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労働政策研究・研修機構主席統括研究員 濱口桂一郎
 
 2000年代に入ってから、労働問題の焦点は若者の雇用問題になりました。テレビでも若者に関する番組が多く放送され、その中には、中高年が既得権にしがみついていい目を見ているから、若者はその割を食ってひどい目に遭っているのだ、というような、煽情的な議論を展開するものもありました。
 意外に思われるかも知れませんが、日本で若者雇用が意識され、対策がとられるようになったのは2000年代になってからです。1990年代のバブル崩壊期に至るまで、日本では若者に固有の雇用問題など存在しないと認識され、それゆえ学卒者の世話以外に若者雇用対策も存在しなかったのです。一定年齢以上の人にとっては常識に類することですが、こうしたことが意外に知られておらず、知識として受け継がれていません。

 これは、欧米諸国の状況とはまったく異なるものでした。日本も欧米諸国も、1970年代に石油危機を被り、深刻な雇用問題が発生した点では共通ですが、労働市場で不利益を被った年齢層は対照的でした。日本では人件費の高い中高年労働者の排出が進み、中高年失業者が大きな雇用問題になったのに対して、欧米諸国ではスキルの低い若者が就職できないまま失業者として滞留したのです。
 この原因は両者の雇用システムの違いにあります。欧米では、「仕事(ジョブ)」がまずあり、それにふさわしいスキルを持つ人を欠員補充で採用する「就職」が行われるのに対し、日本では、まず会社にふさわしい人を新卒一括採用で「入社」させた上で、適当な「仕事」をあてがい、実際に作業をさせながらスキルを習得させます。長期雇用慣行の中でスキルのない若者を採用して職場で教育訓練を行い、年功的処遇をしていく日本型雇用システムでは、若者にスキルがないことは採用の障害ではありません。むしろ、年功的処遇がもたらす中高年の人件費の高さが問題であり、そこに問題が集中したのです。
 1990年代以降「入社」のシステムが縮小する中で、そこからこぼれ落ちた若者たちがフリーターなど非正規労働者として滞留するようになって、ようやく若者雇用が政策課題になってきました。しかし、より正確に言えば、1990年代には若者だった就職氷河期世代が、2000年代に後輩たちに置いてけぼりにされるようになって、言い換えれば若者たちがもはや最も若い者ではなくなり、「年長フリーター」などと呼ばれるようになってはじめて、彼らは雇用問題の焦点になってきたのです。従って、それは若者雇用問題といっても、正確には「若い中高年」問題というべきものでした。
 もっとも、「雇用問題は中高年」といっても、その現れ方は欧米における若者雇用問題とはかなり異なっています。欧米の若者の問題は、まず何よりも仕事を遂行するためのスキルが乏しいことであり、それゆえにほとんど唯一の入口である欠員補充で「職」に就こうとしても、スキルの高い中高年にはじき出されてしまうため、失業や不安定雇用にとどまってしまう、というのがその構造です。
 それに対し、日本の雇用問題の中心である中高年問題とは、人件費が高くつくがゆえに、現に働いている企業から排出されやすく、排出されてしまったらなかなか再就職しにくいという問題です。ではなぜそうなるのか、といえば、ある種の「若者の味方」と称する論者が、これこそ中高年の既得権と批判してやまない年功的な人事処遇制度のために、企業にとって中高年を雇うことが割に合わないものになってしまうからです。ですから、企業はリストラをする際には、スキルの乏しい若者よりも、ある程度仕事をこなしてスキルが上がっているはずの中高年をターゲットにしたがるわけです。
 運のいい中高年はリストラされずに年功制で高い処遇を受け続けることができるのに、運悪くそこからこぼれ落ちた中高年は、なまじ前の会社でそれなりのいい処遇を受けていればいるほど、同じような処遇で再就職することは極めて困難にならざるを得ないのです。
 この構造は、運のいい若者と運の悪い若者の関係とよく似ています。運のいい若者はスキルなどなくても、いやむしろ下手なスキルなどない方が喜ばれて企業に新卒で「入社」できるのに、運悪くそこからこぼれ落ちてしまった若者は、「入社」できなかったこと自体がスティグマとしてつきまとい、なかなか這い上がることができなくなるのです。一言でいえば、若者であれ中高年であれ、「得」だからこそそこからこぼれ落ちると「損」する構造です。従って、運悪くこぼれ落ちた者が著しく不利益を被ってしまうような構造自体に着目し、その人々の再挑戦がやりやすくなるためには何をどのようにしていったらいいのか、という構造的な観点が不可欠です。

 さて、このように対照的な欧米と日本ですが、現に進行しかつこれからさらに進展していく人口の高齢化に対して、雇用と社会保障の全面にわたって対応していかなければならないという課題では、まったく共通の土俵の上に立っています。そして、それに対する回答も、既に繰り返し語られています。すなわち、経済協力開発機構(OECD)が2006年にまとめた報告書のタイトルにあるように、“Live Longer, Work Longer”(長く生き、長く働く)というのが責任ある唯一の答えです。
 寿命が延びていくのに、高齢者を早く引退させて、減っていく現役世代の負担を重くしていくなどというばかげた政策は、もはやどの国もとることはできません。これは、1970年代から1980年代にかけて若者のためと思って早期引退促進政策という政策をとってきてしまったヨーロッパ諸国ではとりわけ深く政策担当者たちの心に刻まれていることですが、その失敗経験がない日本でも、「他人の経験」としてきちんと学ばれる必要があります。
 経済的に見れば、増えていく高齢者の生活を誰がまかなうのか、自分で働いてもらい、自分で稼いだお金で自分の生活をまかなってもらうのか、それとも高齢者には引退してもらい、その生活にかかる費用は現役世代が稼いだお金で面倒を見るのか、という二者択一です。高齢者の雇用を進めると若者の職が奪われるなどと煽情的に語り、無用な世代対立を煽りたがる一部の評論家諸氏は、高齢者を働かせないでおいて、どうやってその生計を維持するつもりなのでしょうか。その多くは、同時に老齢年金に対しても異常な敵意を示し、若者から保険料として徴収したお金を高齢者に移転することも批判しています。
 労働所得も年金所得もなければ、高齢者は生活保護に頼るしかありません。生活保護の原資は税金ですから、これもまた経済的には現役世代からの移転です。しかも、年金と違って、ほかにどうしようもないときの最後の手段と位置づけられていますから、高齢者にとってはよりつらい状況になります。わざわざそういうやり方を選ばなければならない理由は何もありません。
 高齢者をめぐる雇用と社会保障の関係は、世界的にはもはや誰も疑問を呈する人がいないくらい一致した結論が出ている政策なのですが、なぜか2000年代以降の日本では、近視眼的な議論が横行するという言葉の真の意味でのガラパゴス状態が続いています。そういうガラパゴス評論家にまず退場してもらうことが、日本の言論を健全化するための第一歩と言えるでしょう。

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