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「台風19号から1年 命を守る避難と共助」(時論公論)

二宮 徹  解説委員

関東甲信や東北を記録的な大雨が襲った台風19号から1年がたちました。各地で河川が決壊・氾濫するなどして、死者・行方不明者は関連死を含めて115人にのぼりました。
私は、この8月まで2年間、NHK長野放送局に勤務していました。防災報道をする中で、千曲川が氾濫し始めた時の緊張と、決壊した様子の中継映像を見た時の衝撃は、今も鮮明に覚えています。
毎年のように起きる台風や大雨の被害から、私たちはどのようにして命を守ればいいのか。
長野市では、堤防が決壊する前に住民の多くが避難していました。このケースから避難や共助を考えます。

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<台風19号 当時の長野市は?>
私は当時、千曲川が決壊した地区から車で30分足らずのNHK長野放送局にいて、防災や避難を呼びかける放送にあたっていました。
大雨特別警報が出たのは12日午後3時半。長野県で初めての特別警報で、まさかという思いでした。雨は激しくなり、川の水位はみるみる上がっていきました。長野市は、千曲川沿いの長沼地区などに午後6時に避難勧告、午後11時40分に避難指示を出しました。

翌13日午前1時すぎ、長沼地区で水が堤防を越え、その様子は国土交通省がホームページでも公開しているカメラに映っていました。その後、カメラが流されて何も映らなくなり、消防団などへの電話もつながりませんでした。
私は、これまでの災害取材で、情報や連絡が途絶えた地域で深刻な被害が出ていたということを何度も経験していたので、不安が高まりました。
そうした中、午前5時半、長沼地区が見える高台に送ったカメラマンから衝撃の中継映像が飛び込んできました。堤防が決壊して、水が勢いよく流れ込んでいたのです。この時、おととしの西日本豪雨で51人が亡くなった岡山県倉敷市真備町など、過去の大きな決壊被害が頭に浮かびました。浸水は、リンゴ畑や新幹線の車両基地を含め、広さ10平方キロ近くに及び、2人が亡くなりました。

<半数以上が避難情報で避難>
後になって、堤防の決壊は午前4時ごろだったことがわかりました。そして、当時、地区には2000人以上がいて、その多くが決壊する前に避難していたこともわかりました。
あの夜、住民たちは、どうして、いつ避難したのでしょうか。
NHK長野放送局が専門家の協力を得て、被災1年に合わせ、住民およそ2300人にアンケートを行い、1000人あまりの当時の行動がわかりました。

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避難を考えた時期は、34%が避難勧告の出た午後6時ごろ。22%が避難指示の出る午後11時半ごろでした。合わせて半数あまりが避難情報をきっかけに避難したことがわかりました。
一方で、実際に避難するまでにかかった時間は1時間が最も多く、全体のほぼ半数は危険が迫る午前0時まで自宅にとどまっていたと見られます。

<避難行動を再現>
アンケート結果から、住民の動きを再現しました。黄色い点が一人、または家族など一緒に行動した人たち。

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青や緑が浸水範囲のシミュレーションです。
特別警報が出た1時間後、夕方4時半ではほとんど動いていませんでした。避難が活発になるのは、避難勧告や避難指示が出されてから。午前0時の時点でほぼ半数が避難しました。
しかし、水が堤防を越えた午前1時過ぎ、浸水範囲が広がり始めました。この時間、避難する人たちが再び増えました。
そして、決壊した午前4時ごろから、一気に浸水の範囲と深さが増します。まだ自宅にいたのはおよそ15%。屋根や2階で助けを求めました。
 
<命を守った共助>
私が今回のアンケート結果で注目したのは、決壊前に避難した人が約8割もいたことです。過去の水害と比べて、かなり高い割合です。
詳しく聞くと、いくつもの助け合い、「共助」がありました。一つ一つは小さな助け合いですが、積み重ねたことで多くの人の命が助かったのだと思います。

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避難を考えたきっかけで最も多かったのは、自治会や消防団、身近な人からの呼びかけで、合わせて37%にのぼりました。例えば、一人で避難できない高齢者と、その人を迎えに行く人のペアがあらかじめ決めてあり、民生委員が夕方には電話をかけて避難を始めてもらっていました。
ほかにも事前の取り決めが役立ちました。地区で唯一の4階建ての運送会社に掛け合い、避難できるよう協定を結んでいたのです。会社の協力で、およそ30人が避難できました。
消防団のとっさの判断も命を助けました。水が堤防を越えた午前1時すぎ、ずっと使っていなかった半鐘を5分間、打ち鳴らして、地区中に危険を知らせました。この半鐘をきっかけに避難した人は10%もいて、迷っていた人たちへの最後の後押しになりました。
こうした防災意識を代々つないできたのが、決壊箇所からわずか100mのお寺にある水位標です。江戸時代から今回で7度目。水害に遭う度にその深さを記録し、地区全体で水害の恐ろしさを受け継いできました。毎年訓練を欠かさず、住民の連携を深めながら備えてきたのです。

<避難時の危険> 

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水害が起きた時間や規模を考えると、他の地域であれば、避難した人はもっと少なく、被害はより大きくなっていたと思います。ただ、それでも2人が死亡したほか、避難が遅れた人も多くいました。それに、避難の途中に直面する危険は、ここでも大きな課題となりました。
避難の際に危険を感じたという人は49%にのぼりました。暗闇の中、冠水でどこが道路かわからなかった、
道路が川のようで水が押し寄せてきた、避難先の駐車場にも水が来たという人のほか、車が動かなくなった人もいました。

<自助・共助を支える公助>
住民全員がもっと早く、安全に避難するにはどうすればいいのか。長沼地区は今も自治会などで話し合いを重ねています。そして、こうした自助や共助をさらに進めるためには、公助、つまり行政の役割も重要です。

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長野県では、国の河川事務所や市町村などの防災担当者が集まり、反省点や改善策の検討を続けていて、
予報や川の水位を目安に、段階ごとの対応を詳しく決めておく「タイムライン」の運用を流域全体で始めました。これにより、避難勧告などの情報発信や避難所の設営などが、より早く的確に行えると期待されます。

<具体的な備えを進めよう>
先月、九州などで最大級の警戒が呼びかけられた台風10号のように、台風の多くは、少なくとも数時間前までには避難することができます。しかし、前線や積乱雲による突然の大雨など、避難の準備がほとんどできないケースも多くあります。
早めの避難や事前の備えをすることで、命の危険に遭う確率は確実に下げられます。長沼地区のように、私たち一人一人、それに地域が、もっと具体的に考え、備えておく必要があります。

(二宮 徹 解説委員)

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