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「深まる危機への答えは? プーチン大統領年次教書演説」(時論公論)

石川 一洋  解説委員

アメリカとの深まる対立、ウクライナとの軍事衝突再発の危険もはらんだ緊張、そして反体制活動家ナワリヌイ氏が獄中から体制を激しく揺さぶっています。
 21日の年次教書演説にはプーチン大統領の危機感と迷いが見て取れました。
プーチン体制とロシアはどこに向かおうとしているのか、考えてみます。

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プーチン大統領
「ロシア国民の皆様に呼びかけたい。我々は目標の達成のため全力を尽くす。ともに手を取って前に進もうではないか」

21日のプーチン大統領の年次教書演説は総花的な内容で、2018年、新たな核兵器開発を明らかにした時や、大統領の任期制限を含む憲法改正を提案した去年のような驚きはありません。年次教書演説に合わせて反体制派はナワリヌイ氏の釈放を求めるデモをロシア全土で行いました。しかし演説では今年に入って繰り返されてきた反体制デモには一言も触れられていません。理念、道筋を示すというよりも、むしろ低姿勢で団結を呼びかけました。私は逆にそこにプーチン大統領が今回の危機をより深刻に受け止めていることを示しているように思います。

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年次教書演説の眼目は内政では、◆危機における国民の団結、若者への働きかけ、
そして外交では◆アメリカに対して対話を求めるとともに「レッドラインを超えるな」と警告したことです。
まず内政を見てみましょう。

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一言で言えば反体制活動家ナワリヌイ氏に対して守りに徹した年次教書演説といえます。プーチン大統領の最大の政敵ナワリヌイ氏は、今獄中にあり、ハンガーストライキを続けています。彼は、2011年、プーチン氏が大統領復帰を表明した時に全国に広がった反プーチンのデモの中で頭角を現しました。
ナワリヌイ氏は、体制の弱点を正確に捉え、攻撃し、真剣に政権の奪取を目指しています。
プーチン体制の弱点とは何か。プーチン大統領個人に対する国民の信頼、人気によって体制が支えられている点です。善き皇帝プーチンは常に国民とともにあるという信頼です。
ナワリヌイ氏は「プーチン宮殿」の暴露などプーチン氏個人の汚職疑惑を執拗に攻撃し、国民のプーチンへの信頼という体制の基盤を崩壊させようとしているのです。
プーチン大統領は、どのように答えたのでしょうか。

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新型コロナとの戦いが如何にロシアにとって苦しい試練であり、まだ危機は去っていないと率直に認めました。様々な職業で働くエッセンシャルワーカー一つ一つの職業の名前をあげて感謝の言葉を繰り返し、危機の時こそ団結するのがロシアの強みだと国民に呼びかけました。健康医療、格差、貧困の拡大、雇用の悪化など国民が関心の強いテーマについて、低姿勢で様々な問題を認め、とくにナワリヌイ氏の活動を支える学生を中心に若い世代に対しては、バラマキともいえる形で国の支援を表明しました。ナワリヌイ氏の攻撃に対して国民とともにある大統領というイメージを守ろうとしたのです。こうした低姿勢ともいえる訴えは、私は一定の効果はあるとみています。ナワリヌイ氏が欧米との連携を強め、リベラル色を鮮明にしてきていますが、反体制運動の広がりという面ではリベラル色が強いことは限界にもつながります。ロシアはまだまだ保守的な価値観が強く、生活の安定を求める気持ちが強いからです。
秋の下院議会選挙でもおそらく与党が勝利する可能性が強いでしょう。

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しかし21日の演説からは、では生活の安定以外にどのようなロシアを目指すのか、まったく見えませんでした。プーチン大統領は、ロシアの方向性を定めることで自ら主導権を握り、ロシアを率いてきました。権力の座について20年。長期政権による停滞と疲労、そして年齢的な衰えはプーチン大統領本人を含めて隠せません。短期的、戦術的にはプーチン体制が勝利するでしょうが、長期的、戦略的には行き詰まりはますます深刻になるでしょう。

さてアメリカとの対立が深まる外交はどうでしょうか。

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今、アメリカがロシアによるサイバー攻撃や選挙介入を理由として新たな制裁を発表し、ロシアも外交官の追放など対抗措置を取りました。米ロのそれぞれの大使は一時的とはいえ任地を離れ、世界の核兵器の90%を保有する核大国が、お互いの首都に大使がいないという冷戦時代も無かったような異常な状況となっています。

プーチン大統領「レッドラインは超えるな。どこにレッドラインがあるのかは我々が決める」

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プーチン大統領は、アメリカに対して、ロシアとの対話の橋を断ち、レッドラインを超えるべきでないと警告しました。ロシア本国や勢力圏への干渉をするなということでしょうが、具体的に何なのかは明示しませんでした。
プーチン大統領は同時にアメリカにロシアの新型核兵器、そしてアメリカのミサイル防衛も含めた形で新たな包括的な戦略兵器交渉を提案しました。
あたかも冷戦時代のような平和的共存という言葉も用いてアメリカに呼びかけました。まだ曖昧模糊とした提案ですが、中国の参加も視野に入れています。
ロシアは、イランの核合意やアメリカ軍が撤退するアフガニスタン情勢など場合によっては共通利益を見出せる問題でアメリカとの対話の糸口を広げていきたいと考えているものとみられます。
対立はしていてもアメリカとの対話の継続と予想可能な安定した関係がプーチン大統領の本音でしょう。
ただ「レッドラインは超えるな」という発言には非常に危険な側面があります。

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それが一番感じられるのはウクライナをめぐる緊張です。東部ウクライナとの国境付近に、10万人ともいわれるロシア軍が軍事演習の名目で集結しています。ウクライナ東部では2014年、ロシア軍の支援を受けた親ロシア派とウクライナ軍が軍事衝突し、その後停戦が成立しました。バイデン大統領は、オバマ政権の副大統領だった時からウクライナに深くかかわり、ウクライナの民主化を支援してきました。プーチン大統領は、バイデン政権の後押しでウクライナ政府がウクライナの統一回復に動くことを警戒して、圧力をかけるための動きなのかもしれません。しかし「レッドライン」がお互いにどこにあるのか分からない状況の中で、軍が対峙することは、いつ偶発的な衝突が起きて、本格的な軍事衝突につながるか分からない、きわめて危険な状況と言えるでしょう。

プーチン体制は、モノトーンな一つの色の体制ではありません。側近、軍、治安機関、財閥、さらにそれぞれの内部にも異なる利益集団があり、様々なグループがプーチン大統領のもとに集まり、体制を形作っています。
ここ数年、ロシアをめぐり不可解な奇妙な事件が起きています。
私は、プーチン大統領とも接触できる友人に、何故ロシアは欧米から制裁を受けるような、自身の利益にもならないことをするのだと聞いたことがあります。
その友人自身は欧米とも正常な関係を持ちたいと思っているのですが、彼の答えは、「欧米との関係が悪くなればなる方が良いと思っているグループもあるのだよ」というものでした。私は不可解ともいえる事件の背景を解き明かすヒントを聞いたようにも思いました。

2024年3月、あと三年後にロシアは大統領選挙を迎えます。憲法改正によってプーチン大統領自身が再び立候補することは可能ですが、プーチン大統領は迷い、ロシアの道筋を提示することができないでいます。その迷いが、様々なグループの集まったプーチン体制そしてロシアに何をもたらすのか、その後のロシアはどうなるのか。
私はこの三年間を深い懸念とともに注視してゆきたいと思います。

(石川 一洋 解説委員)

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