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真鍋淑郎さん ノーベル物理学賞決定

土屋 敏之  解説委員

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今年のノーベル物理学賞に、地球温暖化の予測に関するコンピューターモデルを世界に先駆けて開発した、プリンストン大学の上級研究員でアメリカ国籍を取得している真鍋淑郎さんらが選ばれました。

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真鍋さんは1931年生まれの90歳。現在の愛媛県四国中央市出身で、東京大学理学部を卒業し博士課程を修了後、アメリカの海洋大気局などで研究を行ってきました。
地球の大気と海を結びつけた物質の循環モデルを開発し、二酸化炭素が気候に与える影響を世界に先駆けて明らかにしてきました。
気候の分野がノーベル物理学賞を受けるのは初めてですが、今日の世界が直面している地球温暖化問題の科学的解明の基盤となる研究成果をあげてきたのです。
共同受賞したドイツのクラウス・ハッセルマンさんは、やはり温暖化の解明に関わった科学者で、イタリアのジョルジョ・パリージさんは少し分野が違いますが、地球の気候のような複雑な現象の解明に関する理論研究を進めてきました。
選考委員会は、真鍋さんが現代の気候の研究の基礎となったと評価し、3人は複雑な物理システムの深い洞察を得ることに貢献したとしています。

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真鍋さんは1958年に渡米して現在のアメリカ海洋大気局の研究員となり、地球の大気と海の水の大規模な循環をコンピューター上でモデル化する「大気海洋結合大循環モデル」を開発。これは言わば、地球の大気と海をコンピューター上に再現したものです。
こうしたコンピューターモデルを使い、その後、気候変動の過去と現在、さらには未来予測を計算で解き明かそうとする研究が世界中で進みました。
地球に降り注ぐ太陽のエネルギーは陸や海を加熱し、このエネルギーは大気や水の循環を通して地球全体に運ばれます。大気中の二酸化炭素など温室効果ガスは、言わばこの大気にため込まれるエネルギーを増やして気温を上げる働きをします。真鍋さんが60年代から開発した循環モデルは、こうした温暖化の影響を具体的に計算する基盤となったのです。
また現在では、地球温暖化はたんに気温が上がるだけの現象ではなく、大雨の降水量や台風の強度を増すなど様々な気象災害の激甚化にもつながることが知られるようになっていますが、真鍋さんは当時既に大気中のCO2増加が水の循環を激しくすることなども指摘しています。まだ地球温暖化の深刻さが、国際社会に広く認識されていなかった時代のことです。

1988年に国連がIPCC「気候変動に関する政府間パネル」を設立。温暖化の科学的知見を初めてまとめた第1次評価報告書には、真鍋さんたちが開発した気候モデルが引用されています。それらの科学的知見を基盤として、1992年には気候変動枠組条約が作られ、この条約のもとで後に今日のパリ協定が結ばれることにつながります。
つまり、真鍋さんは今日私たちの社会が直面している深刻な地球温暖化に、科学的警鐘をならしてきた先駆者と言えます。

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地球温暖化をめぐっては、その後も長い間「これは地球の歴史の中では何度も起きている自然の変動に過ぎず、無理に対策をする必要など無い」などといった、いわゆる温暖化懐疑論が根強くありました。
しかし今年8月、IPCCは最新の第6次報告書を発表。この中で、「人間活動によって温暖化が起きていることに疑う余地は無い」と初めて断定し、世界各国の政府がこれを承認しました。
その背景には共同受賞したハッセルマンさんらの研究の成果がありました。ハッセルマンさんは、気温の上昇のうち自然によるものと人間活動によるものとを識別するための方法を開発してきた科学者です。
近年のコンピューター・シミュレーションの飛躍的な進歩で、現在観測されている気温の 上昇のうち、太陽活動の変化や火山など自然変動によるものはごくわずかで、ほとんどが人間活動によるものだといったことが、具体的に計算できるようになってきたのです。
このように、真鍋さんたちが温暖化の影響の深刻さを論文で示してからおよそ半世紀、懐疑論は明確に否定され、ようやく世界のコンセンサスとなったのです。

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日本でも、今や毎年のように記録的な大雨による災害や熱波などが起きるようになっていますが、真鍋さんたちが先鞭をつけた「コンピューター上で温暖化の影響をシミュレーションする」研究分野は、今や個別の災害や異常気象の分析にも威力を発揮しています。
「温暖化が起きている場合」と「起きていない場合」をそれぞれコンピューター上に再現し、膨大なシミュレーションを行って比較することで、「起きた災害に温暖化の影響がどれぐらいあったか?」を見積もることさえ出来るようになってきたのです。
例えばこの夏、カナダで観測史上最高の49.6℃など北米を記録的な熱波が襲い、ヨーロッパでも記録的な大雨による水害で多くの犠牲者が出るなど、世界各地で異常気象や気象災害が相次ぎましたが、国際研究グループがこれらをコンピューターモデルで分析し、温暖化によって記録的な高温になる確率などが高まっていたことを指摘しています。
このように温暖化のような複雑で不確実性が大きな現象を理解する上で、コンピューターモデルを駆使した研究は不可欠とも言えるようになっています。

今や温暖化の影響は目に見えるように深刻化しており、「気候危機」と呼ばれています。今後はさらに災害の激甚化や、水・食料の不足、生態系の破壊など私たちの生存も脅かされることが予測され、対策が待ったなしになっています。
そして、その被害を回避するためには、気温の上昇を2℃より低く、1.5℃までに抑えることを目指すべきだということ。それを実現するためには、2050年頃には世界全体で温室効果ガスの排出を実質ゼロにする必要があること。こうした知見を得る上でも、コンピューターモデルによるシミュレーションの役割はさらに大きくなっています。

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しかし、実は真鍋さんが1958年に渡米した当初、温暖化の研究をしようとしていたわけではなかったと言います。
研究の目的は大気の大循環をコンピューター上でモデル化することで、それがようやく上手くいった際に「ちょっと道草をしたくなって」二酸化炭素やオゾンなど大気の成分を様々に変えて試してみた、と言います。当時は科学者でさえ温暖化はまだそれほど深刻な問題と考えていなかったのです。
この時、真鍋さんが知的好奇心によって始めた二酸化炭素増加の影響のシミュレーションは、その後の温暖化研究の先駆けと言えるものになりました。

温暖化を科学的にとらえ、将来を予測する手法の扉を開いた真鍋さんたちの受賞決定は、今日の世界にとって大きな意義があると思います。同時に、温暖化の影響をコンピューターモデルで解明することになったきっかけが、真鍋さんの純粋な好奇心からだったということも忘れてはならないでしょう。
日本のノーベル賞受賞は、アメリカ国籍を取得した真鍋さんらを含め28人目になりますが、基礎科学の重要な研究成果の多くは始めた時には何の役に立つかはわからない、科学者の好奇心・探究心から生まれることが大半だと言えます。
真鍋さんは受賞決定後、NHKの単独インタビューにこう答えています。
「好奇心で始めた研究でしたが結果的に世界的に関心の高い問題になりました。日本の若い研究者にも自分の好奇心を大事にして独自の研究を進めて欲しい」と。
    
1958年にアメリカに渡った真鍋さんがこうしたモデル研究を始めてから、温暖化予測という形で世界に評価されるようになるまでには長い年月がかかりました。
科学にも短期的な成果を求めがちな今の日本社会から、こうした先駆的な研究が今後生まれるのには何が必要か?真鍋さんの受賞を機に、あらためて考えてみることが大切だと思います。

(土屋 敏之 解説委員)


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