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要衝ヘルソン奪還~ウクライナは領土を取り戻せるか

津屋 尚  解説委員

8か月にわたってロシアによる占領が続いてきたウクライナ南部の要衝ヘルソン。町には再びウクライナ国旗がはためき、ゼレンスキー大統領は「歴史的な日だ」と表現しました。ロシアにとっては、軍事侵攻によって占領した唯一の州都から退却を余儀なくされたことは、政治的にも軍事的にも大きなダメージで、ロシアによる軍事侵攻はひとつの重要局面を迎えたと言えます。ウクライナによる領土の奪還作戦はどうなっていくのか考えます。

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■解説のポイント
・要衝ヘルソン奪還の意味 
・消耗するロシア軍 
・領土奪還への課題

■歓喜にわくヘルソン
ロシア軍が撤退したヘルソンの市内では、中心部の広場にウクライナの国旗が掲げられ、大勢の市民が喜びを爆発させています。町に入ったウクライナ軍の兵士たちを市民たちが歓迎する映像も世界に配信されました。ウクライナ軍は、州都だけでなく州内の60以上の集落を奪還したとしています。

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ロシアのペスコフ報道官は、今回の撤退について「ヘルソン州はロシア連邦の一部で何も変わらない」とコメントしましたが、アメリカのシンクタンク戦争研究所などは、州都ヘルソンを含めてヘルソン州のドニプロ川西岸のほぼ全域でウクライナ軍が奪還に成功したとの見方を示しています。補給ルートを断たれて西岸で孤立していたロシア軍にとっては、事実上の“敗走”と言えるでしょう。

■戦略上の要衝ヘルソンとは
ヘルソンの奪還はなぜ重要な節目なのでしょうか。

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ヘルソン州の州都ヘルソンは、黒海に注ぐウクライナ最大の河川ドニプロ川沿いにある交通の要衝です。またヘルソン州は、プーチン大統領が9月に一方的に併合を宣言した4つの州の一つです。その州都からの撤退によって、自ら打ち出した併合政策が早くも頓挫したことになり、プーチン大統領にとって大きな屈辱であると同時に、政治的ダメージも非常に大きいといえます。

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また軍事的にも、8年前からロシアが支配してきたクリミア半島に隣接するヘルソン州をおさえることで、ウクライナ軍はクリミアのロシア軍により強い圧力をかけることができるようになります。ロシアにとって今回の撤退は、▽4月の首都キーウ近郊からの撤退、▽9月の東部ハルキウ州をウクライナ軍に一気に奪われた際の撤退と並ぶ、軍事侵攻以来、最大の敗北です。

■消耗するロシア軍 もはや形勢逆転は困難か
ウクライナ軍が戦いの主導権を握る中、このあと戦争はどのように展開していくのでしょうか。ロシア軍は今後、兵力を再配置して東部などでも戦闘を続けていくとみられますが、欧米の軍事専門家の多くは、ロシアが形勢を逆転することは極めて難しいとみています。NATOからの強力な軍事支援を受けるウクライナ軍の攻勢によって、ロシア軍の戦力は、東部と南部のほとんどの戦線で、著しく消耗しているからです。

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兵器については、ロシア全体で保有する精密誘導兵器の実に80%以上がウクライナで消費されたとウクライナの情報当局は分析しています。アメリカ国防総省は、ロシアの主力戦車の半分がウクライナで失われた可能性があると見ています。
また兵員の消耗も深刻です。アメリカ軍の制服組のトップ、ミリー統合参謀本部議長は、ロシア軍の死傷者が10万人以上にのぼっているとの見方を明らかにしました。
兵員不足を補うためとして動員された予備役のロシア兵たちには、十分な装備が与えられず、東部のルハンシク州では、500人以上の予備役兵が素手で塹壕を掘っていたところ砲撃を受け、ほぼ全員が死亡したと独立系メディアが伝えています。
こうした中、イギリス国防省によりますと、ロシア軍の「督戦隊(とくせんたい)」と呼ばれる部隊が現場に配置され、脱走や投降しようとする兵士を背後から銃で脅して戦闘を強要しているということです。こうした例に代表されるように、兵士の命を軽んじるロシア軍の強引なやり方が現場の一層の士気の低下を招き、統率された高度な作戦の遂行を困難にしていることは想像に難くありません。

