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「コロナ禍の被爆75年 記憶の継承は...」(時論公論)

米原 達生  解説委員

広島に原爆が投下されてから75年。節目の年は新型コロナウイルスの影響で例年の行事も行えない異例の事態となりました。被爆者が思うように活動できない現状は、被爆の悲惨な記憶をどのように次の世代に伝えていくかという重い課題を、浮き彫りにしています。

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平和記念式典の参加者の数は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて1割程度に縮小されました。しかし縮小されたのは式典だけではありません。

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被爆者の平均年齢はことし83歳を超え、各地の被爆者組織も高齢化で解散を余儀なくされています。安芸高田市向原では、組織の解散を前にことし最後の追悼式を行う予定でしたが、新型コロナの影響で中止しそのまま解散。それぞれの地域で脈々と続いてきた活動も運営が難しくなっています。
若い人が原爆のことに触れる機会の一つが修学旅行ですが、例年15万人が来る広島の春のシーズンはほとんどがキャンセル。被爆者の証言を聞く機会も、この間700回あまりが中止になりました。
被爆者が語る機会が減れば、記憶の風化が進むことは避けられそうにありません。
新型コロナの感染拡大は、被爆の当事者が少なくなる中で、どう悲惨な体験を伝えるかという課題を改めて浮き彫りにしています。

▼遺品の持つ訴える力
被爆者が少なくなる中で、その声をどう継承していくのか。一つ注目したいのは広島の平和記念資料館のリニューアルです。
これまでの展示を大幅に入れ替えて遺品を展示の中心に据え、当事者の顔やエピソードとともに展示しました。名札が張られたままの子供たちの服は、一人ひとりの未来がいかに無残に奪われたかを物語ります。

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焦げ付いた弁当箱、中身は豆ごはんでした。原爆で亡くなった少年が食糧難の中でお母さんと一緒に竹藪を切り開いて畑を作り、そこで初めて取れた大豆を使ったもので、少年は楽しみにしていた弁当を食べないまま亡くなりました。新しい展示は、見た人の感性に訴えることで、被爆者の苦しみや無念の思いを考えてもらおうという狙いがあります。

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来館者の受け止めも、リニューアル後は「悲しい」「考えさせられる」というものが増えていて、職員たちも「展示物を時間をかけて見る人が多くなった」と話しています。
令和元年度の来館者の数は過去最多の175万人余り。外国人向けの旅行口コミサイトの評価は、京都の伏見稲荷を抜いて1位となり、遺品など現物の資料が訴える力の強さを示した形になっています。

▼資料の収集に立ちふさがる“壁”
ところがこうした資料の収集には、課題が持ち上がっています。当事者が亡くなるのに伴ってその遺品にまつわる詳しい話が聞けなくなっているのです。

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20年ほど前まで、遺品などの資料を持ってくるのは原爆で亡くなった子供たちの親の世代。涙ながらに語る思い出話を職員が半日がかりで聞き取ったそうです。しかし、今はそれが、被爆者の子供や孫たちの世代になりました。被爆者の中にはあまりにも悲惨な体験を子や孫に語っていない人も多くいます。資料館の職員は「遺品の資料的な価値は、それにまつわる話によるものが大きい」といいます。貴重な資料が埋もれないよう、被爆者が生きているうちに話をきくことが大切なのです。

長崎市の原爆資料館ではことし、すべての被爆者に資料の寄贈を依頼する手紙を送り、返信があった人から聞き取りを始めています。回答を寄せた人たちは当時の写真や溶けた瓶などを今も持っているそうです。こうした資料を収集する機会を早く作ることが大切だと思いますし、被爆者が75年間も保管してきた理由や思い出話について丁寧に聞き取ってほしいと思います。

▼被爆建物の記憶
資料のほかにもう一つ、保存が課題になっているのが原爆の記憶を今に伝える被爆建物です。

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広島でこの一年、存続させるかどうかが大きな議論になっている被爆建物が「旧陸軍被服支廠」です。軍服などの製造に使われた建物で、被爆建物としては最大級。ゆがんだ窓の扉が爆風の強さを今に伝えています。陸軍の拠点であった一方で、「にんげんをかえせ」ではじまる峠三吉の著名な「原爆詩集」の中では、被爆して逃げてきた大勢の人が、助けを求めながら次々死んでいく悲惨な様子がうたわれた、悲劇の場所でもありました。

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この被服支廠、4棟のうち3棟を所有する広島県は30年ほど前から博物館や美術館として活用を検討しました。しかし資金面などの問題を理由に断念しています。そして耐震性が問題になったことから、去年12月、1棟を保存して耐震工事を行い、2棟を解体する方針を示しました。しかし、貴重な被爆建物を解体すべきではないという被爆者や市民の声を受けて議論を続けています。
活用されずに建物が老朽化し、さらに活用が難しくなるという悪循環と、その先にある解体という現実は、全国のほかの戦争遺跡にもある課題です。

▼活用方法の本格的な検討を
被爆建物については、保存を前提に活用方法を改めて探ってほしいと思います。
ポイントは文化財の価値、そして、人を集める価値です。

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被服支廠の耐震工事で県が試算した額は3棟全部で84億円。国は被爆建物の保存に2400万円を上限として補助していますが、国の重要文化財に指定されれば、補助は半額に引き上げられます。具体的な調査はこれからですが、戦争遺跡保存全国ネットワークの共同代表で山梨学院大学の十菱駿武客員教授は「これまで自治体は戦争遺跡を文化財の視点で評価してこなかった。きちんと歴史的な価値を調べ保存に取り組むべきだ」と話しています。

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また、広島県の意見募集で被服支廠の全棟保存を求める声を寄せた人の71%は平和学習の場として活用を求めていますが、観光資源としての活用を求める声も55%と半数を超えています(複数回答)。東日本大震災の被災地では、被災地自体をアートの舞台とするイベントが開かれるようになり、より多くの人が震災に触れる機会になっています。被爆建物の活用も、記憶を残すことを軸にしつつ、多くの人が使うようなアイデアを検討することで、残す可能性を探ってほしいと思います。

被爆者たちが、自らの悲惨な体験を訴え続けたことは、その後の戦争で核兵器が使われなかったことにつながりました。原爆投下から75年、被爆者なき世界が訪れようとする中で、核兵器使用という過ちを繰り返さないためには、被爆者たちが残すものをきちんと受け継いでいく必要があるのです。

(米原 達生 解説委員)

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