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広場の集会の自由 最高裁判断は

清永 聡  解説委員

2017年、市民グループが金沢市役所前の広場で、憲法の集会を開こうとして許可されず、裁判になっていました。
最高裁判所は21日「市の規定は正当で、集会の自由の制限は限定的だ」などとして訴えを退けましたが、裁判官の1人は「言論の自由の抑制につながる」と強い反対意見を述べています。
裁判を通じた「集会の自由」と「公共の場」とは何かを解説します。

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【裁判の経緯は】
裁判の舞台となったのは、金沢市中心部の市役所前の広場です。南北およそ60メートル東西およそ50メートル。広い空間で、道路に面して多くの人が自由に出入りできます。一方で市役所の入り口にもつながっています。

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2017年、「石川県憲法を守る会」がここで憲法70周年の集会を計画しました。グループは過去にここで10年以上、憲法の集会を開いていました。
計画ではおよそ300人が参加し、プラカードやのぼり旗、拡声器と街宣車を使い、祝日の憲法記念日に使用するというものでした。
これに対し、金沢市は広場の使用を認めませんでした。
理由は市の規則で「業務が妨げられるおそれがある」ことなどでした。
このためグループは「憲法が保障する集会の自由の侵害にあたる」と裁判を起こしましたが、1、2審とも訴えが退けられ、最高裁に舞台が移っていたのです。

【過去の判断との違い】
施設の集会について、最高裁は過去にも似たような争いで、判断しています。

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95年、空港の建設に反対するグループが集会を開こうとして、大阪・泉佐野市の市民会館の利用を拒否されたと起こした裁判です。
この時最高裁は「自治体が公の施設の利用を拒否できるのは、集会が開かれれば生命や財産が侵害されるような明らかに差し迫った危険がある場合」などと判断しました。
憲法の「集会の自由」を踏まえて、自治体が安易に集会を拒否できないよう厳しく制限したのです。

そうすると、不思議に思う人も多いでしょう。
憲法の集会が、生命や財産を傷つけるとはちょっと思えません。では、1、2審が訴えを退けたのはなぜか。それは施設にあります。
市民会館がだれでも利用できることを前提とした「公の施設」だったのに対し、金沢市の広場はあくまで市役所の敷地の一部。
「公の施設」とは言えないから、許可するかどうか市の裁量にゆだねられるという理論なのです。
ただ、そういわれても、私たちには分かりにくいと思います。利用する人も、そこが「公の施設」かそうでないか、見分けることは難しそうです。
実際ここは、誰でも入ることができますし、イベントや音楽祭も開かれています。

【『公の施設』ではない場所の利用は意外と多い】
この問題、実は集会だけにとどまらない課題を含んでいます。

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なぜかというと、「公の施設」でなくても本来の目的以外で多くの人が利用する事例は、私たちの回りにたくさんあるからです。
例えば休日に公立学校の敷地でバザーを開く。
防災施設である防波堤で波が穏やかな日は釣りやレジャーが許される。
役所の最上階を一定の時間展望室として公開する。

これらも本来、学校は学習のため、防波堤は防災などのため、役所は行政のための施設です。だから自治体の裁量で、本来の目的以外には使わせない、となってしまうと、多くの人が楽しめず、ずいぶん窮屈です。
むしろ本来の業務に支障がない範囲であれば、施設の有効活用は、市民にとっては好ましいことです。

【最高裁の判断と少数意見】
21日午後の判決で、最高裁判所第3小法廷は「市の規定は、公務に支障が生じさせないことを目的とするもので正当だ。集会の自由の制限は限定的だ」などと述べてグループの上告を退けました。

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ただ、5人の裁判官のうち、学者出身の宇賀克也裁判官は強い反対意見を述べています。
「広場は市民会館のような公の施設か、それに準じると考えるべきだ。また、利用者が限定された施設でも、場所や時間を分けることで、広く一般の人たちが使うことはできるはずだ」
「今回の広場のケースでは、集会で発言される可能性がある内容を理由に不許可にすることは言論の自由の抑制にもつながる」などと厳しく批判しています。
そのうえで、2審で審理をやり直すべきだとしています。

【中立性と集会の自由との関係】
この他にも、争点があります。
裁判でもう1つ問題になったのが、市が憲法の集会を認めなかった理由、自治体の「中立性」という言葉です。
しかしこれだと、護憲派の集会だけでなく、同じような規模の改憲派の集会も、認められないことになります。つまり改憲・護憲に限らず、憲法を語ることが難しくなりかねません。

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しかし、最高裁の判決は「庁舎はあくまでも公務を行う施設であり、政治的な対立がみられる論点の集会が開かれることで、市の政治的中立性に疑いが生じて、業務に支障が出る可能性があるのだから、市の規定は妥当だ」などと述べています。

【護憲改憲に関わらず消極的な対応も】

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一方で憲法をめぐっては、ここ数年、行政が消極的な態度をとるケースが相次いでいます。
以前私が取材した、憲法改正を目指すあるグループは、一部で公共施設の使用を断られたこともあったといいます。
また、さいたま市では、憲法9条に関する俳句を公民館だよりに掲載することを市が拒否して裁判になり、市の敗訴が確定しました。
この裁判の2審判決は「意見の対立があることを理由に排除することは、不公正な取り扱いとして許されない」と述べています。

今回の問題について、金沢大学の山崎友也教授は「憲法が保障する集会の自由とは、『利用者の便宜』に可能な限り応えるよう法令を解釈・適用する責務、つまり、『個別具体的な支障』のない限り、集会の自由を促進する責務ではないか」と指摘します。(金沢法学第64巻1号(2021年)より)

中立性を理由に制限が行き過ぎれば、私たちの表現や言論活動は萎縮してしまいます。
もちろんヘイトスピーチのような差別的な内容は許されません。
しかし「公の施設」以外でも、業務への明確な支障がない限り、できるだけ多様な議論の場を提供する。それが行政の中立性とは言えないでしょうか。

【多様な意見が許される社会を】
金沢市の問題のその後です。
原告側によると、2019年11月以降の憲法の集会では、市民グループが人数を減らし街宣車を使わないことなどで、金沢市は広場の使用を認めているということです。歩み寄ることで、集会の場を確保した形です。

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広場とは、多くの人が集まって自由に意見を述べ、さらには、ベンチで休憩する人、遊ぶ子供などさまざまな形で活用する場所です。そこは社会の縮図でもあるように感じます。
あまり萎縮することがないよう、できるだけ多くの人が幅広く利用できるようにしてほしいと思います。

もちろん集会を開く側も、広場を占拠するなどして周辺に迷惑をかけることがないよう、ほかの利用者への配慮も欠かせません。
そして私たちもまた、他人を尊重して多様な意見に耳を傾ける。そうしてこそ、社会は豊かさが保たれるのではないでしょうか。


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