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「アメリカスポーツに広がる人種差別撤廃への動き~アスリートの主張をどうとらえるか」(時論公論)

小澤 正修  解説委員

アメリカのスポーツ界で、人種差別撤廃を求める動きが大きなうねりとなりました。テニスの全米オープンで優勝した日本の大坂なおみ選手は、警察官による黒人への暴行・死亡事件が相次いだことを受けて、差別への抗議を表明。事件に巻き込まれて亡くなった黒人の名前を記した黒いマスクの着用で抗議の意思を示し、大きく注目されました。人種差別の解決は世界共通の課題です。ただ、こうしたアスリートの言動には、「スポーツに競技以外のことを持ち込むな」という声があるのも事実です。これをどう受け止めるのか、考えます。

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解説のポイントです。
① 一連の事件がアメリカスポーツ界に与えた影響
② なぜ大きなうねりになったのか
③ 主張するアスリートをどうとらえるか

▼アメリカスポーツが受けた衝撃

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ことし5月、黒人男性が白人警察官に押さえつけられて死亡した事件を受けて、アメリカスポーツ界で人種差別撤廃を訴える抗議の活動が広がりました。黒人選手が全体の8割を占めるバスケットボールのNBAでは多くの選手が抗議デモに参加。大リーグでは、相次いで試合が中止となり、背後から黒人男性が銃撃される事件が起きたウィスコンシン州を本拠地とするブルワーズなどの選手たちは、すぐさま人種差別に抗議する声明を発表しました。アメリカスポーツ界全体に広がったこの動きは、先住民差別撤廃への取り組みにも波及し、アメリカンフットボール、NFLのレッドスキンズは、チーム名を「ワシントンフットボールチーム」に変更すると発表。数十年に渡って先住民の肌の色を差別的に表現していると批判されながら、変わることのなかったチーム名が、わずか2か月ほどで変更されたのです。一連のできごとからは、改めて今回の事件がアメリカスポーツ界に与えた衝撃の大きさがうかがえるのではないかと思います。

▼注目された大坂なおみ選手の言動

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この動きを、私たちがより身近な問題として受け取ったのは、テニスの大坂なおみ選手の言動だったと思います。全米オープンで2回目の優勝という快挙を達成した大坂選手は、豪快なプレーだけではなく、人種差別への抗議の意思を示した言動が大きく注目されました。全米オープン開幕直前には、出場していたアメリカでのツアー大会準決勝を棄権すると表明。最終的に棄権は撤回しましたが、全米オープンでは、事件に巻き込まれて亡くなった黒人の名前を記した7枚のマスクを決勝まで着用し、抗議の意思を示しました。ハイチ出身の父親と日本女性の母親を持ち、幼少期からアメリカで過ごした多様なバックグラウンドを持つ大坂選手は「テニスより大事な問題がある。白人が主流の競技で、議論を始めるきっかけにできれば」と説明しました。こうした言動には称賛の声があがる一方、「スポーツに競技以外のことを持ち込むな」という声や、ツアー大会棄権の表明に関して「対戦相手への敬意がないのではないか」という批判もありました。トップアスリートの言動をどう受け止めるのか、議論となったのです。

▼アメリカのアスリートにとっては「珍しくない」

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大坂選手のように、社会問題に対して自身の主張をはっきり示すアスリートは、海外、特にアメリカでは、珍しくありません。キング牧師が暗殺された1968年に行われたメキシコオリンピックでは陸上男子200メートルの金メダリスト、トミー・スミス選手が黒人差別に抗議し、銅メダルを獲得した選手とともに表彰式で黒い手袋をしてこぶしを掲げました。また4年前には、NFLでもコリン・キャパニック選手が試合前の国家斉唱の間にひざをつき、当時も相次いでいた黒人への暴行事件に抗議の意思を表しました。この結果、スミス選手は追放処分に、キャパニック選手は、そのシーズン以降、契約を結ぶチームがなく、プレーできない状況となりました。しかし少なくない数のアスリートたちが、築き上げた名声や富を失ってしまうリスクを承知で、今自分に何ができるのか、はっきり自身の主張を示してきたのです。本人だけでなく、家族や友人にまで広げると、差別がより近い問題として存在すると思われる大坂選手にも、こうしたアスリートたちと同じ、強い意思があったのではないかと思います。

▼大きなうねりになった背景は

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アメリカのアスリートを行動に駆り立てる背景には何があるのでしょうか。そこからは、アメリカスポーツならではの理由が見えてきます。根底に「実力がすべて」の能力主義があり、それは基本的にあらゆる差別とは相いれないため、スポーツが様々な社会変革、特に根深い人種差別との闘いの場となってきたという土壌です。1947年に初めての黒人大リーガーとなったジャッキー・ロビンソン選手は、差別と闘いながら自身の能力を証明し、社会変革に先行したその活躍は公民権運動を推進する役割を果たしたとされています。アメリカ文化が専門の慶応大学の鈴木透教授は「アメリカでスポーツは、民主主義と、集団統合のツールとして機能してきた歴史的な発展経緯があるため、アスリートには弱者に寄り添う姿勢が求められてきた」と指摘しています。さらにことしは新型コロナウイルスによって、スポーツが強制的にできなくなる時期があり、黒人の低所得者に感染が広がったことも伝えられました。“健全な社会でなければスポーツはできない”ことが突き付けられた最中に起きた、一連の黒人に対する事件に、弱者に寄り添う土壌のあるアスリートたちが、社会を健全にするための行動をとらなければ、と改めて使命感を持ったことが今回の大きな流れにつながったのではないでしょうか。

▼アスリートの主張をどうとらえるか

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では、来年に東京オリンピック・パラリンピックの開催を控える我々は、主張するアスリートをどうとらえればよいのでしょうか。以前からスポーツと競技以外のことを切り離すよう求める声は根強くありますが、まず、明確にしておきたいのは、人種差別の解決は世界共通の課題だということです。アスリートもひとりの人間であり、表現の自由があります。オリンピック憲章では、競技会場などでの政治、宗教、人種に関する宣伝活動を禁じる一方で、その根本原則では「スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てる」ことを掲げています。本来スポーツ、そしてアスリートは、社会の動きと離れた別世界に存在するものではないのです。ですので、今回のような国際社会全体が解決に向けて努力する普遍的な問題について、大坂選手が行ったような弱者によりそった問題提起は、尊重されるべきではないかと思います。ただ、知名度の高いアスリートは影響力があるだけに、その力を利用しようと様々な人たちが集まってくることも事実です。利害関係の対立するあらゆる課題が競技会場などに持ち込まれた場合、スポーツが成り立たなくなってしまう可能性もあります。このため、利害関係の対立する問題を持ち込ませない仕組みをどう作るか、今後の大きな課題ではないかと思います。

▼東京大会に向けて
大坂選手は、全米オープン優勝後、黒いマスクの着用でどのようなメッセージを発信したかったのかを問われ、「あなたはどのように受け取りましたか?」と問い返し、自身の取り組みを議論のきっかけにしたかったと強調しました。問いかけられたものは何なのか。大坂選手を含めたアメリカスポーツ界での大きなうねりは、東京オリンピック・パラリンピックを前にした我々にとって、スポーツと社会の発展をどう結びつけるのか、改めて考える必要があることを示しているのではないかと思います。

(小澤 正修 解説委員)

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