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「凍り付くオイル 原油価格マイナスの衝撃」(時論公論)

石川 一洋  解説委員

先週NYの市場で原油先物価格がマイナス価格、つまり売り手が買い手にお金を払うという衝撃的な値をつけました。産油国がいまだかつてない大規模な減産に合意したにもかかわらずのマイナス価格です。新型コロナ感染拡大の中で産油国の思惑を超えた原油価格の暴落とマイナス価格は何を表しているのか考えてみます。

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解説のポイントです。
▼なぜ原油マイナス価格は起きたのか
▼産油国の思惑を超えた下落
▼原油マイナス価格が意味するもの

1 なぜ原油マイナス価格は起きたのか

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先週、20日ニューヨーク市場で国際的な原油取引の指標WTIの5月ものの先物価格が1バレルあたり前日よりも56ドル近く下落して、マイナス37.63ドルと史上初めてマイナスを記録しました。売り手が原油の買い手にお金を払って原油を引き取ってもらう異常事態です。これはどういうことでしょうか。

(VTR)
アメリカのカリフォルニア沖に並んだ原油輸送タンカー、今月23日の映像です。アラスカや中東から原油を満タンにして運んできたタンカーですが、陸上のタンクでの受け入れ先がありません。原油需要が大きく落ち込む中で、アメリカでも原油を貯蔵する余力が少なくなり、原油の生産者やトレーダーが買い手に金を払って原油を引き取ってもらう状況、史上初めてのマイナス価格が起きたのです。

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ゴールドマンサックスは27日、原油の貯蔵余力はあと三週間しか持たない可能性がある、生産をさらに20%削減する必要があるとしています。陸上だけでなくタンカーそれ自体そして鉄道輸送用のオイルタンク、さらにはパイプラインにも原油や関連製品が貯蔵され始めています。

原油価格はその後プラスに戻したものの、NY市場ではWTIが15ドル前後とこれまででは考えられない安値が続いています。今回の原油価格の暴落は過去の暴落とは全く異なる性質と見られています。過去においては原油価格が下がれば、ガソリン価格なども下落して需要を呼び起こしました。しかし今回は新型コロナウイルス感染防止のために、アメリカ、ヨーロッパなど主要な経済大国が都市の封鎖に踏み切っています。価格が下がっても需要が呼び起こされず、原油はオイルタンクに貯めるしかない無用の長物となっているのです。

2 産油国の思惑を超えた下落
今回の下落は、産油国が大規模協調減産で合意した後に起きました。それだけに産油国にとっては大きな衝撃です。

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原油価格下落の経緯をみてみましょう。アメリカ、サウジアラビア、ロシアの三大原油産出国が日量1000万バレルほどで競い合う中で、ここ3年間、サウジアラビアとロシアがOPECプラスとして生産調整で合意し、原油価格は1バレル50ドルから60ドルで安定していました。しかし新型コロナの感染が拡大する中、徐々に下降し、先月、OPECプラスの協議がサウジアラビアとロシアの対立で決裂、一気にWTIは30ドルを切るところまで下落しました。その後サウジアラビアとロシアは増産を続け、原油価格は20ドル台に低迷しました。
この状況の中でアメリカのトランプ大統領が積極的な仲介に乗り出し、今月、サウジアラビアなどOPECとロシアなどほかの産油国が、5月からいまだかつてない日量1000万バレルの減産で合意しました。アメリカは、合意には参加しないものの実質的に関与し、シェールオイルの減産分などを含めれば日量1500万バレルにも及ぶ大型減産にもなる見込みでした。しかし産油国が協調減産に合意した時、時すでに遅く、世界経済の落ち込みは全く異なる段階に入っていたのです。
原油に大きく依存するロシアとサウジアラビアの国家財政にとっては大きな打撃です。
この二か国が協調減産に合意したのも30ドルを切る原油価格では立ち行かくなるからです。しかし30ドルという価格さえ今では夢のような価格に思えるでしょう。