■領土奪還の作戦計画とは

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これに対して、ウクライナ側は、領土の奪還作戦を加速させる方針です。欧米の複数の情報筋によりますと、ウクライナ軍は、ロシアが占領した州のうち、クリミアを除く東部と南部の4つの州を、年明け頃までに解放するという長期的な作戦計画を立てていて、その先には、クリミアの奪還も視野に入れています。作戦はこれまで、ほぼ計画通りに進んでいると分析しているということです。

■領土奪還への課題
しかし、ウクライナ軍による領土の奪還がこの先も順調に進むのかは予断を許しません。これまでも国際法違反の行為を繰り返してきたロシア軍の出方次第では、様々な困難も予想され、作戦計画に狂いが生じることも考えられるからです。

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【課題①】一つ目の課題は、州都ヘルソンなど西岸地域での掃討作戦です。ロシア軍部隊の大部分は撤退したとはいえ、市内には、住民を装って潜伏しているロシア兵が残っているとみられ、そうした兵士を探し出す過程で市街戦も起こりえます。またロシア軍は、地雷や爆発物を町のいたるところに仕掛けていった可能性があり、ウクライナ軍は、爆発物を一つずつ発見しては処理するという地道な作業を続ける必要があります。
【課題②】さらなる課題は、自然の障壁ともいえるドニプロ川の存在です。ロシアが占領する地域の多くはドニプロ川の向こう側にあり、その川幅は、広いところで1キロ以上あります。特にヘルソン州ではこの川に架かる橋は破壊されて使えず、ウクライナ軍はいかにして川を渡り、地上部隊を送り込むのかが課題です。

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【課題③】また、ロシアは、ともにアメリカと対立するイランとの関係を強めていて、イランから弾道ミサイルを調達しようとしているとの指摘も出ています。
【課題④】最も深刻な事態は、追い詰められたプーチン大統領が核兵器を使うことです。その可能性は低いとみられますが、ゼロではありません。
【課題⑤】さらに、ウクライナ国内では、発電所などインフラへの攻撃が続いていて、首都キーウをはじめ全土で深刻な停電が起きています。また、水道や集中暖房システムがストップしてしまっているところもあり、厳しい冬を前に暖房が使えなくなれば人々の命にもかかわります。ウクライナ政府にとっては、国民を寒さからどう守っていくのかという、もう一つの戦いを強いられています。

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【課題⑥】もうひとつ、ヘルソン州で気になる動きが出ています。ドニプロ川沿いにある水力発電所のダムの一部が、破壊されたことです。民間の衛星がとらえた画像を見ると、破損部分から水が漏れ始めているのが確認できます。ロシア軍が撤退した際に爆破したとみられています。これによって電力が供給できなくなるだけでなく、万一ダムが決壊するようなことがあれば、川の下流域が大洪水になる恐れがあります。ウクライナ軍の作戦への影響だけでなく、多くの住民の命が危険にさらされることになりかねません。

■先行きは不透明
見てきたように、要衝ヘルソンの奪還によって、ウクライナは、すべての領土を取り戻すという目標に一歩近づきました。その反面、今後の作戦には、不透明な要素がいくつも残されています。仮にウクライナが領土の奪還に次々に成功したとしても、プーチン大統領がそこで軍事侵攻をあきらめるとは限らず、終わりの見えない戦争が続くかもしれません。これから厳しい冬の間も続くであろう戦闘の先に、どのような状況が待っているのか。私たちは目をそらすことなく、その現実をしっかりと見つめ、関心を持ち続けることが大切です。


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