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法政大学講師 小泉吉永
 
 約1年前、1冊の和本がネットオークションに出品されました。
 商品名には「和本、江戸期教訓書、「親父の小ごと」一冊」とあり、江戸末期の嘉永板とのこと。写真を見ると「嘉永5年(西暦1852年)」の刊記が確認できました。
 「親父の小言」と言えば、「火は粗末にするな」「朝、機嫌をよくしろ」で始まるお馴染みの格言集です。
 皆さんも、居酒屋の湯呑みや蕎麦屋の箸袋、あるいは、観光地の土産物など、幾度となく目にした覚えがある事でしょう。
 その「親父の小言」とは恐らく別物だろうと思いましたが、同じ書名の出版物が江戸時代にもあった、この事実だけでも十分面白いと感じて入札し、運良く落札できました。

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 数日後に届いた原本を見ると、本文は全81カ条で、末尾に教訓の和歌2首を添え、最後に「嘉永5年」の年号と「施主、神田住」、つまり、江戸神田の住人が施しの為に出版したことを示す記載がありました。
 驚いたことに、本文冒頭は「火は粗末にするな」「朝、機嫌をよくしろ」という聞き慣れた文句。こうなると、今日流布する「親父の小言」とは、どこが同じで、どこが違うのか、そしてまた、江戸時代の文献がほかにもないのかが気になりました。

 まず第一に、現代と江戸の「小言」の違いです。現在の「小言」も箇条数や文言の異なるものが色々と出回っていますが、そのルーツは、昭和3年(1928)に書かれた45カ条です。それは、福島県浪江町の大聖寺──福島第一原発事故の影響で、現在は福島市内に避難中ですが、その大聖寺のご先祖の暁仙和尚が書かれた45カ条です。それを印刷して信者等に配布していたものが、いつしか地元の土産物となり、昭和30年代から一気に全国へと広がったそうです。
 ただし、その印刷物の最後に「親父生前中の言葉を思い出して書き並べました」と書かれており、45カ条は記憶にしたがって復元したものと言います。
 この昭和版の45カ条に対して嘉永板は81カ条ですから、例えば「子供の頭を打つな」「女房にだまされるな」「喧嘩をするな」など昭和版には欠落した箇条が数多くある一方、81カ条には45カ条の内容が全て含まれています。
 また、嘉永板の「恩はどうかして返せ」が、昭和版では「恩は遠くから隠せ」となっているように、文言や箇条配列の違いも散見されます。「かへせ」と「かくせ」は旧仮名遣いのくずし字では字形が似てくるため、転写や伝承の過程で変化した可能性もありますし、記憶違いによるものかもしれません。ただし、81カ条が45カ条に減ったのは意図的な取捨選択の結果と見るべきでしょう。どちらにせよ、81カ条から45カ条が派生した可能性が極めて高いと思われます。
 それでは、江戸時代の『小言』はほかにないのでしょうか。古典籍の主な所蔵先を示した『国書総目録』を見ると、成田山仏教図書館に『親父の小言』の写本が存在することが分かりました。インターネットでも蔵書検索ができるので確認すると、その写本が確かにありました。幸い、大聖寺の45カ条を紹介した書籍も架蔵されており、一石二鳥でした。
 余談ですが、自転車用のナビで調べると、自宅から仏教図書館までは往復約150㎞で、日帰りサイクリングが十分可能です。そこで、天気の良い7月初旬に、嘉永板の原本を持参し、妻と自転車で現地に赴いて調査をしてきました。
 結局、仏教図書館の写本は、江戸末期までに出版された教訓書10点を写して合本したものでした。その一つが「親父之小言」で、本文は嘉永5年板と同じ81カ条です。正確な書写年代は不明ですが、他の教訓書の内容から、江戸末期から明治初年にかけての写本と推定されます。
 したがって、江戸時代の「親父の小言」は、今のところ嘉永5年板の81カ条以外には存在しません。さらに古いものが見つかる可能性は十分ありますが、81カ条と同系統のものと考えられます。いずれにしても今回の発見で、『親父の小言』は昭和3年を約80年遡る嘉永年間には成立していたことが明らかとなったのです。
 この情報をマスコミ数社に伝えたところ、ある新聞社がいちはやく取り上げてくれ、東京版では「親父の小言、起源は江戸」、大阪版では「ガミガミ親父、江戸にいた」の見出しで報道していたのが印象的でした。

 さて、嘉永5年板『親父の小ごと』は、思いつくままに81カ条を列挙したようで、関連する箇条が前後に分散しがちです。また、嘉永板と昭和版とでは箇条数が大幅に異なるため、各箇条を分類・整理してみました。
 すると、両者の小言の構成比は大差ないことが分かりました。

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 この分類では、①の対人関係の心得が最も多く全体の2割を占めます。その三分の一は、老人、病人、困窮者、身寄りのない人など弱者に対するものです。この点は「小言」の大きな特徴です。
 ②の家業・家政の心得が多いのは当時の教訓書の通例です。また、③の危機管理も家業・家政と関連しますが、特に、火事や天災に対する心構えは「小言」の強調点の一つです。
 その一方で、⑥の修己・修身や、⑦の家族・家庭の心得が極端に少ない点が目立ちます。当時の教訓書では、むしろ⑥や⑦に関する事柄に比重を置くのが一般的です。
 このように、「親父の小言」は、対人関係の箇条が際立っています。そこには、世間の人を「人様」と呼ぶ精神が息づいているように思います。「小言」を読むと、私はいつも評論家の草柳大蔵さんの逸話を思い出します。
 石屋に生まれ育った大蔵少年が中学三年のある夏の日。これから銭湯へ行こうというのに、わざわざ父親が井戸端で行水をして、体を奇麗に拭いていました。それを見た大蔵少年は、「銭湯へ行くのに、どうして体を拭くの。それは不合理じゃないの」と言いました。すると、父親は「銭湯で着物を脱いで汗臭かったら、人様の迷惑だろうが!」と叱ったそうです。
 私もそうですが、現代人の多くの人が、大蔵少年と同じ発想になるのではないのでしょうか。
 そう言えば、最近は「人様」という言葉もあまり聞かなくなりました。ややもすると、「人様」より「俺様」の時代かもしれません。江戸時代に庶民道徳を説いた「石門心学」の教えも、「俺が俺がが増長すると、一生おかしな人間になる」と戒めています。

 嘉永板を公開後、多くの方々から感想を頂きました。160年前の『小ごと』は今や懐かしい「頑固親父」の象徴であり、そこから、多くの人が日本人の心を感じ取っているようです。特に、対人関係を重視する『小ごと』は、江戸の「もてなし」や「ふるまい」の心を現代に伝えるメッセージと言ってもよいでしょう。
 本来、無名の「小言」を国民的な格言に引き上げたのは、紛れもなく大聖寺の45カ条であり、暁仙和尚の尽力によるものです。そして、今回の嘉永板の発見は、江戸時代の文化や歴史の痕跡が意外と身近な所に残っている事を示す一つの証であり、江戸文化の奥行きを感じさせるものでしょう。
 45カ条にしろ、81カ条にしろ、「親父の小言」が時空を超えて語り継がれ、近い将来、その文言が「ことわざ辞典」に採録されることを密かに願う次第です。

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