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北里大学大学院教授 高田史男
 
昨年5月、アメリカの有名女優、アンジェリーナ・ジョリーさんが、自分が受けた遺伝性乳癌の遺伝子検査の結果に基づき、未発症の健康な乳房を切除した事実を自ら公表しました。これをメディアが取り上げ世界中で遺伝子検査が話題となりました。また日本ではそれを半年ほど遡る2012年の秋に入る頃から、妊婦の羊水ではなく血液を採るだけで、そのDNAを調べて胎児がダウン症候群などの染色体異常を持っている可能性を予測する、いわゆる新型出生前検査も話題となりました。いずれも近年の遺伝医学の急速な進歩と遺伝医療の普及が推進力となってもたらしたものです。
「発病する前に知る」、「生む前に知る」・・・、この「前に知る」つまり「未来を知る」という事を可能にする技術の出現は、「知りたい」という本能を持った人類という種にとっては抗えない魅力を持っています。
ヒトはその欲求に耐えきれず、「取りあえず知りたい」と言います。確かに、知る事で将来を予測し、自らの生活、人生に役立てる事が出来る、という良い面はあります。しかし一方で、一旦知ったら後戻りできなくなるという事に気付かないままに知ってしまい、知った事で抱え込む事になる苦悩や焦燥感、絶望や悲しみに苛まれ続ける事になる場合もあるのです。
「未来を知る技術」・・・、と云いましたが、遺伝子検査は本当にそんな技術なのでしょうか?
ここで少し考えてみたいと思います。

我々人類は、ヒト1人分の全遺伝情報、すなわち(ヒト)ゲノム情報を全て読み取ってしまおうという壮大な国際プロジェクト、ヒトゲノム計画を、2003年に完了しました。そして次の目標として、人類一人ひとりのヒトゲノム情報の個人差や多様性を明らかにし、それと現実の人間一人ひとりの個性、すなわち体質や病気のかかりやすさ、寿命と云ったものとの関連を明らかにしていこうというゴールを設定し動き始めています。
まだまだ始まったばかりではありますが、それでもこれまでに様々な事が明らかになり、そこからスピンアウトしてきた個別の成果の数々が、実際の医療現場で応用されるようになりつつあります。
その状況を踏まえ、これらを活用する医療、すなわち遺伝医療というものの過去・現在、未来について、少し図表を使って簡単に説明してみます。
 
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この、パーソナルゲノム医療というのは、患者一人ひとりの体質に合った医療を提供するというものです。人類はやっとこの扉を叩く所まで辿り着いたと言えます。

21世紀に入ってヒトゲノム計画が終わった頃より、ゲノム解析装置の劇的な進化が進み、世界中で数千台使って13年かかった一人分の全ゲノム解析が、その数年後には、たった1台で1日で解析できるまでになりました。この劇的な技術革新・イノベーションがあったればこそ、何十万人ないし百万人オーダーものゲノム情報を読み解き、その人達の遺伝情報と諸々の体質との相関を調べる研究、すなわちメガゲノムコホート研究を推進する事が可能になったのです。

ただ、ここで注意が必要なのは、先ほど述べたとおり、人間の健康や寿命、体質や能力といったものは遺伝情報のみで決まるものではないという点です。殆どのものは食生活や仕事のストレス、タバコやアルコールといった嗜好、運動、睡眠など、多数の環境要因が深く関与しています。遺伝だけで病気のリスクや寿命や体質、そして人間の能力などが決まるなどという事はありません。

しかしわが国では近年、たった1ヶ所ないし数ヶ所の遺伝子の多様性を調べるだけで、肥満や病気にかかりやすいなどの体質や、学習能力や運動能力、芸術のセンスなどといったものを調べるという検査が、医療ではなくビジネスの分野で急速にそのシェアを伸ばしつつあります。
 
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アメリカでは、90万ヶ所もの多様性を解析する遺伝子検査ビジネスが、1500万ヶ所中のたった90万ヶ所という事で信頼性に問題があると判断され昨年11月にFDAから営業停止命令を受けました。日本のこの1ヶ所ないし数カ所の多様性を見て体質を明らかにするという遺伝子検査ビジネスをどのように受け止めたら良いのでしょう?

ただ、残念ながらわが国には、こういったものの正邪を判断したり、規制をする法律がありません。日本人類遺伝学会や日本医学会は、これまでに遺伝子検査に関するガイドラインを作ったり、遺伝子検査ビジネスの危うさに対する警鐘を広く発し続けてきています。

残念ながらこのアカデミアからのアラートに対し、厚生労働省や消費者庁は抜本的具体的な対応は取っていません。経済産業省が2012年から委員会を立ち上げ、現状把握と対応策の模索に乗り出しています。が、諸外国のように遺伝子検査に関する法的規制を整備すると云った動きはなく、今のところ過去にも作った事のあるガイドラインの第2弾策定といったソフトロー行政で矛を収める可能性が高いと云われています。
わが国が他国と異なる特異な点は、遺伝子検査と云っても医療分野と事業分野、即ち所掌官庁の違いで異なった対応になっているという点です。縦割り行政の弊害と云えるでしょう。遺伝子検査のダブルスタンダード化は、医療従事者や事業者だけでなく、国民をも混乱に巻き込む可能性が高く、十分な配慮が必要と言えます。
 
以上を踏まえ、いくつかの切り口でまとめてみたいと思います。

【まとめ】
・ まず研究面ですが、全ての学問的基盤となるメガゲノムコホート研究の推進は必須で、そのための国を挙げての枠組み、整備がなされる事が必要です。
・ 医療面では、諸外国に比し圧倒的に遅れている遺伝医療面でのわが国の医療制度を見直すことが喫緊の課題です。たった30疾患しか認めていない遺伝子検査と遺伝カウンセリングの保険適応の範囲を、西欧諸国並みに千数百疾患に拡大することが肝要です。
・ 行政面では、縦割り行政の弊害を廃し、統一した規制の策定をおこなうこと。
・ 教育面では、現在の日本では実は遺伝教育がかなり遅れている現状があります。
> 初等中等教育で「ヒトの遺伝」がほとんど教えられていないという点が最大の問題であるのに、未だに「ヒトの遺伝」を教えると差別が起こるなどと言う人が居ますが、そういった幻想を捨てるべきで、教えないから差別が起こるのだ、という事を理解し理科、保健教育の再構築を早急に行う事が肝要です。
・ 横並びでないと悪とされてしまう悪習からの脱却、多様性を認める社会の実現、一人ひとり違うのが当たり前、遺伝差別や優生思想の発露の無い社会の実現のために、教育、医療、研究、行政が一丸となって取り組んでいく時期が来ています。
 

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