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パラリンピック閉幕 "共生社会"につなげるために

竹内 哲哉  解説委員

今月5日に閉幕した東京パラリンピック。新型コロナウイルスの影響で原則、無観客となりましたが、自国開催ということもあり、これまでにない関心が集まりました。「パラリンピックの競技を初めて知った」「選手のひたむきな姿に声援を送った」という方も多かったのではないでしょうか。

パラリンピックを振り返り、大会が掲げた「多様性と調和」を実現する“共生社会”とは何かを考えます。

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【安全・安心の大会は実現できたのか】

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パラリンピックにおける最大の課題は選手の安全・安心を確保することでした。新型コロナに感染すると重症化リスクがある選手がいたからです。オリンピックより感染防止策は強化されましたが検査による選手・大会関係者の陽性者は316人。選手の一人が入院するといったことも起きました。

そして、もうひとつ課題がありました。熱中症対策です。最高気温が35度を超える日もあり、障害のため汗をかけないといった選手の健康が危ぶまれました。組織委員会は競技時間を変更する、氷の確保やポータブルエアコンを設置するなどして対応しましたが、大会を通して32人が熱中症の症状を訴え、選手2人が入院はしなかったものの救急搬送されました。

IPC=国際パラリンピック委員会と組織委員会は「大きな問題なし」と大会を総括していますが、関係者によると「現場はぎりぎりの状態。常に緊張感があった」といいます。「ウイルスがまん延するなかでの開催」「夏の暑い時期での開催」については、オリンピックも含め、今後のためにも冷静に検証する必要があると思います。

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【躍動した選手たち】
こうした状況のなか、162の国と地域に難民選手団を加えた史上最多およそ4400人の選手たちは、全員が自己ベストを目指し、ハイレベルな戦いを繰り広げました。

日本選手も躍動しました。競泳の山田美幸選手は14歳で銀メダルを獲得。日本のパラリンピック史上最年少でのメダル獲得となりました。

50歳で金メダルの史上最年長記録を更新したのは自転車の杉浦佳子選手。「最年少記録は2度と作れないけど、最年長記録はまた作れる」の言葉通り、3日後には自らの記録を更新し2つ目の金メダルを獲得しました。

不屈の闘志を見せたのが北京大会金メダリスト・陸上の伊藤智也選手。開幕前日に競技の公平性を担保する「クラス分け」で、これまでよりも一つ障害の程度が軽いクラスと判定されます。

クラスが変わると大人と子どもほど競技力には差が生まれます。結果はメダル候補から一転し予選敗退。しかし、出場した400メートルで自己ベストを更新した姿は、決してあきらめずに前を向くパラリンピアンの象徴だったと思います。

【躍進した日本勢:その背景には】

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今大会、日本は金メダル13個を含む51個のメダルを獲得。リオ大会では金メダルが0でしたので大きく飛躍しました。

なぜ、競技力が向上したのか。その背景にはプロ化や企業のバックアップを受け、競技に専念できる選手が増えたこと。そして、国の施策によりナショナルトレーニングセンターなどがバリアフリー化され競技環境が充実したことやスポーツ庁の管轄下に置かれたことで強化費が倍増したことなどがあります。

こうした流れを止めないようにとスポーツ庁は、来年度のパラリンピック強化費の概算要求に今年度より4億円多い26億円を計上。また競技団体の組織基盤を強化する、具体的にはマネジメントができる人材の育成や活用などを支援する新たな予算も要求しています。

【障害者がスポーツできる環境を】
トップアスリートの環境整備と同様、障害者が望めば誰でも気軽に運動できる環境を整えていくことも重要です。

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スポーツ庁は障害のある成人のスポーツ実施率を週1回以上で40%ほどを目標にしていますが、昨年度の調査ではおよそ25%。一般成人男性がおよそ60%だったのに比べるとかなり低くなっています。

