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「香港激震 踏みにじられた一国二制度」(時論公論)

加藤 青延  専門解説委員

日本時間の1日から反政府的な動きを取り締まる国家安全維持法の施行が強行された香港では、抗議デモに参加した人が1万人にも上り、およそ370人が逮捕されるという緊迫した事態になりました。香港に言論の自由などを保障してきた「一国二制度」という大原則が踏みにじられ、葬り去られたとの印象を受けます。そこで今夜は大きく揺れる香港情勢について考えてまいりたいと思います。

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イギリスから返還23周年の記念日を1日に迎えた香港では、施行されたばかりの国家安全維持法に反対する香港の人たち1万人が、身の危険をかえりみず抗議デモを行い、警官隊とぶつかりました。香港当局の発表によりますと、これまでに国家安全維持法に違反したとされる10人を含む、合わせておよそ370人が逮捕されたということです。香港の人たちの激しい怒りに対して、中国政府で香港問題を担当する責任者は次のように述べて法律の施行を正当化しました。

「この法律は香港が正常な軌道に戻る転換点となるものだ。香港の返還23年に合わせた『誕生日プレゼント』であり、将来、その価値が表れてくるだろう」

それでは、今回、香港議会の頭越しに北京の中央政府から押し付けられた形の香港国家安全維持法とは、どのような法律なのでしょうか。

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発表によりますとこの法律は、▽国家の分裂や▽政府の転覆、▽テロ活動、それに▽外国勢力との結託によって、国家の安全に危害が及ぶ犯罪を処罰するものです。
最も重い罪には「終身刑」が課せられると規定されています。
また香港政府からの管理を一切受けずに、中央政府が独立して取り締まりができる出先機関も設けられます。さらに容疑者を中国本土で裁判にかけることもできると規定されています。

これは、どう考えても返還後50年間は、香港の人たちによる高度な自治を保障してきた「一国二制度」の大原則を、ないがしろにするものと言わざるを得ません。
「一国二制度」は、イギリスから中国に香港が返還されたときの国際公約でもあり、香港の憲法ともいわれる「香港基本法」にも掲げられています。

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ところが厄介なことに、今回の国家安全維持法は、その香港基本法に付属文書の形で盛り込まれたのです。香港基本法の規定上、中国の全人代はそのようなことができる仕組みにはなっていましたが、高度な自治を脅かすことになりかねないことから極力控えられてきました。しかし今回その仕組みを使うことで、国家安全維持法を香港基本法の中に組み入れたのです。もし香港の法律と抵触する場合は、国家安全維持法の方を優先する形にもなりました。

このように香港の法制度を超越する特別法規を、香港の人たちの意見を十分反映することなく中央政府が強引に制定し施行したことに対しては、国際社会からも厳しい批判の声が上がっています。

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このうちアメリカのポンペイオ国務長官は、1日、「香港の法の支配は骨抜きにされた。香港の特別な地位を終わらせる」と述べ、中国本土より香港を優遇してきたアメリカの措置を廃止してゆく方針を明らかにしました。またアメリカ議会下院も、1日、香港の自治抑圧に関与した中国の高官や組織、それと取引がある金融機関を対象に制裁を科す法案を可決しました。
しかし、そうした批判に対して、中国政府は、「香港は内政問題であり、制裁は強盗の論理だ」と強く反発し、対抗措置をとる構えを見せています。

ではなぜ習近平政権が、今この時期に香港に対して、香港の大原則を崩壊させるかのような強硬措置に踏み切ったのでしょうか。私は、ことし9月に行われる香港の議会立法会の議員選挙で、民主派が躍進することを阻止するねらいがあったのではないかと思います。

