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「国葬」を考える

伊藤 雅之  解説委員長

安倍晋三元総理大臣の「国葬」が、27日、執り行われました。
世論の評価が分かれる中で、なぜ行われることになったのか。これまでの論点を踏まえ、今後に向けて、どのような議論が必要なのか。改めて「国葬」について考えます。

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【「国葬」の実施状況】

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安倍元総理の「国葬」は、無宗教の形式で、費用は全額国費で賄われました。戦後、総理大臣経験者の国葬が行われるのは吉田茂元総理大臣以来で、2回目です。
内外の参列者は、およそ4200人。国歌の演奏に続いて黙とうが行われ、岸田総理大臣、衆参両院の議長、最高裁判所長官、友人代表として菅前総理が追悼の辞を述べました。

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今回の「国葬」をめぐっては、世論が大きく変化し、評価が分かれる中で行われました。また、招待された人たちも、出席するかどうか判断が迫られる形になりました。
今回の実施状況から、世論が分かれた要因を考えていきます。
天皇陛下は参列されず、使いを派遣されました。
天皇陛下が参列されない葬儀は「国葬」とはいえないという意見が一部にあります。国の象徴が参列されるのが望ましいという意見の一方で、天皇は国政に関与しないことが憲法で規定され、政治利用につながらないようにすべきだという意見もあり、宮内庁は、過去の元総理大臣の葬儀の例も踏まえ、判断したものと見られます。
今回の実施状況をみますと、安倍元総理の映像や追悼の辞の人選を除けば、これまでの総理大臣経験者の内閣葬などをほぼ踏襲しています。内閣葬などとの違いは 主催が国であることと、費用が全額国費から支出されるという点です。
もうひとつの論点として、国が主催する葬儀、国葬そのものが、国民全体に事実上弔意を強制するものだという反対意見があるこということです。これに対して、政府は、国民一人一人に喪に服することを求めるものではなく、内心の自由を侵害するものではないと説明しています。

【「国葬」の根拠と基準】

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今回の国葬に対する評価が分かれた大きな要因には、「国葬」を直接、規定する法令がないことがあげられています。
これに対して、岸田総理は、閣議決定と内閣府設置法で、国の儀式は内閣府の所掌事務とされていることから実施は可能だと説明しています。
また、法的根拠とともに、明確な基準が必要だという意見も出されました。
岸田総理は、その時々、その都度、政府が総合的に判断するのがあるべき姿だという考えを示しています。

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そして、安倍元総理の「国葬」を決めた理由について、総理大臣としての歴代最長の在任期間、内政・外交での多大な実績、国際社会の評価、選挙中に銃撃され亡くなったことの4つをあげました。
この4つの理由をもとに、基準について考えます。
まず、在任期間は客観的といえます。ただ、何年間なら国葬にするのか、在任期間が短くて実績をあげることも、長くて実績がない場合もありえます。
内外の実績も重要な要素です。では、具体的に何をもって実績とするのか、その評価は政治的に分かれることが多いでしょうし、時間の経過によって変化することもあるでしょう。経済指標のように数値で示すも、しっくりきません。
国際社会の評価に関連しては、国際的な弔意に対して、礼節を尽くす必要があると政府は、「国葬」が近づくにつれて重要性を強調しましたが、国葬の必要性の説明にはなっても、実績と同じように基準とするには難しい面があります。
また、亡くなり方は、基準として事前に想定するのは困難です。
一方で、「国葬」の対象は、総理大臣と総理大臣経験者に限るのか。民間で多大な功績があった人は対象にならないのか。
故人の意思をどう考えるかという問題もあります。生前に「国葬」を望むかどうか意思を確認するのが妥当かどうか。また、遺族の意見が分かれた場合どうするかも課題になります。
こうしてみてきますと、基準の具体化はかなり困難な作業で、より詳細な基準を設ければ、対象がいなくなってしまうかもしれませんし、緩やかであれば、対象者が格段に増えてしまいます。どのような規定であっても、時の政権、内閣の裁量は残ることになりそうです。
そう考えれば、「国葬」を考える上で、最大のポイントは国民の理解をどれだけ得られるかという点で、そのために何が必要かを考えることではないでしょうか。

【「国葬」の手続きと国会の関与】

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今回の「国葬」をめぐっては、与党内からも、実施にあたっての手続きや段取り、とりわけ国民を代表する国会の関与については、今後、議論すべきだという声を聞きました。
国会が、大きく関与するものとしては、「国葬」の根拠となる法律を制定することが考えられます。ただ、岸田総理にとって、法整備は、今回の決定手続きに問題があると認めることにもつながりかねず、政府側から直ちに提起される状況にはありません。
仮に法整備をする場合、国会が承認する形にするかどうかも重要な点です。国会で賛否が拮抗したり、否決されたりすれば、大きな混乱にもつながりかねないリスクがあります。
もう一つ、今回、議論となった国費の支出に国会の了承を求めることも考えられます。今回、およそ16億6000万円と見積もられる費用は、予備費と各省庁の予算の中から支出されることになります。予備費は、事後に国会の承諾を得ることになっています。
これを事前に国会の承認を求める形に改める。例えば、「国葬」のための補正予算案を作成する。時間的な余裕がなければ「国葬」に関する予備費を積み増す形の補正予算案にする。この方法は、新型コロナ対策の予備費でも行われましたので、検討の余地があるではないでしょうか。
さらに、政治的に各党に理解を求めるという考え方もあります。今回は、閣議決定後に、衆参の議院運営委員会で、政府が説明し、質疑が行われました。これを閣議決定の前に、与野党が協議する場を設ける。例えば党首会談を開き各党の意見を聴き、決定後も実施に向けた準備状況を報告するような形式も検討できるはずです。国会と各党の関与は、国民の理解を求める手続きとして、今後、議論すべき課題です。

【これからの検証に求められるものは】
これからの「国葬」を考えるにあたって、吉田元総理、今回の安倍元総理の国葬が、行政的には、重要な前例となるものと見られます。ただ、今回、世論が分かれる中で、実施されたことを重く受け止めるべきです。

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岸田総理は、今回の「国葬」について検証する考えを示しています。
政府は、検証にあたって、「国葬」を行う判断、実施に向けた過程をつぶさに記録し、公表すべきです。そして、今後の「国葬」を考えるにあたっての課題を率直に示すべきだと考えます。
一方で、国会の役割も重要です。そもそも「国葬」が必要かどうか。必要ならばどのようなあり方が望ましいのか、政府とは別の角度から、国会には、十分な検証と議論を行う役割があるように思います。
さらに、「国葬」が国民に弔意を強制したか、国費の支出が妥当かどうかなどは、今後、各地で訴訟が起こされるものと見られ、こうした点を司法がどう判断するかも重要な指標のひとつになるでしょう。
「国葬」を考えることは、国と政府、国と国民との関係、政府と国会の役割など、いわば国のかたちを考えることにもつながるように思います。今回、「国葬」への反対の背景に旧統一教会をめぐる問題への反発もあることは否めません。政府と国会には、まず、
これまでの実態と問題点を整理し、被害の救済と防止に向けた方向性を示したうえで、「国葬」について、国民の理解が得られるような多角的で冷静な議論が求められるのではないでしょうか。

(伊藤 雅之 解説委員)


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