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視点・論点 「鉄で走れ」2012年02月17日 (金)
西別府病院 スポーツ医学センター長 松田貴雄
スポーツの世界では、シーズンの開幕に向けて準備段階に入っているところが少なくありません。
婦人科を専門としながら、スポーツドクターでもある私の所にも、
女子スポーツ選手の姿が目立つようになりました。
今日は、日頃の経験からスポーツ選手と鉄との関わりについてお話しします。
スポーツと鉄の関係を強く意識させられたのは、
平成20年に17歳以下のサッカー女子日本代表のチームドクターをしていた時のことでした。
当時、代表チーム立ち上げの際に、 ある選手から相談を受けました。
「走れなくなった」というのです。
若い世代とはいえ日本代表に選ばれるぐらいですから、食生活にも生活習慣にも問題はなく、
体格にも恵まれた選手です。しかも練習熱心で決して手を抜くタイプではありません。
それが「走れない」というのです。
周りからは、中学から高校にかけての女子選手、特に大型の選手にありがちだと聞かされていました。
念のためにメディカルチェックをしたところ、予想外の結果が出ました。「貧血」だったのです。
貧血といえば、痩せて食事を制限しているような選手に起こると思っていました。
体格に恵まれたサッカー選手が貧血とは、全く予想もしていませんでした。
貧血の程度をあらわす、ヘモグロビンの値が正常値の3分の2しかありませんでした。
「ヘモグロビン」は赤血球の中にあって、酸素を全身に運ぶ役割を果たしています。
つまり、体に酸素が運べない状態だったのです。これでは走れません。
この頃、時を同じくして、大分で国体が開催され、大分県の国体選抜選手の貧血を
チェックする機会がありました。ここでも、「貧血」、もしくは貧血とはいえないまでも
「鉄欠乏状態」というべき選手がたくさんみられました。
選抜選手20人中、11人が「鉄不足」だったのです。さらに調査をしていくと、
競技レベルに関係なく、高校生年代の選手に共通して、本来、体内に貯えられているべき
鉄の量が不足していることがわかりました。
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人間の身体の中で、「鉄」は いろいろな形で分布しています。血液・赤血球の中に多い「ヘモグロビン」、
肝臓に貯えられている「貯蔵鉄」、そして、筋肉中に見られる「ミオグロビン」。
中でも不足していたのは肝臓の「貯蔵鉄」でした。
ここで一度、鉄と酸素の関係についておさらいしておきましょう。
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身体は活動をするために酸素が必要です。酸素が運ばれるには、身体の中を循環している
赤血球の中の鉄に、酸素が結合するところから始まります。
鉄があって酸素が運ばれる。つまり鉄が不足すると 酸素が運ばれなくなります。
これが「鉄欠乏性貧血」です。
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赤血球に含まれる鉄「ヘモグロビン」は、女性の場合、月経で少しずつ失われていきます。
また 汗や便からも鉄は少しずつ失われていきます。
失われた分、新たな赤血球が生み出されるのですが、そのためには 鉄が欠かせません。
赤血球に鉄を補給するために、肝臓の中に貯えられているのが「貯蔵鉄」「フェリチン」です。
貯蔵鉄はいわば、銀行預金のようなものです。預金が不足すると、
いざという時、赤血球に鉄が補充できなくなります。やがて、持久力が低下してしまうというわけです。
栄養バランスを考え 食事をしっかり取っていたはずの代表選手。
なぜ走れなくなるほど鉄が不足したのでしょうか。
この年代の女子スポーツ選手にありがちな、身体に「ある変化」が起こっていたのが理由でした。
「筋肉量の増加」です。
高校生になると、「 海外の選手に負けない体づくりを」とフィジカルを鍛え始めます。
いわゆる、筋力トレーニングなのですが、それによって筋肉量が急増します。
身体の中では赤血球だけでなく、筋肉内に含まれる赤い色素も鉄を必要とします。
それが「ミオグロビン」です。筋肉が増えると、ミオグロビンでも 鉄が必要なため、
かなりの量の鉄が筋肉に持って行かれます。特に筋肉の多い、大型選手に不足が目立ちます。
貯蔵鉄という銀行に貯えられた鉄は、筋トレで急激に増える筋肉に使われて絶対量が下がっていく。
これが鉄の不足の原因と考えられました。
厚生労働省が発表した平成21年の国民健康栄養調査では、
女性は、1日に7.3㎎しか鉄を摂っていませんでした。ところが、
平成22年の栄養摂取基準では、高校生女子の年代は少なくとも、10.5㎎必要とされています。
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汗を大量に流す スポーツ選手には、もっともっと必要です。
となれば、通常の食事で「少し鉄分を多め」にしたぐらいでは圧倒的に鉄不足なのです。
医師の立場からいえば、いったん鉄欠乏に陥った場合、貯蔵鉄を十分に取り戻すには、
食事でとれる、五倍から十倍もの量にあたる、1日50㎎から100㎎の鉄剤を、
3、4ヶ月とり続けないと、回復しません。
調べていくうちに不思議に思ったのは、外国の選手のことです。
日本人より体格がいいのに貧血にならないのか。だれもかれもが鉄剤を内服しているとは思えません。
欧米の食生活は肉が中心で鉄の摂取量が多いことはわかりますが、それだけで足りているのでしょうか。
答えを持っていたのは、私の勤務先の血液が専門の病院長でした。
「海外では 主食に鉄が強化されている」。
なんと、主食である小麦に「鉄が混入されている」というのです。
調べてみると、世界の50を超える国々であらかじめ鉄が食品に加えられていました。
しかも、食品会社が、独自に健康食品として加えているものではなく、
流通する全ての小麦粉に一定の割合で鉄を混ぜるように政府が決めているのです。
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アメリカを例に挙げれば、小麦1ポンドあたり、つまり凡そ450グラムほどですが、
そこに12㎎、つまり、パンを1斤食べると1日に必要な鉄分がとれる計算になります。
日本では小麦の9割を輸入に頼っています。アメリカからも輸入されていますが、
穀物として粒の状態で輸入され、製粉の工程は国内です。
そこに鉄を混ぜるルールはないのです。
これまで日本人はなぜ貧血になりにくかったのか。貧血を防ぐ食品はなかったのか。
ははぁと思わせる事例がありました。かつて、甲子園や夏の高校総体などで
ゲンを担いだ「敵(テキ)に勝つ(カツ)」。
ビフテキやトンカツで「スタミナ」をつけるともてはやされましたが、
現在では、試合前日に、肉や脂の多い食事は適さないとスポーツ栄養の考え方では否定されています。
一方で鉄分の摂取には、幾分の効果があったのではないでしょうか。
汗などから、鉄が失われる率が上がりやすい、
暑い夏場の大会を乗り切るための知恵だったのかも知れません。
私たちの当たり前の食生活にも、知恵は働いていたような気がします。
さらに、かつて貴重な蛋白源とされたクジラ。牛肉のおよそ3倍、
100グラムに8.5㎎も鉄が含まれています。
貴重な「鉄」源として、これも日本人の鉄不足の 解消に役立っていたのかも知れません。
今の時代、筋肉をつけるためにプロテインを服用する選手も増えています。
実は、筋肉をいくら作っても、そこに鉄がなければ、そして、酸素が供給されなければ、
役に立たないという現実はあまり認識されていないのでないでしょうか。
7月には、ロンドンオリンピックが待ち構えています。
暑いロンドンの夏を乗り切るためにも、今から鉄を増やすことを忘れないでもらいたいと思います。