障害者がスポーツをできる環境はどうすれば整えられるのか。参考になるのは江戸川区の取り組みです。江戸川区では既存の施設を整備し、民間企業やパラスポーツのチームなどと連携して、2020年から全国で初めて東京パラリンピックの22競技の練習や体験ができる環境を整えました。

また、区のスポーツ施設に運動に関する相談やコーディネートを行うスポーツコンシェルジュを置き、理学療法士などと一緒になって、障害者それぞれにあったスポーツ、パラリンピック以外のものも含みますが、紹介するなどしています。

担当者によると「パラリンピックで相談が増えている」とのことで、選手の活躍が障害者のスポーツへの意欲につながっていることが垣間見えます。こうした取り組みを全国に広げていくことが重要です。

【大会が伝えたいこと】
選手の姿は、障害のない人にもインパクトを与えました。

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厳しい批判もあるなか実施された「学校連携観戦プログラム」。参加者はおよそ1万5000人と大幅に縮小されましたが、観戦した子どもたちは選手のプレーに目を輝かせました。「障害があってもスピードがすごくてびっくりした」「見えていないはずなのに、積極的にボールを取ろうとする姿がすごい」など、様々な視点で選手たちの“すごさ”について感想を述べています。子どもたちだけでなく観戦した多くの人が感じたことでしょうが、そうした違いを確認することは多様性を考える上で大事な一歩です。

閉会式のテーマは“Harmonious Cacophony”、「調和のとれた不協和音」でした。障害のあるパフォーマーがそれぞれのスタイルで演技をする姿は「みんな違ってみんないい」「できなくても支えあうから大丈夫」という未来の社会を示していたと思います。

社会には選手のような超人ではない、多くの“普通”の障害者がいます。選手の努力は称賛されるべきですが、ただ、それが「努力をすれば障害は乗り越えられる」「できない人は認めない」という誤った価値観につながらないよう気を付ける必要があります。

【目指すべき“共生社会”とは】
パラリンピックは社会を変えるきっかけになるともいわれます。

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文部科学省は2020年度から障害者への理解や気づきを学ぶパラリンピック教育を学習指導要領に組み込み、今年4月からは改正バリアフリー法に基づき義務化された小中学校のバリアフリーの実現、“心の壁”を取り除く教育も始めました。

一方、現状の教育システムでは障害によっては特別支援学校など、障害のない子どもたちとは別の場所で学ぶ子もおり、国内外の多くの識者が障害のある子とない子が共に学ぶ、いわゆる“インクルーシブ教育”が進んでいないと批判しています。“共生社会”を目指すのであれば、発想を転換し一緒に学べるようシステムを見直すことも必要ではないでしょうか。

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こうした“分断”は職場にもあります。障害者の雇用は去年、過去最多のおよそ57万8000人となりましたが、法律が定める障害者の雇用率を達成している民間企業は全体の半数以下。企業のなかには雇用率達成のために障害者だけの部門や子会社を作り障害のある人とない人が交わらない職場もあります。法律には違反してはいませんが、これは私たちが目指す“共生社会”の姿なのでしょうか。

私たちの都合で障害者の環境を作ってはいないか。障害者の声に耳を傾けているか。社会のあらゆる場面で、問い直していかなければならないと思います。

【まとめ】
パラリンピックの招致以来、都心部を中心に駅や建物のバリアフリーが加速し、車いすで生活する私自身、様々な場面で声を掛けられることが多くなるなど、少しずつ暮らしやすくなっていると実感しています。

1964年の東京パラリンピックで作られた記録映画の1本の最後はこう締めくくられています。「さあこれからだ!」この言葉は2度目のパラリンピックを終えた今も通底する言葉だと私は思います。

誰もが暮らしやすい社会に向け、パラリンピックで感じたことを私たち一人ひとりが社会に還元する。社会はつねに変化し、求められるものも変わっていきますので、終わりはありませんが、これからが開幕です。

(竹内 哲哉 解説委員)


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