2008年12月22日 (月)視点・論点 「レヴィ=ストロースの庭で」

多摩美術大学教授・写真家 港千尋

・ 今日はさきごろ百歳の誕生日をむかえられたフランスの人類学者、クロード・レヴィ=ストロース教授についてお話ししたいと思います。レヴィ=ストロースは記録文学の傑作として知られる『悲しき熱帯』の著者として、また構造主義という名で知られる思想を代表するひとりとして、その多くの著作が与えた影響ははかりしれません。わたしは十年ほど前に、フランス中部の豊かな田園地帯にある、教授の別荘を訪ねる機会を得ました。その折にうかがったお話しを中心に、自然と文化にかんする、その思想の一端に触れてみたいと思います。

・  そこは庭には川が流れ、小道に沿って歩いてゆくと、いつのまにか深い森につづいてゆくような、広大な土地でした。ある夏の日の昼下がりでしたが、レヴィ=ストロース教授によれば、そこはフランスの古いふたつの森が出会う場所とのことでした。昔々、その森には、男しか入ることができなかったそうです。それは男の聖域で、狩をする男や炭を焼く男しか入ることを許されなかった。しかし炭を焼く男たちのために食事を運ぶ女性だけは、例外的に森に入ることができる。そしてその女性たちは、森に入ってゆくために、しばしば男と見なされていた、と教授は付け加えました。

・ なにげない昔話のようですが、ここには彼が生涯をかけて追求した自然と文化のあいだの関係が、凝縮しているように思えます。木を切り倒し、それを燃やして炭にするのは男の役割です。いっぽう、かまどに火をくべて、生のものを料理するのは女の役割です。どちらも自然から文化をつくりだすのですが、両者のあいだには境界があります。この話に耳を傾けていると、美しい庭が、なにやら遠い別の場所へとつながっているように思えてきました。


・ 庭は家と森のあいだにひろがっている空間です。それは焼けた炭をもって森から出てきた男たちが通る場所ですし、反対に暖かい食事を森へと運ぶ女たちが通る場所でもある。また、人間が火をもって通ると、森が焼かれて畑になる。栽培植物が生まれるのも、その場所です。レヴィ=ストロース教授のライフワークは、『神話論理』という本ですが、南北アメリカ大陸から非常に多くの神話をとりあげて分析した、この大著は火と料理の起源から始まっていました。

・ よく知られているように、若きレヴィ=ストロースは1930年代にブラジルを訪れ、密林と高地を越える大変な旅のすえに、ボロロやナンビクワラと呼ばれるインディアンの居留地を訪れて、彼らの生活や習慣を克明に記録します。それが民族学者としてのはじめてのフィールドワークでしたが、教授の一生はこのときの、時間的にはとても限られた経験の意味を、非常にスケールの大きい視野のなかで、とらえなおすことにあったとも言えると思います。その中心にあるのは、彼ら先住民が大切に伝えてきた神話にほかなりません。


・ 森に転がっている木や乾いた木は、薪にする枯れ木です。たとえば南北両アメリカにわたって、薪にするために「生きた木」を倒してはならないという掟がみられますが、原始的な農耕では、森の木を切るには、まず生きた木を焼いて倒れやすくする必要がある。植物を栽培できるのは、若い木が枯れた木になった後のことですから、いわばこれは「掟破り」になります。そこでレヴィ=ストロースはこれを「植物界にたいする食人行為」と呼んで、そこには漠然とした罪の意識があったのではないかというのです。

・ たとえば南アメリカのある神話では、インディアンの主人公が自分の庭で、切り倒されたがまだ内部が燃えている木の幹の上を歩いたために、火傷をしてしまう。傷は治らないと診断されるのですが、祖父母の幽霊が助けにあらわれて、救われる。『神話論理』では、多くの神話を通じて、料理の火の獲得と寿命の短さのあいだに切り離すことのできない関係があることが示されています。栽培植物をつくるには、森に火を放って生きた木を倒さなければならないから、焼畑農民にとっては菜食の場合でも、それはすでに「森を食べてしまう」という意味での「食人行為」ということになるのでしょう。
・ これはとても深遠な哲学を含んだ考え方というか、ひとつの思想と言ってもよいと思いますが、このような神話こそが、おそらく新石器時代から森に住む人々によって連綿と行われていたことなのです。もちろん、それはそうした思考に基づくルールをつくらなければならないという、切実な理由があったからこそ、神話というものは語り継がれてきたに違いありません。
・  庭を背にしながら、かつて訪れたブラジルを思い出しながら、レヴィ=ストロース教授はこんな話もしました。「アマゾン川は両岸を原生林の壁に囲まれ、しかもその森にはまったく手が入っていないと一般には考えられています。けれども二〇年ほど前にわかったのですが、ヨーロッパ人による「発見」以前のアマゾン両岸には、その反対に多く人々が住んでいて、集中的に農耕を行っていました。われわれが原生林だと思っていた森は、実は、先住民が滅ぼされたり土地を追われたりしたあとに、自然に育ったものだったのです。だからこの場合も純粋な自然ではありません。実質的な部分は人間がつくったものなのです。」
・  およそ70年前にボロロやナンビクワラの村へたどり着いた時から、レヴィ=ストロース教授の脳裏には、「原生林」と呼ばれるアマゾンが、実は何千年にもわたって人間と森がつくりあげてきた、文明としての自然というイメージがあったのでしょう。いってみれば、「大きな庭」としてのアマゾンというイメージは、実は、その後の考古学の調査で次第に確かなものとなってきています。この十年あまりアマゾン河流域からは、多数の彩色土器、縄文のように複雑な装飾のついた巨大な骨壷や信じがたいほど精巧な金細工といった、見事な芸術品が次々に発掘されて、世界を驚かせてきました。一種の大河文明と呼びたいところですが、これが北半球の大河文明と違うところは、森を森のまま残しながら繁栄していたらしいというところにあります。

・  美術や音楽といった芸術にも造詣の深いレヴィ=ストロース教授は、環境破壊をはじめとした人類が直面しているさまざまな問題の根本には、ある断絶があると繰り返し強調していました。それはわたしたちの知性と感性の断絶であり、それが一方的な自然の破壊へとつながっているという警告を、忘れることはできません。

・ わたしは1980年代にブラジルを訪れ、『悲しき熱帯』を読み直しながら、やがて写真の道に進みました。神話の森へとつづいているレヴィ=ストロース教授の庭を歩きながら、もしかすると写真は、知性と感性を和解させるささやかな試みであるかもしれないと思ったことを、つい昨日のことのように覚えています。

投稿者:管理人 | 投稿時間:23:00

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