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「湾岸戦争から30年 揺らぎ続ける世界秩序と日本の教訓」(時論公論)

二村 伸  解説委員

イラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争から30年たちました。冷戦終結後最初に起きたこの戦争はアメリカが圧倒的な軍事力でイラクを駆逐し、唯一の超大国としての地位を見せつけました。同時にこの戦争は日本の外交にとっても大きな転機となりました。湾岸戦争が世界に何をもたらしたのか、また、激動の時代を迎えたいま、そこから何を教訓とすべきか、3つの点から考えます。1つは世界秩序の変化、2つ目は日本の国際貢献と安全保障政策への影響、そして3つ目が危機下における情報発信です。

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【VTR:湾岸戦争開戦】
湾岸戦争は1991年1月17日に火ぶたが切られました。クウェートを占領したイラク軍にアメリカを中心とする多国籍軍がミサイルを撃ち込む映像が初めて生中継で世界に伝えられ劇場型の戦争と呼ばれました。2月23日には地上戦が始まりイラク軍が逃走、その5日後戦闘が終結しました。

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この戦争ではイスラム教の聖地を抱えるサウジアラビアにアメリカ軍が駐留し、エジプトやクウェートなどのアラブ諸国も多国籍軍に参加、ソビエト連邦もイラクへの攻撃を支持するなど世界がアメリカの意向に従いました。アメリカによる一極支配が冷戦終結後の新しい秩序であることを見せつけました。しかし、アメリカの一極支配は長くは続きませんでした。

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サウジアラビアでは異教徒のアメリカ軍兵士が我が物顔にふるまっているといった反発が日増しに強まるのを現地で取材していても感じました。アメリカの支援を受けてソビエト軍と戦ったサウジアラビアの財閥の御曹司、オサマ・ビンラディンは、アメリカ軍の駐留に反発し国際テロ組織アルカイダを率いて反米活動を始めました。98年ケニアやタンザニアのアメリカ大使館を爆破、2001年にはアメリカ本土で同時多発テロ事件を起こしました。アメリカはアルカイダをかくまったとしてアフガニスタンのタリバン政権を攻撃して崩壊させ、2003年にはイラクに侵攻してフセイン政権を倒しました。しかし、このときは国連の決議なしの武力行使にヨーロッパの同盟国からも反対の声が上がり、中東では反米感情が高まり過激派のテロも頻発しました。アメリカの求心力が大きく低下したのです。

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冷戦の終結により平和が訪れるとの見方が間違いだったことを世界は思い知らされました。これは第二次世界大戦後の世界の武力紛争の数です。湾岸戦争直後に減り始めた紛争は再び増加に転じ、地域紛争や宗教・宗派、民族間の対立、それに過激派の活動が活発化し、国家間の戦争ではない、いわゆる「非対称の戦争」が増えました。アメリカの影響力の低下もあって戦闘は歯止めがかからず、シリアやアフガニスタンなどのように紛争が長期化する傾向が強まっています。

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アメリカに代わって影響力を増したのがロシアと中国です。拡張主義を強めるこの両国に対してアメリカはすでに世界の警察官としての役割を放棄しており地域の安定はおぼつかず民主主義や人権がないがしろにされかねません。アメリカへの過度の依存から脱し、ヨーロッパやアジアの国々との連携強化も必要でしょう。また地球の温暖化や新型コロナの感染拡大など地球規模の問題に対処するためには国連を中心とした国際社会の結束が不可欠ですが、国連は機能不全に陥っています。シリア紛争がいまだ終結のめどが立たず、イラクのクウェート侵攻とは対照的にロシアのクリミア半島併合には何ら有効な手を打てませんでした。国連の機能をいかに強化するか、喫緊の課題です。

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湾岸戦争はまた、日本の外交の大きな節目となりました。
日本は多国籍軍に130億ドル、当時のレートでおよそ1兆8千億円もの資金を拠出しながら人的貢献がなかったことから小切手外交と揶揄されました。戦争後にクウェート政府がアメリカの新聞に出した感謝の広告に日本の名前がなかったことから「日本の外交の敗戦」だといった声も上がりました。そこで日本は戦争の翌年、自衛隊のPKO・国連平和維持活動への参加を可能にするPKO協力法を成立させ、カンボジア再建のためのPKOに自衛隊が参加、その後もアフリカや中東に自衛隊が積極的に派遣されるようになりました。
元外交官で日本の安全保障に詳しいキヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦研究主幹は「冷戦が終結し安全保障をめぐる議論が進まないことに危機感があった。湾岸戦争を機に日米安保に関する議論が活発になり、日本の領土外での自衛隊の活動を可能にした周辺事態法の成立につながった」と述べています。その後の安保法制をめぐっては憲法違反だとの批判もあり激しい論争が続いていますが、湾岸戦争を機に日本の安全保障のあり方が問われるようになったのはたしかです。

一方、湾岸戦争は、危機的な状況下ではときに事実がゆがめられることを教訓として残しました。すでにこのときから世界は様々なフェイクニュースに翻弄されていたのです。

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一方、湾岸戦争は、危機的な状況下ではときに事実がゆがめられることを教訓として残しました。すでにこのときから世界は様々なフェイクニュースに翻弄されていたのです。その最たるものが、「油まみれの水鳥」です。アメリカは「イラク軍が破壊した石油施設から流れ出た重油によって身動きが取れなくなった」と説明し、イラクの野蛮な行為の象徴として世界にユースが流れましたが、戦争後重油はアメリカ軍の攻撃で流出したものと判明しました。アメリカ軍の虚偽の発表を私たち日本の報道陣をはじめ世界のメディアが発信したのです。
戦争前のアメリカ議会での15歳の少女の証言も衝撃でした。少女は「クウェートを占領したイラク軍兵士が病院の保育器から新生児を次々と取り出して床に放り出し死なせた」と涙ながらに目撃談を語りました。この証言で世論が一気に戦争支持に向かいましたが、実は作り話でした。少女はアメリカに住んでいたクウェート大使の娘で、イラクへの武力行使をうながすためのプロパガンダだったことが戦争後の現地取材などで明らかになったのです。その12年後に起きたイラク戦争でもイラクが大量破壊兵器を保有しているというアメリカの主張をなんの根拠もなく日本を含む多くの政府が鵜呑みにして戦争を支持しました。イギリスでは戦後徹底的な検証が行われ、事実でない情報に基づいて戦争に参加したとしてブレア首相は退陣を余儀なくされました。しかし、日本では十分な検証は行われませんでした。
戦争の現場で何度も感じたのは、情報を収集・分析する能力や日本の立場を国際社会に広く理解してもらうための発信力が足りないということでした。情報を正しく分析し国民に丁寧に伝えることがいかに重要か、コロナ禍であらためて認識されたのではないでしょうか。
湾岸戦争からの30年、世界はアメリカの一極支配から多極化へと変質しました。これからの30年は、中国とインドの影響力が強まり、世界はより不透明さを増すことも予想されます。そうした時代だからこそ、国際社会で日本はどのような役割を果たそうとしているのか長期的な戦略が欠かせません。今後の国際貢献と安全保障のあり方を考えるうえでも30年前の戦争から学ぶことは少なくないと思います。

(二村 伸 解説委員)

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