。
このように、美禰子のイメージを想像させながら、漱石は、原口という洋画家が美禰子をモデルに、「森の女」という題名の油絵を描いていくというストーリーを展開させました。

【黒田清輝 湖畔】
 画家の原口とは、その風貌、画風から当時の洋画壇を牽引していた黒田清輝を思わせます。そうだとすれば、美禰子が池のほとりで団扇をかざしている「森の女」の構図とは、おのずと黒田の代表作である《湖畔》を想像させることになります。当時の洋画壇を代表する黒田の画風が、『三四郎』という小説の絵画イメージをかたちづくっているのです。

 一方、明治39年に書かれた『草枕』は、『三四郎』と違って、これといったドラマが展開するわけではありませんが、主人公である画家が那美さんという女性をどうしたら絵に描けるか自問自答する内容で、そこに漱石なりの芸術論を読み取ることができます。
 那美さんを描こうとする画家の脳裏に浮かんだのは、19世紀イギリスのラファエル前派の画家、ジョン・エヴァレット・ミレイが描いた《オフィーリア》でした。

【ジョン・エヴァレット・ミレイ オフィーリア 1851−52年】
 水に浮かんだまま、あるいは水に沈んだまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有り様は美的である。だからこれは絵になるのだ、と画家は気づきます。
ミレイの《オフィーリア》は成功したかもしれないが、那美さんにはどんな表情をさせればよいか。画家は悩みます。「平和」でもなく「苦悶」でもない、感情を超越した美の世界こそ漱石の理想でしたが、最後に画家が那美さんに見出した表情は「憐れ」でした。

「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云つた。余が胸中の画面は此咄嗟の際に成就したのである。(『草枕』「十三」)

 この最後の一文を読めば明らかなように、『草枕』という作品は《オフィーリア》のような絵を描くための画家の心理を綴った絵画小説である、ということができるでしょう。最終的に絵の成就に向かうという作品構造は『三四郎』との共通性がありますが、『草枕』では実際に那美さんの絵を描くことは問題とされず、心のなかに美を成就させることを主題としています。
 ところで、『草枕』には、《オフィーリア》だけではなく多くの絵画イメージが登場します。まず、峠の茶屋で出会う婆さんの顔が、長沢盧雪の「山姥の図」に似ているといい、旅館の床の間には伊藤若冲の鶴の絵が掛けられていました。
その場面にはこう書かれています。

【伊藤若冲 梅に鶴】
若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立つた上に、卵形の胴がふわつと乗かつている様子は、甚だ吾意を得て、飄逸の趣は、長い嘴のさきまで籠つている。(『草枕』三)

 何気ない小道具の細部にまで具体的なイメージを潜ませていることがわかります。若冲については、このほかに『硝子戸の中』や短編『一夜』でも登場するなど、漱石のお気に入りの画家のひとりと言ってもよいのですが、当時、若冲は今のように世間的に評価の高い画家ではありませんでした。このように、漱石文学では世間の評価や人気からではなく、漱石独自の視点によって取り上げられた画家たちも少なくありません。 

 有名な『心』という作品では、小説の最後の場面で、効果的に絵画イメージが使われています。自叙伝を遺すために自殺を日延べした「先生」が、ふと、渡辺崋山が「邯鄲という絵」を描くために死期を一週間繰り延べた、と語る場面です。

【渡辺崋山 黄粱一炊図】
 「邯鄲という絵」とは、実際に蟄居中の崋山が自刃する直前に描いたとされる《黄粱一炊図》のことです。
題材は邯鄲の夢ともいわれる中国の故事で、唐の時代にある青年が志を抱いて都に上る途中、邯鄲というところで呂翁という老人に会います。呂翁に借りた枕で寝ると、青年は一生の夢を見るのですが、起きてみるとまだ粟が炊きあがらない束の間の時間でした。

 『心』では、内容や構成において絵画との関連がほとんど感じられないにもかかわらず、最後の場面で小説全体のテーマとも重なり合う絵画イメージが導入されました。これは単なる偶然や思いつきではないでしょう。『草枕』『三四郎』をはじめ、『倫敦塔』『虞美人草』『夢十夜』『それから』『行人』といった諸作品を美術との関係で読み直したときに、そこには共通する絵画イメージの使われ方が見出せるからです。漱石にとって、絵画とは見るものであると同時に読むものであり、文学の中で読まれるイメージでもあったのです。

 漱石が小説のなかに潜ませたさまざまなイメージを思い浮かべることができれば、漱石文学の鑑賞と読解に新たな一面を加えることができるのではないでしょうか。

 

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