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「袴田事件 再審は始まるのか? 制度のあり方は」(時論公論)

山形 晶  解説委員

長年、えん罪の可能性が取りざたされてきた、いわゆる「袴田事件」。
裁判をやり直す「再審」を始めるかどうか、改めて審理が行われることになりました。
最高裁判所が、再審を否定した東京高等裁判所の判断を取り消したのです。
事件から半世紀あまりも「死刑」と「無罪」の間で揺れ続けているこの事件からは、再審制度の見直すべき点が見えてきます。

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【袴田事件 その問題点は】

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事件が起きたのは54年前。
今の静岡市清水区で、みそ製造会社の役員の自宅が放火され、焼け跡から子どもを含む一家4人が殺害されているのが見つかりました。
その2か月後、会社の従業員だった袴田巌さんが逮捕されましたが、裁判では無罪を主張しました。
問題は、事件の発生から1年2か月後、裁判が始まった後になって、有罪の決め手となる証拠が見つかったことです。
それは、みそ工場のタンクの中から見つかった、血痕の付いた衣類です。
事件直後の捜索では、見つかっていませんでした。
衣類は、袴田さんが持っていたものとされ、血痕は、血液型から被害者のものとされたことから、裁判で有罪の決め手となり、死刑が確定しました。
しかし、調べたはずの場所から、なぜ1年2か月も経ってから見つかったのか。
この不自然さが、何十年も争いが続く原因となりました。
袴田さんの弁護団は、衣類は見つかる直前に第三者がタンクに入れたもので、捜査機関によるねつ造の疑いがあると主張しています。
そして、死刑判決を取り消し、もう一度裁判を開いて有罪か無罪か審理をやり直す再審を求めています。
この事件は、無実を訴える袴田さんの名前にちなんで「袴田事件」と呼ばれるようになり、えん罪かどうかが争われる多くの事件の中でも象徴的な存在となっています。

【再審までの長い道のり】

しかし、再審が開かれるまでには、長い道のりがあります。
裁判所が、非公開の手続きで審理を行い、無罪の可能性を示す新たな証拠があるかどうかを慎重に検討するからです。

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袴田事件では、6年前、静岡地裁が再審を認め、袴田さんは釈放されました。
DNA鑑定によって、有罪の決め手とされた衣類が袴田さんのものではない可能性が示されたという理由でした。
しかし、おととし、東京高裁は再審を認めない決定をしました。
DNA鑑定の手法には疑問があると判断したからです。
そして今回、最高裁は、東京高裁の決定を取り消し、もう一度高裁で判断するよう審理を差し戻しました。
今後は、東京高裁で、改めて衣類が袴田さんのものなのか、そして、再審を認めるかどうかが判断されます。
再審の道は残されましたが、審理にはさらに数年かかるものとみられ、いっそう長期化することになりました。

【あと1人で「再審」 割れた最高裁の意見】

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実は、最高裁の判断は、3対2のわずかな差で決まったものでした。
多数派の3人は、「衣類の血痕の色が不自然だ」という弁護団の主張に対して、高裁が審理を尽くしていなかったとして、差し戻すべきだと判断しました。
一方、少数派の2人は、衣類は袴田さんのものではない可能性があると認めました。
そして、審理を差し戻すとさらに時間がかかるとして、反対する意見を述べました。
すぐに再審を始めるべきだという考えです。
あと1人がこの意見に同調していれば、最高裁として再審を認めることになっていました。

【再審制度に見直すべき点はないのか】

袴田さんは今、浜松市で姉のひで子さんと暮らしています。
死刑執行と隣り合わせの拘置所での生活が心をむしばみ、今も意思の疎通が難しい状態ですが、死刑と無罪の間でいつまでも揺れ動く今の状況をどう思っているのでしょうか。

ここからは、再審の制度に見直すべき点はないのかを考えます。
再審に関する規定は、およそ100年前の旧刑事訴訟法の規定をほぼ引き継いだもので、今もそのままです。
専門家や日弁連・日本弁護士連合会などは、具体的な見直しを提言しています。
主な論点は、2つです。

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1つ目は「検察による不服申し立ての禁止」です。
これは、再審が始まるまでに「時間がかかり過ぎる」という問題です。
さきほど説明したとおり、再審を認めるかどうかは非公開の審理で決まります。
袴田事件のように、いったん再審が認められても、その後取り消されたり、その判断がさらに取り消されたりすることもあります。
実際に、無罪が確定したケースでも、かなりの時間がかかっています。
例えば、無期懲役とされた男性2人の無罪が確定した「布川事件」。
地裁で再審を認める決定が出た後、検察は最高裁まで争いました。
その後、再審が開かれ、無罪が確定しましたが、地裁の決定が出てから5年8か月後のことでした。
再審について判断を求められた裁判所が、たとえ1か所であっても、有罪判決に疑問を感じたということには、重みがあるはずです。
一度でも再審を認める判断が示されたら、速やかに再審に移行し、公開の法廷で有罪か無罪かを争う制度にすることは考えられないでしょうか。
日弁連などは、再審を認める決定に対して検察が不服を申し立てられないようなルールを設けるよう提案しています。
袴田事件がたどっている経過を考えれば、耳を傾けるべきではないでしょうか。

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論点の2つ目は「証拠開示のルール化」です。
この提案の背景には、「無罪を示す証拠が埋もれている」という問題があります。
検察官は、強制的に捜査を進める権限を持っていて、捜索を行ったりして、さまざまな証拠を集めることができます。
通常の刑事裁判では、裁判が始まる前に検察官が持っている証拠を弁護士に開示する手続きがルールとして定められています。
これは、検察官が集めた証拠の中に、弁護士から見れば無罪を示す証拠が埋もれている可能性があるからです。
弁護士は、検察官が保管している証拠の中から、例えば被告のアリバイを証明するのに役立ちそうな証拠などを開示するよう求めることができます。
しかし再審の手続きでは、証拠の開示については何もルールが定められていません。
証拠の開示を求めるかどうかは、それぞれの裁判官の判断しだいです。
日弁連などは、通常の刑事裁判と同じようなルールを再審の制度にも取り入れるよう求めています。
しかし、具体的な議論は進んでいません。
再審請求にはさまざまなケースがあり、件数も多く、ルールを作って一律に定めるのは難しいという意見もあります。
ただ、証拠の開示がきっかけとなって、再審につながったケースがあるのも事実です。
私は15年ほど前から再審事件の取材を続けていますが、そうしたケースをいくつも見てきました。「布川事件」もその1つです。
問題は、裁判官によって温度差が大きいことです。
個々の判断に任せるのではなく、どのようなルールならうまく運用できるのか、具体的な方法を考えるべきではないでしょうか。

袴田さんは3月に85歳になります。
これからまた高裁での審理が始まり、いつになったら結論が出るのか、まったく見通せません。
法務省や国会には、その結論を待つのではなく、再審の制度を見直す必要がないのか、具体的に検討してもらいたいと思います。

(山形 晶 解説委員)

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