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歴史研究者 山田篤美
 
歴史研究者の山田篤美です。今日は、意外と知らない真珠の歴史についてお話したいと思います。

養殖真珠が登場する以前、もっとも美しい真珠は、アコヤガイの真珠でした。しかし、天然のアコヤ真珠は、それほど大きくありません。だいたい直径5ミリ程度。アジの塩焼きを食べた時、白い目玉が残ります。このアジの目玉こそが天然真珠の形状です。そう思うのは私だけではなく、古代オリエントの人々も、真珠を魚の眼と呼んでいました。人の発想は、けっこう似ていますね。
さて、このアコヤ真珠ですが、その産地は、世界的に見て多くはありません。というのは、アコヤガイは暖かい南の海の海底にいる貝だからです。潜らないと採れない貝でした。
そのため素潜りができる海人がいることも、真珠の産地になる重要な条件でした。
日本は古代から真珠の産地として有名でした。それを述べているのが『魏志倭人伝』です。
 
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卑弥呼の後継者の壱与という女王が、白珠、つまり真珠ですが、その真珠5千個を中国に献上したことを、『魏志倭人伝』は記しています。この記述から、真珠は日本最古の輸出品だったことがわかります。
もうひとつ興味深いのが5千個という数字です。真珠は1万個のアコヤガイからひとつかふたつしか採れません。5千個の真珠をうるには、最大5千万個のアコヤガイが必要です。その5千万個のアコヤガイを海に潜って採ってくる海人も大勢必要です。これまで邪馬台国の真珠のことは、あまり議論されてきませんでした。しかし、どこでどのように真珠が採れるのかを考えると、邪馬台国の場所にもヒントを与えるかもしれません。
 
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アコヤ真珠の名高い産地は、日本のほか、ペルシア湾、インド、中国南部です。真珠は最高の宝石でした。15世紀のコロンブスは日本の真珠に憧れていましたが、その真珠を南米ベネズエラで発見します。ベネズエラは、もうひとつのアコヤ真珠の産地でした。
 
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コロンブスの真珠の発見で、何が起こったでしょう。ベネズエラにはスペイン人が次々到来し、先住民の真珠を奪っていきました。真珠がなくなると、今度は海からアコヤガイを集めます。スペイン人は潜りません。素潜りが上手なバハマの先住民を拉致してきて、真珠採りを強要します。一日中、海に潜らされて、バハマの先住民は死んでいき、結局、絶滅します。これはラス・カラスという16世紀の人物が語っている話です。真珠採取によってひとつの民族が死に絶えたというすごい歴史があるのです。私たちはこうした歴史も知っておく必要があるでしょう。

 その後、真珠にはダイヤモンドというライバルが登場します。しかし、20世紀初め、真珠はダイヤモンドよりも高価になります。ヨーロッパの真珠シンジケートが真珠の産地を独占して、価格を吊り上げていったからです。真珠のネックレスには100万ドルの値がつきました。カルティエやティファニーも、真珠でかなり儲けていました。
そうした時期に、日本人が真珠養殖に成功したのです。アコヤガイと海女がいる日本ならではジャパンマジックでした。のちに「真珠王」と呼ばれる御木本幸吉は、養殖真珠をロンドンで売り出します。しかし、それを阻んだのが、欧米の真珠商人でした。養殖真珠の登場は、天然真珠の価格を暴落させるおそれがあります。彼らは日本の養殖真珠をニセ真珠と呼び、さまざまな妨害工作を始めます。
御木本はどうしたでしょう。彼は一歩もひきません。次々、訴訟を起こして対決し、ついに日本の養殖真珠の素晴らしさを認めさせます。その一方で、天然真珠の価格はやはり暴落していきました。世界最大の真珠の産地、ペルシア湾の被害は深刻でした。彼らは真珠で暮らしていけなくなって、石油産業に転換します。
戦後になると、日本は、真珠王国として君臨します。生産量の9割以上が輸出され、外貨を稼ぎまくります。御木本幸吉は、真珠のネックレスで世界中の女性の首をしめると豪語していましたが、その通り、日本の真珠が世界を制覇したのです。

ディオールやシャネルなどのパリのファッション。ハリウッド映画。真珠がなければ様になりません。ヒチコックの映画『裏窓』では、グレース・ケリーは何度も真珠をつけて登場します。マリリン・モンローには、ミキモトパールをつけた写真が残っています。真珠は最高のジャパンブランドでした。

真珠養殖業は、自動車や家電産業と違って、日本人が一から作り上げたビジネスモデルです。辺鄙な沿岸部や島々ほど真珠養殖に向いており、過疎の地域に雇用と現金収入の道を開いていきました。真珠は輸出の花形。これからも輸出は増えるはずでした。
しかし、1967年、真珠はぱたっと売れなくなります。真珠業者が次々と倒産。真珠不況が始まりました。原因は、ミニスカートの世界的大流行でした。ミニスカートに真珠は似合わず、真珠の需要が激減したのです。御木本幸吉は真珠で女性の首を絞めると言っていましたが、ミニスカートから出た女性の白い足によって、日本の真珠業界は首を絞められたのでした。
真珠業界は遅まきながら、国内需要の掘り起こしをはかります。良家の奥さんやお嬢さんにお似合いなのは真珠ですよと、盛んに広告を打ちました。真珠は日本の女性がどうしても欲しいものとなり、真珠業は輸出産業から内需産業に変わります。
1990年代になると、漁場の老化や海の環境悪化が深刻になります。新型赤潮、新型プランクトンが発生し、アコヤガイの大量死が起こります。日本の海でアコヤガイが十分育たなくなったのです。生産量は激減。その一方で、熱帯の海では大粒真珠が大量生産されるようになりました。いまや日本のアコヤ真珠には逆風が吹いています。

アコヤ真珠というジャパンブランドを守るにはどうすればいいのでしょうか。
養殖業者たちは、海に負荷をかけていた従来の養殖法を見直し、海と共存する方法を考えるようになりました。海に栄養を与える木の植樹にも力を入れています。
私たちが真珠の産地に関心を持つことも重要でしょう。今日、愛媛県が最大の真珠県ですが、真珠の産地がどんなところか、私たちはあまりに無関心だったのではないでしょうか。

歴史を振り返れば、邪馬台国の時代にも、敗戦で迎えた戦後にも、日本が国際社会に出る時は、いつも真珠がありました。日本の海は、いつまでも美しいアコヤ真珠をはぐくんでいてほしい。そのことを祈念して、このお話を終わらせていただきます。

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