2008年12月25日 (木)視点・論点 「無駄学」
東京大学准教授 西成 活裕
これから無駄について考えてみたいと思います。さて、そもそも無駄とはいったい何でしょうか?無駄なものなんて世の中には無い、という人もいれば、世の中無駄だらけ、と感じている人もいます。このように人によって無駄と感じるものは違います。したがって、無駄とは何か、という問いは単純なように思えますが、意外に答えるのは難しいです。つまり我々は無駄という言葉を日常よく使っている割には、それをきちんと理解しているとはいえません。例えば無駄の反対語は?と聞かれて、すぐに皆さんは答えられるでしょうか?
私が無駄について本気で考えようと思ったのは、約2年前です。それまで私は10年以上にわたって車や人などの流れとその渋滞を研究してきました。そこでずっと感じていたのは、渋滞は社会の無駄、ということでした。例えば道路が渋滞すると到着が遅れて時間を無駄にします。その無駄の経済損失額は、年間で12兆円、つまり国家予算の7分の1にもなります。渋滞は車だけでなく、人間も混雑しますし、インターネットでの通信の渋滞もあります。また、工場などの生産現場でも、作りすぎによる在庫の渋滞があります。この在庫は大きな無駄で、会社の経営を圧迫するだけでなく、資源を無駄に使うことで環境破壊にもつながります。
したがって無駄を省くのはとても重要なことですが、無駄の効用という言葉もあるとおり、無駄は役に立つ場合もあるため、ただ省いていくだけでもいけません。真に無駄なものだけをちゃんと排除するためには、そもそも無駄とは何かが分かっていないといけません。そこで無駄について研究してみようと思いついたわけです。
そこでまず私は、これは無駄だ、とか、いや無駄じゃない、という言い争いの例を1年かけていろいろと集めて考えてみました。こういった口論は家庭から職場までよく耳にします。そこで分かったことは、無駄を議論する際に、期間と目的に対する認識が人によってずれていることが口論の大きな原因だった、ということです。例えば、「これ無駄だから捨てよう」という人に対して、それがいつか役に立つかもしれないと考えている人は、「いや、捨てない」と答えるでしょう。しかしこれも期間を例えば一週間、などと定めると、無駄かどうか判定しやすくなります。そしてモノを捨てられない人、というのは、この期間をとても長く設定している人です。企業では、半期、あるいは四半期という期間を定めて、その間に結果が出るかどうかで無駄を判断することが多いです。つまり無駄というものは期間を決めなくては議論することができません。
次に、目的、ですが、これはアリの有名な例があります。アリは餌場から餌を巣に運びますが、このときに全体の2割のアリは餌運びをサボるといわれています。皆で餌場と巣の間を真面目に往復した方が、餌運びの効率は良いはずです。それではこの2割のアリは無駄か、というと、そうでもないのです。ウロウロしているうちに偶然に新しい餌場を探し当てるものもでてきます。ある餌場からの餌の運搬、という目的では2割のアリは無駄ですが、巣全体の存続、という目的では無駄になっていないのです。ある目的では無駄でも、別目的で役に立つ、ということがあるため、無駄を考える際には目的をはっきりさせることも大切です。
そしてこの期間と目的をちゃんと決めれば、無駄をきちんと議論することができます。無駄の度合いは、お金や時間などの投入、つまりインプットに対して、予想されるアウトプットがどれだけ達成されたか、で決めます。当初の予想を下回るアウトプットだった場合、どこかに無駄が潜んでいたことになります。無駄の発生する原因には、自己要因から自分以外のほかの要因まであります。ほかの要因の無駄は自分一人の力ではどうしようもないものが多く、取り除くのは難しいです。しかし自己要因ならば排除することは可能です。ただ無駄は一種の麻薬のようなもので、ついつい意志の弱さから無駄を発生させてしまいます。
それでは無駄をなくすにはどうすればよいか考えてみましょう。これを考える際に一番ヒントにしたのは、生産現場でのムダとり活動でした。そこではムダを徹底的に排除することで経営効率を追求してきました。これは実際に日本の企業の大きな強みになっています。工場では、作り過ぎのムダ、動作のムダなど、ムダの種類をきちんと定義し、その改善活動をしています。そしてなかなか気がつかない無駄は、まず「見える化」をして顕在化し、改善を進めます。しかしこれらを製造工場だけの改善手法にしておくのはもったいないです。その多くは我々の日常生活から社会問題にまで広く適用できます。その例として、倉庫などの置き場所をわざと小さくする、というものがあります。こうすることで在庫を減らさなくてはならない状況を作り出します。これは家庭で言えば、ゴミ箱の数を減らすことだと考えるとわかりやすいです。ゴミ箱をあえて減らすことでゴミに敏感になり、ゴミを出さないようにします。実際に我が家でもゴミ箱を一つにすることでゴミの量はぐっと減りました。
次に無駄の効用について考えてみましょう。何もしない時間を過ごすことは、時には精神がリラックスして明日への活力になります。こうした寄り道も時には大切で、適切な「ゆとり」や「間」は一見無駄に見えても無駄ではありません。本でもページの周囲には余白があります。これがない本は読みにくいのです。また、車の運転も、前が空いていて詰められる状況でも、車間距離を40m以下に詰めない方が渋滞になりにくく、結局多くの車が道を通行できることがわかっています。さらに勉強をするときでも、効率よくやるために、要点だけ丸暗記する人がいます。これでテストの点数は稼げるかも知れませんが、それでは何も身についていません。時間をかけてじっくり考えることで、その間に大切なことをたくさん学んでいるのです。これらの例は、実は目的の決め方しだいで無駄が無駄でなくなる例なのです。
以上、無駄をきちんと捉えるには、理工学、経済・経営学、心理学などの分野横断的な分析をしていかなくてはなりません。これを私は無駄学と名付けました。そして無駄の考察は環境、食糧、資源などの問題、さらには人間の幸福など、あらゆることと広く関わっています。無駄を通して世の中を見ると、違う角度からいろいろなことが見えてきます。特に最近は、資本主義社会と右肩上がりの経済成長、ということ自体を見直す時期にきていると強く感じています。このシステムは様々な無駄を生んでいます。真に持続可能な社会のためにも、有限な資源をうまく配分して無駄なく使い、そして機械が真似できない人間の能力をもっと活用する社会こそ理想だと考えています。
最後になりますが、私は無駄の反対語は活用だと思っています。皆さんの答えはいかがでしょうか。
投稿者:管理人 | 投稿時間:23:24