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ロシアは予算で想定した原油価格は42ドル、それを大幅に下回る価格となり、これまで貯めていた基金を取り崩すことになります。ロシアの財政は健全ですが、これだけの原油の低価格が長期間続けば、基金も底をつきます。サウジアラビアはロシア以上に原油に依存しています。
それ以上に苦しいのはイラク、イラン、アルジェリア、リビアそして旧ソビエトのカザフスタンなどほかの産油国です。経済の基礎体力が弱いからです。IMFの予測では軒並みマイナス成長となり、失業者も大きく増えます。イラクやリビアのように国内の紛争に苦しんでいる国もあります。経済の破綻は社会不安や国際紛争の原因になるとともに、新型コロナの拡大を防ぐ力も奪うことになります。
世界経済全体にとってもっとも恐ろしいのは、アメリカのシェールオイルの危機でしょう。トランプ大統領が仲介に動いたのもシェールオイルなど自国のエネルギー産業を救うためです。しかしその思惑は外れました。

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アメリカを世界最大の産油国に押し上げたのはシェールオイル革命です。シェールオイルは既存の油田に比べて油井の寿命が短く、常に新たな油井を掘り続ける必要があります。シェールオイルが採算を取れる価格は1バレル40~50ドルほどといわれており、今の原油価格は全くの赤字です。シェールオイルには金融機関や投資家が多額の融資をつぎ込んでいます。もしもシェールオイルが破綻すれば、かつてのサブプライムローンと同じくアメリカの金融不安につながりかねません。そうなれば世界経済の受ける影響は計り知れません。

3 原油価格マイナスが意味するもの
「石器時代が終わったのは石が無くなったからではない」
石油の時代もいつか終わるというサウジアラビアのヤマニ元石油相の格言です。
再生エネルギーや水素エネルギーの技術革新によって、石油の需要がピークを迎え、石油の時代が終わる。確かに脱化石燃料は世界的なトレンドです。そう考えれば、新型コロナの感染拡大に伴う経済危機を乗り越える過程で、単純に原油の消費を元に戻し、元の経済に復帰するのではなく、経済の変化を進め、脱化石燃料の動きを加速することも必要でしょう。
 原油価格の下落は我々消費国にとってはガソリンや電力料金の引き下げにつながり、追い風となります。かつてない低価格の原油を利用して官民が協力して原油の備蓄を強化する戦略があっても良いかも知れません。
それは正論としても、私がマイナスの原油価格に感じる恐怖は、エネルギー産業の枠を超えて世界経済が陥ろうとしている重い病の一つの兆候であるように思えるからです。車や旅客機の動力源、燃料、そして石油化学などの産業、実に様々な用途に使われる石油はいまだに最も効率的なエネルギー源です。原油需要の消滅は新型コロナウイルスに伴う経済危機の底深さ、恐ろしさを示しています。

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IMFは今月発表した世界景気見通しで、今年の経済成長率はマイナス3%、1929年の大恐慌以来の深刻な景気後退に直面しているとしています。しかしその予測も今年の後半には、新型コロナウイルスの感染を抑止し、経済は成長軌道に戻るという楽観的なシナリオに基づくものです。
世界は、新型コロナウイルスの感染拡大と大きな景気後退という二つの脅威に直面しています。そしてグローバルな経済システムが一時的にせよ壊される中で、それぞれの国が大規模な財政出動によってこの危機を必死に押しとどめようとしています。しかしこのままの状況でいつまでも国家の力だけで世界経済を支えられるものではありません。
新型コロナウイルスを克服するために、ワクチンや治療薬の開発に国際協力で全力を尽くすことが必要なのは言うまでもありません。同時に新型コロナウイルスとの戦いが長期戦になるとしたら、感染症の拡大を抑えながら経済を蘇生させていく必要があります。しかし各国は自国の利益を第一とする一国主義に陥っています。このままでは大恐慌が世界を覆うかもしれません。危機を乗り越えるための国際協調への道を選べるのか、我々は分岐点に立っているように思います。

(石川 一洋 解説委員)

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