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「『2度目の1年前』 パラリンピック開催の課題」(時論公論)

竹内 哲哉  解説委員

本来ならば、きょう、華々しく開会式が行われるはずだった東京パラリンピック。新型コロナウイルスにより、開幕は来年8月24日に延期されました。しかし、感染拡大が収束する気配は一向になく、先が見えない不安に人々の心はすさみ、スポーツへの関心は薄れています。

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今日の時論公論は、一人一人を尊重する多様性の祭典、パラリンピック開催の課題を考えます。

解説のポイントです。
① 新型コロナウイルスとパラアスリート
② 競技の公平性は担保できるか 
③ 最後にパラリンピックの価値を見つめます。

<来年のパラリンピックは?>

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今月3日、来年に延期された東京パラリンピックの競技スケジュールが発表されました。日程はことしの計画から1日前倒しした8月24日からの13日間。すべて同じ会場、同じ日程で22競技539種目が行われます。そして、最大182の国と地域からおよそ4400人の選手の参加が予定されています。

<新型コロナウイルスのパラアスリートへの危険度>
果たして計画通り大会は開催できるのか。立ちはだかるのは新型コロナウイルスです。IPC、国際パラリンピック委員会がまとめた報告書によると「パラアスリートが一般の人に比べて新型コロナウイルスに感染しやすいという医学的証拠はない」ものの、脳性麻痺や脊髄損傷など呼吸機能が弱い、あるいは進行性の病気を抱えていると、感染したときに重症化の可能性が高いとされています。また、75歳未満の脳性麻痺や知的障害のある人が感染すると致死率が高いという統計もあるとIPCは報告しています。

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まだまだ分からないことが多い新型コロナウイルス。恐怖を感じる選手は少なくありません。北京大会の金メダリストで、東京大会の出場が内定している陸上の伊藤智也選手もその一人です。多発性硬化症という、さまざまな神経に繰り返し炎症が起こる病気を患っており、担当医から「感染は命に関わる」と言われています。メダルも期待される大ベテランですが「感染拡大が続く場合、命をかけて会場に行くことはできない」と、出場辞退もあり得るとしています。

<ワクチンの治療法は必須>

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こうした選手たちが出場できるようになるには、ワクチンや治療法の確立が必須です。現在、世界保健機関(WHO)によれば、世界中で150以上のコロナワクチンの開発が行われています。そのうち、6つが最終の臨床試験の段階に入っているとされています(2020年8月20日現在)。障害や病気のため薬を服用している選手も多くいますので、安全性をしっかりと確保したワクチンの開発が待たれます。そして、それが世界中に供給されることが開催の一つのバロメーターになると思います。

<後世に残す感染症対策は組織委員会の使命>
一方で、感染症対策は早急に方針を固める必要があると思います。組織委員会は政府や都、そして専門家も交えて9月から議論を始めるとしていますが、具体的な方針は決まっていません。

関係者によると、過去大会で参考になるのはロンドン大会の感染症対策しかないとのことですので、今回のみならず、後世に残る感染症対策の指針を作ることは組織委員会の使命だと考えます。そして、その対策は重症化の可能性がある選手を基準に議論をして欲しいと思います。

<パラリンピック特有の課題“クラス分け”>

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開催に向けてパラリンピック特有の課題もあります。それがクラス分けです。クラス分けとは、様々な障害のある選手たちの参加を可能にし、公平に戦うための仕組みで、2人1組の専門委員が国際ルールに基づき、100以上の項目から細かく判定します。クラスが確定しないと、パラリンピックへの出場は認められません。

<進まないクラス分け>
判定が必要なのは「はじめて国際大会に出場する」あるいは「障害の状態が変化する」といった選手です。この状態が変化する選手は、クラスが変わる可能性があるため、有効期限が設けられています。

先ほどの伊藤選手も状態が変化する病気のため有効期限があり、それは今年の末。国際大会に出場し、再判定を受けないと出場資格がなくなってしまいます。

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しかし、現在、一部を除いてほとんどの国際競技団体の年内の大会スケジュールは白紙です。そのため「今年」判定を受けられていない選手と「来年」判定を受けなれればならない選手、両方のエントリーが集中することが想定されます。

一人の選手の判定には、障害の種類にもよりますが、専門委員が身体の可動域などを確認する医学的な診断を行うのにおよそ30分から1時間。また競技を通してどれだけ動けるかも観察しますので、それにも時間が必要です。そのため、1度の大会で判定できる選手の数には限りがあります。

また、国際大会の再開が遅れれば遅れるほど、開ける大会の数は減っていきます。そうなると必然的にクラス分けの機会が失われてしまいます。そのため、全員が判定を受けられるのかという不安が選手たちにはあります。

<新型コロナウイルスが各国のパラリンピック委員会に与える経済的打撃>
そして、もうひとつ、クラス分けに関係する深刻な問題があります。それは、コロナウイルスの感染拡大の影響による経済への打撃です。これにより、もともと脆弱な財政基盤の上に成り立っている、多くの国のパラリンピック委員会は資金を得られなくなっています。

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私が行ったアンケートで「最も困っていることは何か」という問いに対し「資金がまったくない」と回答したのが南アフリカでした。陸上などで多くの金メダリストを輩出しているアフリカ屈指のパラリンピック大国ですが、厳しい状況がうかがえます。

資金不足が続くと、国際大会への参加は難しくなります。というのも、渡航費や参加費はすべて各国のパラリンピック委員会、選手、あるいは競技団体の負担だからです。結果、クラス分けが受けられなくなりパラリンピックへの道が閉ざされます。

<IPCは各国を救えるか?>
IPC、国際パラリンピック委員会には彼らを支援しようにも資金がありません。年収は2000万ユーロ、およそ25億円。これは国際オリンピック委員会が公表している収入から換算するとおよそ60分の1しかありません。

クラス分けを行うためにIPCは「各国のパラリンピック委員会と国際競技団体に、どのくらい必要としている選手がいるか調査を行い、それに基づいていくつかのシナリオを作っている」としています。また「来年の開幕までにはクラス分けができると確信している」とクラス分けを公平に行うことに自信を見せています。

しかし、詳細はIPCがシナリオを公表していないため分かりません。クラス分けは競技の公平性を保つ最重要事項ですので、慎重になるのは理解できます。しかし、国際大会を準備するタイムリミットは近づいています。選手たちの不安を少しでも払しょくするためにも、IPCはその展望を早く明らかにして欲しいと思います。

<人をつなぐ架け橋に!パラリンピックの価値>

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開催に向け、非常に厳しい現実を選手たちはどのように受け止めているのでしょうか。先ほどの伊藤選手は「開催されてもされなくても、目の前の目標をひとつずつこなしているので不安はない」と言っています。もちろん悩み苦しんでいる選手もいますが、多くのパラアスリートは前を向き、十二分に感染症対策をしながら練習に励んでいます。

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なぜ、前を向けるのか。それは、数あるパラリンピックの価値のなかでも「勇気・マイナスの感情に向き合い、乗り越えようと思う精神力」、「強い意志・困難があっても、諦めず、限界を突破しようとする力」が、スポーツや日々の生活を通して培われているからだと思います。

パラリンピックは障害のある選手が社会と向き合うことで発展してきた大会です。その価値は生きることに根差した、とりわけ困難を抱えたなかで生きるときにこそ必要です。私たちは新型コロナウイルスによって、不自由な生活を余儀なくされています。それは障害のある人が常日頃置かれている状況に似ています。「パラリンピックの価値」。それは、いま、このコロナのなかで生きる人と人とをつなぐ架け橋になるのではないでしょうか。

(竹内 哲哉 解説委員)

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