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検察と国民の信頼

清永 聡  解説委員

緊急事態宣言の中、賭けマージャンをしていた問題で、東京高等検察庁の黒川弘務前検事長が辞職しました。
そして、先週は検察庁法の改正案も今の国会での成立が見送られました。
検察をめぐって相次いだ2つの異例の出来事。その背景と今後の課題について、検察と国民の信頼という側面から考えます。

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【解説のポイント】
解説のポイントは、「異例の定年延長」。見送りとなった「検察庁法改正案の問題点」。「求められる検察の姿」です。

【賭けマージャンと異例の定年延長】
東京高等検察庁の黒川弘務前検事長は、緊急事態宣言が出されていた5月、新聞記者らと賭けマージャンをしていたことが明らかになり、22日に辞職しました。法務省の調査では3年前から月1、2回ほど賭けマージャンを行い、現金をやりとりしていたことがわかりました。
国民が外出を自粛し、我慢していた最中に、検察幹部が3密で賭けマージャンというのは、許しがたいことです。加わった記者や社員の責任も問われます。

その黒川前検事長は、異例の定年延長で役職にとどまり続けていました。

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国家公務員の定年は国家公務員法で60歳。
黒川前検事長など検察官は検察庁法で63歳。
そして検察トップの検事総長だけが65歳です。
前検事長は2月の誕生日で63歳。つまり2月で定年のはずでした。ところが政府は、直前に前検事長1人だけ定年を8月まで延長する閣議決定をしました。検察庁法には定年延長の仕組みはなく、国家公務員法が適用されました。

黒川前検事長は法務省で官房長や事務次官などを歴任し野党から「官邸に近い」という指摘もありました。また、検事総長は近年、定年前でも就任から2年ほどで勇退することが多く、現在の稲田伸夫検事総長は7月で丸2年になります。このため前検事長が8月までの定年延長となったことで、「次の検事総長の道が開けた」とも言われていました。
それが、今回の賭けマージャンで辞職に追い込まれたわけです。

この異例の定年延長について、森法務大臣は「複雑困難な事件に対応するため」だと繰り返し説明してきました。ただ、延長から辞職までの3か月半。結局、何をしたのでしょうか。複雑困難な事件とはなんだったのか。具体的な説明もないまま、「訓告」処分で辞職し、それで国民の理解を得られるのでしょうか。

【検察庁法の改正案は】
先週見送られた検察庁法の改正案。こちらも定年延長が焦点でした。

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法案は検察官の定年を65歳に引き上げ、同じく定年を引き上げる国家公務員と同じにします(一部を除く)。
一方で「役職定年制」を設け、いわば“ヒラ”の検察官になります。
高齢化の中で定年制度の議論は必要でしょう。ただし、ここに「特例規定」が設けられました。内閣や法務大臣が特に必要と判断すれば、最長で検事総長は68歳まで、検事長や検事正などは66歳まで、ポストにとどまり続けることができるというものです。

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これが大きな議論となりました。

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検察庁法は、今の憲法ができた昭和22年に作られました。
一般の公務員とは異なる、裁判官に準じた身分の保障や待遇を定めています。改正案について政府は「豊富な知識や経験を活用するため」としていましたが、検察OBや弁護士会から「政府の介入につながる」という反対の声が上がったほか、ツイッター上で著名人の抗議の投稿も相次ぎ、大きなうねりとなりました。そして、今の国会での成立は見送られたのです。

【「文書による検証」は】
政府は前検事長の問題と、検察庁法の改正案は別の話だとしています。ただ、この2つには、共通する課題もあるように感じます。
私は今年2月、「黒川前検事長の勤務延長をめぐり、国家公務員法の解釈変更について、法務省内の検討状況が記された文書」を法務省に情報公開請求しました。

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2か月待って示されたのがこの「不開示決定」です。その理由は、「文書を作っていない」というものでした。

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政府は以前、定年延長に関する国家公務員法の解釈について、法務省内で検討したメモなどを明らかにしています。ただし、そのあとの解釈変更を決めたのは、大臣の「口頭決裁」。さらにその後の前検事長の検討部分は今回の「文書不存在」。そして、閣議決定。
この間の文書がありません。いうなれば「ブラックボックス」になっているわけです。人事に関するためすべての公開は難しいとしても、文書がなければ、検証することもできません。
まずは文書を残し透明性を確保することが不可欠です。

【「特例規定」の基準は】
もう1つは検察庁法の改正案に盛り込まれた「特例規定」です。どんな場合に幹部の役職が継続されるのかという「基準」が、今も示されていません。
今後法案を審議するのであれば、特例規定を取り除くか、残す場合もまず公正な基準の案を示して議論すべきではないでしょうか。

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将来、時の政権の意向で、都合の良い幹部だけ定年延長されないようにする仕組みが必要です。

【検察も「独立」と「自律」のバランスを】
一方で検察も、信頼回復が求められます。
今回確かに、ツイッター上で法案への抗議の声が上がりました。しかし、それは検察が独善的にふるまうことまで、国民が許したのではないことは、釘を刺しておきたいと思います。

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検察権は強い権限を持ち、時には政界にも切り込むだけに、政治権力からの「独立」が求められます。一方で、強権的な捜査や冤罪を生む「独善」に陥らないよう自らを律する「自律」も欠かせません。今回の賭けマージャンもその背景に「おごり」がなかったでしょうか。
問われるのは2つのバランスをどうとるか、ということです。そして、その土台はあくまでも国民です。
ただ綱紀粛正だけではなく、「独立」と「自律」を両立できているか。そのうえで今回の問題にどうけじめをつけ、信頼回復をはかるのか。国民はそこを注視していることを忘れないでほしいと思います。

【“幻”の検察庁法案】
今の検察庁法ができたのは昭和22年ですが、戦前も検察の独立を求める声が強まり、昭和13年に「検察庁法案」が作られたことがありました。現在も残されている当時の法案です(法務図書館所蔵)。

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廃案となったこの法案、定年の規定があります。
「検事総長は65歳、そのほかは63歳」という内容が書かれています。これは今の検察庁法と同じです。ただ、この後ろには定年延長の記述がありました。
「司法大臣による3年以内の延長を認める」という内容です。
これは前からあった定年延長の仕組み(戦前の「裁判所構成法」の条文)を引き継いだものです。つまり戦前の検察の独立の動きには、限界があったことがうかがえます。

一方で、戦後作られた今の検察庁法に、この定年延長の記述はなくなっています。なぜ、なくなったのでしょうか。

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戦後、この検察庁法の作成にかかわった当時の大審院次長検事の佐藤祥樹氏は、かつて大臣が事件について直接検事に注文を付けるなどしたことがあると述べた上で「(戦時中)次席も検事正も知らない間に突然検挙が始まり、苦い経験をした」と語り、法案の作成では個々の事件を干渉されないようにしたという趣旨の回想を残しています(「法曹」1967年2号より)。
この回想は検察庁法の「指揮権」に関するものですが、佐藤氏の証言について、行政法が専門の専修大学の晴山一穂名誉教授は「検察庁法の規定が、戦前の教訓から検察官の独立性・公正性を守るために作られ、勤務延長を設けなかったのも同じ発想からと考えられる」と指摘します。

【今こそ検察は信頼を得るために】
今回問われているのは、単に個人の責任や綱紀粛正にとどまりません。
戦後、先人が築いてきた検察の独立をどう守り、検察もまたどう自らを律していくか。
それこそ検察が国民の信頼を得るために、大切なことではないでしょうか。

(清永 聡 解説委員)


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