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「解決できるかネットひぼう中傷問題」(時論公論)

三輪 誠司  解説委員

深刻な被害が続くインターネットを通じたひぼう中傷問題に対して、国は発信を抑止するための対策を検討してきました。しかし、ネットの発信そのものを規制することは、やり方を間違えば憲法で保障された表現の自由を侵害するおそれがあります。
ネットを通じたひぼう中傷の被害はどうしたら減らせるのでしょうか。

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インターネットを通じたひぼう中傷などの人権侵害は、増加傾向にあります。

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法務省の統計によりますと、去年は1985件と過去2番目の多さです。国や業界団体は、何らかの対応が必要であるという認識を持っていましたが、議論を加速させたのは、ことし5月、SNSでのひぼう中傷が相次ぐ中、女性プロレスラーの木村花さんが自殺したと見られることが明らかになったことでした。
高市総務大臣は、ネット上のひぼう中傷を抑止するため、匿名で発信をした人の名前などを開示させる制度を改正する方針を明らかにしました。
SNSでひぼう中傷を受けた被害者は、書き込んだ人に対して、損害賠償を請求したり、侮辱罪などで告訴をしたりすることができます。訴える相手を特定するために、次のような手続きが取られることがほとんどです。

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多くの人が利用しているツイッターやフェイスブックのSNSの本社はアメリカです。被害者はまず、アメリカの本社に対して、ひぼう中傷がどのIPアドレスから書き込まれたか開示するよう仮処分申請などを行います。
これが認められた場合、今度は国内のインターネット接続業者に対して、そのIPアドレスで通信をしていた顧客の名前や住所などを明らかにするよう裁判を起こします。勝訴して名前が分かれば、ようやく本人に対して損害賠償を求めたり刑事告訴をしたりすることができます。

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何度も司法手続きが必要なのは、SNS事業者は、書き込んだ人物の本名を把握していないこと。接続業者は顧客の通信内容を監視しないよう義務付けられていることが理由です。しかし、SNS業者への仮処分は少なくとも1ヶ月程度。接続業者に対する裁判は半年から1年程度かかります。
時間と費用の面から、被害者は泣き寝入りしてしまうことが多くなります。また、侮辱罪は、その行為から1年以内に起訴する必要があるため、時間切れになってしまうことがあります。

こうした問題点を解消するために国が設置した有識者会議には、憲法が専門の大学教授や、インターネットに詳しい弁護士など10人が集まりました。そして今月、国の事務局がまとめた対策案について議論しました。対策の一つは、SNS事業者に対して、利用者の電話番号の開示を求めることができるようにする案です。

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これは、どういう効果かがあるのでしょうか。SNSを最初に利用する時に利用者は携帯電話の番号を登録するため、事業者側はこれを保有しています。この番号が開示できれば、弁護士が証拠や資料を収集する弁護士法の手続きによって、契約者の名前を携帯電話会社に照会することができます。
照会に応じるかどうかは携帯電話会社次第ですが、損害賠償訴訟や刑事告訴までの時間を短縮することが期待できます。現在の制度を運用しやすくする仕組みは、一刻も早く進めるべきだと思います。

次のポイントは、対策強化は、言論の自由を侵害しないかという点です。有識者会議の事務局が示した対策案の中には、発信者の個人情報の開示を、これまでよりも簡素な手続きでできるようにする、例えば、訴訟をしなくても裁判所が開示を決定することができるという案も盛り込まれていました。
これに対してメンバーの半数以上の6人が連名で慎重な検討を求める意見書を出しました。こうした意見書が出された理由は、この手続きが乱用されれば、憲法で保障された表現の自由、言論の自由を脅かす危険性があるからです。

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人を批判する発言の中には、個人に対するものと、企業・政治家・行政などに対するものがあります。前者のうち、人格を傷つけたり、激しすぎる表現をするものはひぼう中傷です。しかし後者の中には、企業姿勢や政治に対する意見も含まれます。
書き込みがひぼう中傷にあたるかどうかは、誰に対するものか、発言に正当性はあるか、表現が行き過ぎたものではないかということを総合的に判断しなければなりません。開示請求の裁判は、難しい検討を重ねたうえで判決が出されています。
もし、その検討を十分にしないまま、発信者の個人情報が安易に開示させられる制度ができれば、企業や政治に対する意見表明は事実上、抑え込まれることになるでしょう。政治的な発言をする人がビジネスの場で敬遠されたり、批判的な発言をする人は、協調性がないとして遠ざけられたりする風潮は根強くあるからです。
自分の身元がすぐに明らかになり、色々なところから目を付けられるかもしれないと思わせる制度は、正当な発言さえも委縮させ、憲法で保障された表現の自由・言論の自由を侵害する危険性があるのです。
簡易な手続きは、確かに、被害者の救済を迅速にするメリットがあると思います。しかし、簡易にすることが、今までの開示請求の裁判で行われてきた難しい判断を省略してしまうことにならないか、時間をかけて検討する必要があると思います。

さて、ネット上のひぼう中傷をなくしていくため、もう一つ考えなければならないことがあると思います。それは、SNS事業者の責任です。

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SNSには、すべて利用規約があり、他人を傷つける書き込みを続ける人の利用を停止したり、書き込みを削除したりできるとしています。しかし、ひぼう中傷が相次いで書き込まれるサービスに関しては、規約は形だけのものとなっていると言われても仕方がない状態です。
SNSの特徴として、引用と拡散があります。最初は一人のひぼう中傷でも、それを引用して発信する人がいると、連鎖的に拡散、炎上につながります。そうなると、利用者からは止めることができません。たとえ、多くの人が井戸端会議のように集まっていただけだとしても、書かれた人は無数の人から責められていると感じ、追い込まれていきます。

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運営しているSNS事業者が介入して沈静化させなければ、誰が被害者の自殺を食い止められるでしょうか。SNS事業者は、まずは、ひぼう中傷の被害相談を受け付ける窓口をトップページに大きく設けることが必要です。
その上で、相談があれば、集中攻撃となっているか実態を見極め、一つ一つの発言が軽微なものであっても、書き込みを削除していくべきです。そうした対応は、自殺者が出ているSNSという場を提供している企業として、最低限の対策だと思います。

国も、SNS事業者の対策を求めていく必要があります。ひぼう中傷による自殺問題は、世界中で発生していますので、他の国とも連携しながら、SNS事業者に対して対策を促していくべきです。
ネットのひぼう中傷問題は、SNS利用者のモラルに頼るだけでは対策が難しくなっています。個人を追い詰めるような書き込みをした人に対する司法手続きが、十分機能できるようにすること、そして、事業者の自主的な介入が行われなければ、決して解決することはないでしょう。

(三輪 誠司 解説委員)

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