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平成国際大学准教授 末澤恵美
 
日々、ウクライナをとりまく情勢が緊迫化しています。
今、ウクライナで一体、何が起こっているのでしょうか。

 

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ウクライナは、国土60万平方キロメートル、人口4,500万のヨーロッパの大国です。
歴史的には、ロシア帝国やポーランド、ソ連の支配下におかれ、独立国家となったのは1991年、ほんの23年前のことでした。
独立を達成したウクライナは、急ピッチで国家建設を進めます。
内政では市場経済化・民主化・国民統合、外交では諸外国との関係構築が大きな課題でした。
 
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民主化における節目となったのは、2004年に起こった「オレンジ革命」です。
野党のリーダー、ユーシチェンコと、当時首相だったヤヌコーヴィチが大統領選で争い、一旦はヤヌコーヴィチが勝利したものの、不正があったとしてやり直し選挙となり、ユーシチェンコが逆転勝利したのです。
野党のシンボル・カラーがオレンジだった事から、「オレンジ革命」と呼ばれました。その時、ユーシチェンコを支えたのが、ティモシェンコでした。

しかしその後、オレンジ勢力は内部分裂し政権運営に失敗、2010年の大統領選でヤヌコーヴィチが返り咲き、ヤヌコーヴィチは、ロシアとの関係修復に乗り出します。

そんな中、昨年11月に首都キエフで再び反政府デモが起こります。
きっかけは、ヤヌコーヴィチ大統領がEUとの連合協定調印を、直前になって延期したことでした。
 
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デモ参加者はヤヌコーヴィチの退陣を要求しますが、警察がデモを強制排除する映像が流れ、デモは一気に怒りに満ちた民衆でふくれあがります。
更に、集会の自由を制限する法律が採択され、デモ隊と治安部隊の衝突による死者は80名を越えました。

ヤヌコーヴィチ大統領は姿を消し、自宅が反政府派によって公開されると、その豪華すぎる暮らしぶりと大量の書類から、不正疑惑が浮上しました。
議会はヤヌコーヴィチを解任し、トゥルチーノフ議長を大統領代行とすること、5月25日に大統領選を実施することを決定しました。
ティモシェンコは解放され、民衆の前に姿を現しました。

一方、ウクライナ南部のクリミア半島では、空港やウクライナ軍の施設に武装勢力が現れます。
ロシア下院でクリミア住民の保護を求める決議が、また上院でウクライナへの軍事力行使を認める決議が採択されたことから、ロシア軍侵攻との緊張感が広がりました。
 
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クリミアは、かつてタタール人の国でしたが、ロシア帝国が18世紀に併合し、セヴァストーポリを基地とする黒海艦隊を創設しました。
ソ連になってからもクリミアはロシア共和国の一部とされ、タタール人の多くが追放された結果、クリミアの6割はロシア系の人たちとなりました。

クリミアは1954年にロシア共和国からウクライナ共和国に移管され、1991年にソ連が崩壊したことから、この重要な戦略的拠点と艦隊を失うまいとするロシアと、ロシアの覇権主義を警戒するウクライナの間で対立が生じます。
特に、セヴァストーポリは1954年当時ロシア共和国ではなくソ連邦の直轄統治下にあったため、ロシアはソ連の法的継承国となったロシアに属すると主張しました。

クリミアのロシア系住民も、ロシアへの帰属を求める運動を起こしました。

1997年、ロシアとウクライナは艦隊と基地を分割する協定を締結し、ロシアは基地の使用代をウクライナに支払う形で、艦隊の維持に成功します。
ウクライナも、この協定によってロシアに対するエネルギー債務を相殺でき、一旦この問題は落ち着いたかのように見えました。
しかし協定の期限切れを前に、延長を求めるロシアと、これを拒むユーシチェンコ下のウクライナは再び対立します。

こうした背景から、ロシアは「ロシア系住民の保護」や「現地からの支援要請」を理由にウクライナの問題に介入する一方、欧米諸国はロシアの動きを「ウクライナに対する主権侵害」と批判し、日本政府もウクライナの領土一体性を尊重するよう、強く求めています。

キエフで生じたデモがこのような問題に発展した通り、内政と外交が深くかかわっているところにウクライナの問題解決の難しさがあります。

さて、今回の発端となったデモは、「オレンジ革命の再来」と言えるのでしょうか。

非民主的な政権に対する不満という点では共通しています。
しかし、「オレンジ革命」が、「この運動を成功させればこの国は良くなる」という将来への期待にあふれた群衆によって、非暴力で達成されたのに対し、今回のデモ参加者に明るい表情はなく、怒りに満ちた市民と治安部隊の衝突によって、双方に死者が出るという惨事になりました。
また、野党側に当時のユーシチェンコのような決定的なリーダーがいないことも、「オレンジ革命」との違いです。

そうした中で危険なのは、噂が噂を呼び、偶発的な衝突が起こること、
また、一部の過激な活動家を「親欧米」、治安部隊や東部住民を「親ロシア」という構図でのみ見ることです。
確かに、西部住民は親欧米的で、ロシア系住民の多い東部は親露的なのは事実であり、デモの発端もヤヌコーヴィチ大統領がEUとの協定に踏み切らなかったことでした。
しかし同時に、「オレンジ革命」も今回のデモも、元々は非民主的な政権に対する不満が根底にありました。デモの主体が若者であり、今回レーニン像が倒されたことは、彼らが旧体制と決別しようとしていることを意味しているのではないでしょうか。

また、東部住民が嫌悪しているのは、「親欧米」というよりも極右民族主義者であると思います。デモ隊への暴力行為を拒否した警官や、ヤヌコーヴィチの豪邸が暴露されてから離反する者も出ています。
プーチン大統領も、「キエフで起こったことは武力による政権奪取であり、クーデターである」とデモを批判する一方、「ヤヌコーヴィチに政治的未来はない」と述べています。
プーチンはまた、ウクライナへの介入に関して、「アメリカがイラクでした事は何か、アメリカの行動に対する制裁はあったか」と、切り替えしました。

ウクライナの問題は、このように、様々な要因が複合的に織り交ざっており、様々な角度から見据えることが大事であると考えます。一面的なステレオ・タイプにとどまる事は、問題をすりかえ、先ほど述べたような危険に繋がりかねないからです。

私は、2004年の大統領選に選挙監視員として赴きました。ウクライナの人々は、「なぜ日本人が?」と驚きつつも、「ウクライナに対する影響力を行使しようという思惑をもたない日本が、自分達の未来に目を向けてくれる事をとても心強く思う」と話していました。

私はその時、遠い日本だからこそ、できる事がある、と感じました。

10年目の節目にあたる今年、ウクライナが「オレンジ革命」後の失敗を教訓として、真の意味での民主国家となることを望んでやみません。
そして、数世紀もの困難な歴史を歩んできたウクライナだからこそ、それが叶えられると確信しております。

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