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「原発事故から10年 司法に求められるもの」(時論公論)

山形 晶  解説委員

東京電力・福島第一原発の事故からまもなく10年です。
司法の場では、今も国の責任の有無や原発の運転の是非が争われ、最高裁判所で判断が確定したケースはありません。
いずれ最高裁が判断を示すことになりますが、それまでにどのように審理を進め、判断を積み重ねていくべきなのか。
司法に求められる姿勢や役割について考えます。

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原発事故の2年後、2013年に、全国の裁判官や研究者が出席して、研究会が開かれました。
テーマは「複雑困難訴訟」。文字どおり、複雑で難しい裁判のことです。

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最大の焦点は、福島第一原発の事故を踏まえて、司法は原発訴訟とどう向き合うか、ということでした。
事故が起きる前、裁判所が原子力発電所の安全性に疑問を投げかけるのは稀なことでした。
その理由は、原子力発電に関する技術は、極めて高度で専門性が高いことです。
司法としては、専門的な能力を持つ規制当局の裁量の大きさを認め、判断を尊重した上で、その過程に問題がないか検討する。
つまり「事後的なチェック」に徹するべきだという抑制的な考え方がありました。
それを具体的に示したのは、1992年に最高裁が伊方原発をめぐる裁判で言い渡した判決です。
この中で、裁判所の審理や判断は、規制当局の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきだという考え方が示されました。
2013年の研究会でも、基本的な考え方じたいは踏襲すべきだという意見が多く述べられました。
ただ、現に事故が起きたことを踏まえて、具体的な論点については、より慎重に、より丁寧に検討すべきだという意見が相次ぎました。
この研究会の議論は、あくまでも意見交換で、最高裁判所の判断のように、全国の裁判所が従わなければならないものではありません。
しかし、その後、各地で示されている司法判断を見ていくと、この時の議論が色濃く反映されているように思います。

事故後、原発をめぐっては、大きく分けると2つのタイプの裁判や仮処分が起こされ、全国で60件ほどが継続しているとみられます。
1つは事故の責任を問い、国と東京電力に賠償を求める裁判。
東京電力は法律で賠償の義務を負っているので、この裁判では、主に国の責任、つまり、過去の国の規制の是非が争われています。
もう1つは、原発の運転停止や国の許可の取り消しを求める裁判や仮処分。
これは、今の規制の是非が争われています。

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まず、賠償を求める裁判を見てみます。
これまでに1審の地方裁判所では14件の判決が言い渡され、国に責任があると認めたのは7件、認めなかったのも7件です。
このほか、ほぼ同じ論点で争われた刑事裁判では、東京地裁が東京電力の元会長ら3人に無罪を言い渡しています。
そして2審の高等裁判所では、3件中2件で、国に責任があるという判断が示されています。
2件とも、事故が起きる前に、規制当局は福島第一原発に巨大な津波が押し寄せることを予測し、事故を防ぐことが可能だったという結論でした。
根拠は、事故の9年前、2002年に、巨大な地震の可能性を示す長期的な評価が公表されていたことでした。
規制当局が当時の最新の科学的知見を考慮していなかったという判断です。
同様の裁判は全国で続いていて、最高裁の判断はまだ示されていませんが、少なくとも過去の規制については、司法は当局に対して厳しい判断を示す傾向が見られるようになっています。

それでは、今の規制についてはどうでしょうか。
事故後、原子力規制委員会という新たな組織が立ち上げられ、規制基準も見直されました。
基準に適合していると認められたのは全国の原発のおよそ半数、9つの原発にとどまっています。
こうした中、ほとんどの裁判所は、規制委員会の審査に合格した原発を対象に、新たな規制基準や規制委員会の判断が妥当かチェックする役割に徹しています。
規制のあり方が見直されたことを踏まえ、「当局の判断を尊重する」という考え方じたいは踏襲した形です。

では、具体的な論点についての判断はどうでしょうか。
原発事故が起きる前、原発の運転停止を命じたり、国の許可を取り消したりした判断は2件で、その後、いずれも覆りました。
事故の後は、運転を認めない判断や国の許可を取り消す判断はこれまでに7件示されています。
このうち5件は、その後、判断が覆っていますが、以前より国の規制に対して厳しいとも受け取れる裁判所の姿勢は、どう評価されているでしょうか。
これは、見解が分かれています。

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原発事故が人の体や地域社会に与える影響の大きさに照らせば、司法が踏み込んで判断するのは当然だという見方もあります。
一方で、専門家ではない裁判官が原発を止めることに対して疑問を投げかける意見もあります。
原発の再稼働を妨げる「司法リスク」という表現で批判する声もあります。
確かに、裁判所が、独自の見解をもとに、規制当局に成り代わって原発の安全性を判断すれば、エネルギー政策に対する介入だという批判が強まるでしょう。
ただ、ほとんどの裁判所は、規制当局の判断を前提に、それに問題がないか検討する形をとっています。
この流れが大きく変わることはないでしょう。
裁判所はいわば「最後のチェック機能」を担う形になっています。
あのような重大事故を二度と起こさないためには、いわば「社会の安全装置」が複数あるというのは、意義のあることではないでしょうか。

その役割を果たすために、司法には何が求められているのか。

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まずは審理の進め方です。現実に事故が起きたことを踏まえれば、住民の主張と、それに対する国や電力会社の主張を、より慎重に、より丁寧に検討すべきなのは明らかです。
地震や津波、火山の噴火のメカニズムと、それが原子力発電所の建屋などに与える影響について、理解不足があってはいけません。
一部の裁判官は、書面のやり取りだけにとどめず、双方にプレゼンテーションを求めたり、専門家を呼んで質問したりするなど、丁寧に審理を進めています。
こうしたやり方を徹底すれば、争点に対する理解が深まり、判断の内容も合理的なものになっていくでしょう。
司法が「最後のチェック機能」である以上、判断の理由は、わかりやすく示す必要があります。
原発に対する考え方はさまざまですが、誰が読んでも「この判断には異論を挟めない」と納得できるようなものにしていくことが大切だと思います。

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そして、もう1つ大切なのは、原発をめぐる社会の状況を注視することです。
私たちがエネルギー源として原子力発電を利用する限り、地震や津波、巨大な噴火によって事故が起きるリスクをゼロにすることはできません。
どの程度の災害リスクなら社会的に許容されるのか、例えば、事故後に注目されるようになった火山の巨大な噴火についてはどの程度考慮すべきなのか、といった点が判断の対象になることがあります。
これは、社会全体の受け止めを裁判官が判断するということにほかなりません。
「社会通念」という言葉で表現されますが、「社会全体にこのような考え方が広がっている」という、ある意味、曖昧な概念です。
それを前提に判断する場合、安易な決めつけは許されません。
災害による原発事故のリスクをどう捉えるかは、人によって大きく異なります。
災害の研究が進んだり、エネルギーをめぐる状況が変化したりすれば、前提も変わるでしょう。
裁判官は、日ごろから社会の声に耳を傾け続ける必要があります。

丁寧に審理を進め、社会の状況を注視する。
これが判断の説得力を増すことになり、その積み重ねが、やがて司法としての最終判断、つまり最高裁の判断につながっていきます。
あの原発事故と、その後の国の規制を司法がどう評価するのか、多くの人が関心を寄せています。
「最後のチェック機能」として、誰もが納得できる判断を示すことができるように、必要な努力を怠らない。
それが司法に求められているものだと思います。

(山形 晶 解説委員)

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