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香港立法会は70の議席の半分を直接選挙、残り半分を業界別の職業代表として選ぶ方式になっています。これまでは大雑把に言って、親中派とみられる議員が40議席前後、民主派とみられる30議席前後を占め、親中派が優位でした。しかし、去年行われた一つ下の区議会議員選挙で民主派が85%の議席を獲得するなど急激に支持を伸ばしたことから、習近平政権は、このままでは秋の立法会の選挙でも議席を民主派が過半数を制することもあり得るとの危機感を抱いたように見受けられます。

民主派に勝利させないために、ひねり出した奥の手こそが、今回の国家安全維持法だったと考えられるのです。では、なぜ国家安全維持法を制定すれば民主派の躍進を食い止められると考えたのか。

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その理由は今回の国家安全維持法が、香港の憲法、香港基本法に付属文書の形で組み込まれた点にこそあるといえます。つまり国家安全維持法は基本法の一部ということになります。立法会の議員になるためには、香港基本法に忠誠を尽くすという宣誓をしなければなりません。その基本法に民主派の人たちがとても受け入れられない法律をあえて組み込むことで、基本法への宣誓を難しくし、結果的に立候補への意欲をそぎ落とす。
あるいは、これまでの主張が香港基本法とは相いれないものだとの理由をこじつけて、立候補自体を認めないという強硬手段に打って出ることも可能になると考えたのではないでしょうか。立候補の受付が今月18日から始まることを考えれば、今この時期に施行に踏み切った事情も読めてきます。

今回の国家安全維持法施行によって、民主派は取り締まりの対象へと追い込まれた形になりました。これまで抗議デモの先頭に立ってきた香港の活動家たちは、国家安全維持法の成立を受けて、相次いで民主派団体から脱退を表明しています。国家安全維持法の施行によって、自分たちの活動が国家の安全を脅かしたと決めつけられ、身柄を拘束されるのではないかというおそれを抱いているのです。

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1年前には100万人規模にまで膨れ上がった香港の抗議デモは、今年に入り新型コロナウイルスの感染が拡大したため下火になりました。そして、今回の国家安全維持法の施行によってとどめを刺された形になり、今や「香港独立」という旗を所持していただけで、何もしなくても逮捕されるという、まるで暗黒政治のようなことが現実になってしまったのです。

きのう7月1日は、香港の返還記念日であると同時に、香港が高度な自治を失った日として歴史に刻まれることになるのではないでしょうか。目の前で押しつぶされつつある民主主義への動きを、国際社会はこのままやすやすと見過ごしてもよいのでしょうか。
今回の国家安全維持法の施行にあたって、私がもう一つ注目するのは、中国共産党の支配と圧力が経済界にも及んできたことです。
実は、国際的な批判をかわし、また香港の人たちの反対機運を抑え込むために、中国は香港を拠点に活動してきたイギリスなど外資系資本の大企業に、国家安全維持法を支持するよう強く働きかけてきたといわれています。

つまり国家安全維持法に賛成するかどうかが、いわば香港で活動する企業に対する「踏み絵」のような存在になったのです。賛成の立場を示さなければ、引き続き経済活動を行うことが難しくなる、そのような圧力を受けて、例えば、香港ドルを発行しているイギリスの大手銀行HSBCは、安全法への支持を表明。同じようにスタンダード・チャーター銀行など多くの外資系企業や華僑系の企業が、国家安全維持法に賛成するという意思表示を迫られることになったといわれています。

ただ、香港の最大の売りでもあった「自由な経済活動」すらも、中国共産党によってコントロールされるようになれば、国際金融都市として繁栄してきた香港の魅力はますます失われることになるでしょう。さらに今回の法律施行を受けてアメリカが香港に対する関税優遇の措置まで撤廃すれば、自由貿易港として繁栄してきた香港の地位も地盤沈下が進むことになりかねません。その意味で、国家安全維持法の施行は、香港に高度な自治を保障した「一国二制度」の終焉をもたらすもの、ひいては国際金融都市として繁栄した香港自体を「衰退への岐路」に立たせることになるといえるのではないでしょうか。

(加藤 青延 専門解説委員)

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