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「実現するか『デジタル円』」(時論公論)

櫻井 玲子  解説委員

日本銀行は来年度の早い時期に「デジタル通貨」の実証実験を始めると発表しました。
中国が「デジタル人民元」の実用化に向けて動きを加速する中、日本も、ヨーロッパやアメリカとともに、研究を急ぐ構えです。
私たちが「デジタル円」という新しい形の通貨を使う日は来るのでしょうか。
日銀の示した考え方や、今後の見通し、そして課題について、お伝えします。

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まず、ここでいう「デジタル円」とはなにか、を説明します。
「デジタル円」とは、民間企業が出している「電子マネー」や「仮想通貨」とは違い、中央銀行である日銀、つまり国の信用で発行する通貨です。
日銀がおカネを、紙幣やコインではなく、電子データの形にして発行し、インターネットなどを通じて使えるようにするものです。
現金と同じ価値を持ちますが、お金のやりとりの記録が電子上で残るのが特徴です。
デジタル円を導入すれば、▼利用者が支払いや海外送金を簡単にできるようになること、また、▼脱税や偽造などの犯罪行為を抑えることができるプラス面があります。
一方で▼サイバー攻撃で、資金が盗まれたり、利用者の個人情報をはじめとするデータが流出したりするのを防げるかが大きな課題となります。

日銀はこのデジタル円について「今の段階で発行する計画はない」としています。
ただ、その一方で、来年度の早い時期から実証実験は行なう、とも発表しています。
なぜ、「デジタル円」の可能性を研究する必要があるのでしょうか?

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理由の一つは社会のデジタル化が急速にすすみ、通貨の利便性の向上が求められているからです。技術革新が加速し、また、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大で社会全体に大きく変わる中、直接現金を持ち歩かなくてすむ「非接触型の決済」、「中央銀行の責任のもと、安心して使えるデジタル通貨」に関心が集まっています。

もう一つ、より大きな注目を集める理由は、世界各国、特に、中国が「デジタル通貨」の研究を急いでいるからです。
中国は再来年に北京で開かれる冬のオリンピックを目指して、デジタル人民元の開発をすすめています。先週からは、深センで5万人に「デジタル人民元」を配り、市内の店で使えるようにする、街角での実験を始めました。
こうした動きに、国際社会からは、中国がデジタル人民元を国内外に広め、個人のカネの動きを勝手に監視したり、そこから得られるビッグデータを独占したりしてしまうのではないか。東南アジアやアフリカなど中国が影響力を強めている地域で、デジタル人民元を通じた融資や決済を迫ることで人民元の存在感を高め、世界の通貨覇権を握ろうとしているのではないか?といった警戒感が高まっています。
日本でも、経済安全保障の観点から、政府や日銀に対し、「デジタル円」の検討を急ぐよう、促す声があがっています。

こうした中、日銀は、ことしのはじめから、ヨーロッパやカナダ、そして途中からはアメリカも加わった、中央銀行によるデジタル通貨の共同研究に参加してきました。そして来年度から実証実験を行う上で、デジタル円をどう考えていくかのポイントを公表しました。大きく3つあります。

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▼一つ目は、「デジタル通貨と現金の共存」です。
これは、デジタル円を発行しても、すぐに現金を廃止するわけではなく、現金もデジタル円も並行して両方使えるようにする、という趣旨です。実際、セキュリティの面から考えると、現金からデジタル円に一気に切り替えるには危険もあります。最初は、一人が使えるデジタル通貨に上限額を設けて、段階的な導入をはかるといったことも考えられます。

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▼二つ目は、「誰でも使える通貨にする」ということです。
デジタル円は現金と同じものですから、スマートフォンをもっていない人は使えない、とか、デジタルの操作がわからないと使えない、となると困るわけです。子供からお年寄りまで、安心して使える仕組みが必要です。国内で広く使われているICカードなどのようなものを国民に配布するのはどうか?という話もアイディアの一つとして、聞かれます。

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▼そして三つ目に「民間との役割分担」つまり銀行や民間企業のビジネスを妨げないようにする、という考え方です。
日本では、すでに、民間企業が電車やバスに乗る時の交通系のICカードや、クレジットカード会社が発行する電子マネーが普及しています。日銀がデジタル通貨を発行するなら、こうしたものは一切いらない、となれば、民間企業の努力を無駄にしてしまいます。またデジタル通貨があれば、銀行口座は必要ない、と利用者が現金を引きあげたりすれば、民間の銀行はつぶれてしまいます。

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そこで、日銀はデジタル通貨を発行しても、現金と同じように、いったん銀行などを通して、個人や企業に流通させる「間接型」のしくみを考えていて、民間とともに、より使いやすいしくみを検討したいとしています。
日銀はこのような考え方をもとに、まずは、技術面を主に検証する実証実験を急ぐ予定です。ただ、中国がスタートさせたような、街中での実験は、まだ、先になります。

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では、私たちが「デジタル円」を使う日は、近づいているのでしょうか。
まずは、私たちの大事な財産や個人情報を守ることが可能な技術や仕組みを、実証実験を通じて検証する必要があります。
「デジタル円」が流出したり、盗まれたりすることは絶対に許されません。
また、おカネのやりとりをはじめとする個人情報のデータが、政府に勝手に閲覧されたり、第3者に悪用されたりしないよう、国民的な議論を尽くしてルールを作ることが、大前提となります。そう考えると、ハードルは、依然として高い、といえそうです。

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その一方で、中国のデジタル人民元発行に向けた準備など、海外の動きをどう見るかも問われています。
ヨーロッパは、中国への警戒感から、来年半ばにも「デジタルユーロ」を発行するかどうか、判断する方針です。今月からは、民間からの意見の募集も始めています。
また、慎重だったアメリカが、途中から日銀やヨーロッパとの共同研究に加わったのも、危機感が高まっているあらわれでしょう。
デジタル人民元が実際、すぐさまドルにとってかわるような、国際的な信用を得られるかは別として、中国に先行され、そのノウハウの蓄積をもとに、この分野の主導権を握られるのは許したくない、という姿勢が、みてとれます。
このように世界各国で研究がすすみ、また国内でも社会のデジタル化によって、私たちの生活が大きく変わる中、通貨の形も、遅かれ早かれ、変革を迫られるのではないでしょうか。

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この際、注意すべきは、日本が「イノベーションのジレンマ」に陥らないようにすることです。イノベーションのジレンマとは、現状がうまくいっていることから、実は足元で地殻変動が起きていることに気づくのが遅れ、いつの間にか、時代の変化に取り残されてしまうことを言います。
例えとして使われるのが、カメラメーカーが自分の会社のカメラが、今よく売れているからと安心しているうちに、スマートフォンで写真をとる人が増えているのに気がつかず、いつの間にか、カメラが売れなくなっていた、という話です。
日本も、現金決済の利用が依然として多く、現状に問題は生じていない、という点にばかり注目していると、世界的な変革の流れから取り残される心配もあります。

デジタル円を発行するかどうかは、最終的には、国民・政府の判断に委ねられます。
そのためにも、日銀は研究を急ぎ、変化に柔軟に対応できる選択肢を示せるよう、備えていくことが、今、求められているのではないでしょうか。

(櫻井 玲子 解説委員)

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