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世界に広がる ロシア人排斥の動き

出石 直  解説委員

亡骸となった子供を前に泣き崩れる母親、爆撃を受け跡形もなく崩れ落ちたアパート。
戦火が続くウクライナの惨状に、強い憤りや怒りを覚える方は少なくないと思います。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や暴徒と化したロシア兵による残虐な行為、人権侵害はけっして許されないことです。しかし怒りを向ける対象を誤ってはなりません。
ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、今、日本などロシア国外で暮らすロシア人やロシア系住民に対する暴力や嫌がらせといったロシア人排斥の動きが世界各地に広がっています。

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【解説のポイント】
この時間は、
▽ 国内外でのロシア人排斥の動きを紹介したうえで、
▽ 戦争やテロなどをきっかけとした差別や排斥の歴史を振り返り、
▽ 最後にこうした過ちを繰り返さないためにはどうすれば良いのか、考えていきたいと思います。

【日本での事例】
東京・銀座でロシアから取り寄せた食品などを販売しているお店です。
ウクライナ侵攻が始まった4日後の夕方、店頭に置いてあった看板が何者かによって壊されました。その前後からウクライナ侵攻を非難する電話がかかるようになったといいます。犯人はまだ捕まっていません。

実はこちらのお店、経営しているのはウクライナ人です。東部ドネツク州出身で来日して21年という経営者のミヤベ・ヴィクトリアさん。激戦地マリウポリに住んでいた姉一家の無事は確認されましたが、通信事情が悪くなかなか連絡が取れないとのことでした。

せめてもの救いは、なじみのお客さんや見ず知らずの人たちからも「応援しています」「がんばってください」といった励ましのお便りや花束が寄せられたことだと言います。ヴィクトリアさんは「日本の皆さんの温かい気持ちが本当にうれしかった。早く平和が訪れてお互いの国が仲良くなることを心から望んでいます」と話していました。

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こうした善意の声がある一方で、日本国内のネット上では「ロシア人嫌い」「日本から追い出せ」といった書き込みもみつかっています。日本に住むロシア人の中には、学校でのいじめを心配して子供の登校を見合わせた人もいるといいます。

【海外での事例】

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ロシア系住民が数多く暮らすヨーロッパやアメリカでは事態はより深刻です。
反ロシア感情の高まりで、ロシア系住民の入店を断るレストランもでてきました。
およそ120万人のロシア系住民が暮らすドイツでは、ロシア系住民がデモ行進をして嫌がらせや差別をやめるよう訴えました。
ロシアと国境を接するフィンランドの首都ヘルシンキのヴァルティアイネン市長は緊急の声明を発表し「この戦争は、ロシア人やロシア系住民の責任ではない。嫌がらせや差別は決して許されない」と法的措置も含め強い態度で臨む方針を明らかにしています。
およそ300万人のロシア系住民が暮らすアメリカでも、ロシア料理店の窓ガラスなどが壊されたり、職場で「ロシア語を使うな」と強要されたりするなどの事例が報告されています。連邦議会のスウォルウェル下院議員はCNNのインタビューで「すべてのロシア人留学生をアメリカから追放することを検討すべきだ」と発言し物議を醸しています。

【スポーツ・文化芸術でも】

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こうした動きはスポーツや文化・芸術の世界にも広がっています。
北京でのパラリンピックでは、RPC=ロシアパラリンピック委員会とベラルーシの選手団の参加が認められませんでした。陸上、スキー、スケートなど多くの競技で、ロシアでの国際大会が中止され、ロシア人選手の大会出場を認めない措置が取られています。選手や観客の安全を守るため大会運営上やむを得ない対応だと思いますが、活躍の場を奪われた選手達もまた被害者と言えるのではないでしょうか。

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世界有数のオペラハウス、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場は、ロシア出身の世界的なソプラノ歌手アンナ・ネトレプコ氏の出演を認めないことを決めました。歌劇場のゲルブ総裁は「歌劇場にとっては大きな損失だが、プーチンが罪のない人々を殺している中で、プーチンを支援したり、プーチンからの支援を受けたりしている芸術家との関係を維持することはできない」とその理由を述べています。

ただこうした対応には批判の声もあります。ロシア出身の指揮者トゥガン・ソヒエフ氏は、ロシアとフランスのオーケストラでのポストを自ら退くと表明しました。ソヒエフ氏は「音楽は、国境を越えて地球上の平和を愛するすべての存在に希望を与えてくれるものだ。ロシアかフランスかどちらかを選択するようなことはできない」と、2者択一を迫られたことに不快感を示しています。

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【繰り返されてきた外国人差別】
どこまでが許されてどこからは許されないのか、個人の価値観や置かれている環境にもよるでしょうし、その線引きは難しいところです。
ただ歴史を振り返りますと、今回のように特定の集団を対象にした差別や排斥は過去に何度も繰り返されてきました。
今からちょうど80年前、旧日本軍による真珠湾攻撃で反日感情が高まっていたアメリカでは、西海岸に住んでいたおよそ12万人の日系人が“敵性外国人”として住む家を追われ人里離れた強制収容所に収容されました。アメリカ政府が非を認めて謝罪したのは、強制収容が始まってから46年も経ってからのことでした。
強制収容が始まって80年になるのに合わせてバイデン大統領は「アメリカの歴史の中でもっとも恥ずべきことのひとつだ。ニドト ナイヨウニ」と日本語を交えた声明を発表し改めて謝罪しています。

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アメリカを恐怖に陥れた2001年の同時多発テロ事件では、イスラム系住民に対する脅迫や嫌がらせが相次ぎました。

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最近では新型コロナウイルスの感染が拡大した際に、当時のトランプ大統領が “チャイナウイルス”と呼んで中国への憎悪をあからさまにしました。アメリカではアジア系の住民が被害にあう暴力事件が頻発しました。“チャイナ”と罵倒されて唾を吐かれたり、レンタカーを借りようとしたら“コロナがうつる”と言われ拒否されたりするなどのヘイトクライムも報告されています。
今から100年近く前のことではありますが、日本でも関東大震災の際、朝鮮人が井戸に毒を入れているという根拠のないデマが広がり、多くの罪のない命が奪われたことを忘れてはなりません。

【まとめ】
戦争、テロ、災害といった大きな危機に見舞われるたびに、私たちはこうした誤った行動を何度も経験してきました。人はなぜ誤った行動に走ってしまうのでしょうか?
こうした心理状態は “戦争ヒステリー”と呼ばれています。戦争や災害といった極限状況に直面した時、人は不安や恐怖心に駆られるあまり誤った判断や行動をしてしまいがちだというのです。今のロシア人排斥もそのひとつと言えるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアの指導者、残虐な戦争犯罪や人権侵害を行ったロシア兵は断じて許すことができません。言うまでもないことです。
しかし非難すべき相手を間違えてはなりません。悪いのは誰なのか、非難すべき相手を見極める目と心が必要です。冷静さを失って私たちは何度も過ちを繰り返してきました。
その過ちを繰り返してはなりません。

(出石 直 解説委員)

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