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「10年目のシリア紛争 1300万人の命は守れるか」(時論公論)

二村 伸  解説委員
出川 展恒  解説委員

今世紀最悪の人道危機を引き起こしたシリアの紛争が10年目に突入しました。日本で東日本大震災が起きたのとほぼ同じころから今日までシリアでは戦火が絶えず、これまでに38万人以上が犠牲となり、国民の半数以上が住む家を追われ身の危険にさらされています。さらに新型コロナウイルスの感染拡大によりヨーロッパへの道が閉ざされ難民たちは行き場を失っています。長引くシリアの紛争と人道危機に国際社会はどう対処すればよいのか考えます。

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(二村)シリアで政府への大規模抗議デモが始まったのは2011年3月15日。長期独裁政権に対する民衆の蜂起、いわゆるアラブの春がシリアにも波及したかたちですが、エジプトやリビアなどで政権が崩壊したのとは違ってシリアではアサド政権と反政府勢力の戦闘が今も続いています。紛争は最終局面を迎えたと言われながら依然出口が見えませんね。

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※3月23日に表記の一部を修正

(出川)一時は劣勢に立たされたアサド政権でしたが、ロシアとイランの支援を受けて、反政府勢力から拠点を次々と奪い返し、現在は、圧倒的優勢を保っています。最終局面を迎えた内戦で、今、焦点となっていますのは、北西部のイドリブ県をめぐる攻防です。イドリブ県とその周辺は、反政府勢力に残された最後の拠点です。地図の黄色の部分が、反政府勢力側の支配地域です。ここを奪還しようとするアサド政権軍との間で、一進一退の激しい戦闘が続いています。反政府勢力側を支援する隣国トルコの軍が、イドリブ県周辺に駐留させている部隊を増強したのに対し、アサド政権軍は、先月末、後ろ盾のロシア軍とともに激しい空爆を実施し、トルコ軍の兵士34人が犠牲になりました。トルコのエルドアン大統領は、「徹底的に報復する」として、今月初め、新たな軍事作戦を開始し、シリアとトルコの国軍どうしが全面衝突する一歩手前まで事態が緊迫しました。こうした中、今月5日、エルドアン大統領とロシアのプーチン大統領が、モスクワで首脳会談を行い、停戦を実施することで合意しました。そして、合意に基づいて、事実上の停戦ラインとなる、イドリブ県の中央を東西に走る幹線道路に沿って、15日、トルコ軍とロシア軍による合同パトロールが始まりました。

(二村)停戦が維持できるか疑問視する声も聞かれます。

(出川)イドリブでの停戦は、これまでも繰り返し破られ、そのたびに戦闘が再燃してきました。全土の掌握を目指すアサド政権は、イドリブの奪還を諦めるつもりはなく、後ろ盾のロシアも、アサド政権のこの立場を支持しています。
一方の反政府勢力にとっては、文字通り、「最後の砦」を死守する構えです。そして、トルコは、大量の難民や戦闘員が自国に流入することを恐れていまして、アサド政権によるイドリブ総攻撃は絶対に容認できないのです。エルドアン政権は、「攻撃されれば、直ちに反撃する」と警告していまして、いつ、停戦が破られてもおかしくない状況です。

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(二村)紛争のもう一人のプレーヤーだったアメリカは、内戦への深入りを避け、過激派組織IS・イスラミックステート撃退後前線から兵を引き、クルド人武装組織は見捨てられました。これがアサド政権の失地回復とロシアの影響力の拡大を招いたわけで、中東政策に一貫性がないアメリカと比べプーチン大統領のしたたかさが目立ちます。

(出川)プーチン大統領は、アサド政権を何としても存続させなければならないと考えています。ロシアにとって、シリアは中東における最も重要な同盟国であり、軍事基地をシリア国内に置いています。また、権威主義的な政治体制が民衆のデモや武装闘争で倒される事例を許せば、自国に波及しかねません。そして、内戦終結後のシリアの秩序づくりで主導権を握りたいと考えています。このため、シリアの隣国トルコとは、本格的な対立は避け、協力関係を維持したい考えです。
シリアの難民と国内避難民をめぐる問題も深刻ですね。

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(二村)イドリブ県では戦闘が激しさを増した去年12月以降、3か月で100万人近い住民が住む家を追われました。食料や医薬品が不足し、新たな人道危機が懸念されています。
シリアは世界で最初に農耕が始まった肥沃な三日月地帯にあり、首都ダマスカスは世界最古の町と言われます。豊かな歴史と文化を誇りながら、紛争の長期化で国土は破壊され、経済は崩壊しました。ユニセフ・国連児童基金によれば、保健医療施設の半数以上が機能せず、学校はこの5年間で400校以上が攻撃を受けました。教育の機会を失い、働かざるを得ない子どもも増えています。

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紛争の犠牲者は38万人以上、国外に逃れた難民は670万人、その8割が周辺の国々で不安な日々を送り、国内にとどまる避難民は600万人をこえています。そんな悲惨な状況が続きながら国際社会は打つ手がないのです。トルコのエルドアン大統領は先月末、ギリシャとの国境を開放すると発表し、「EUは100万人の難民に直面するだろう」と、トルコ支援に消極的なEUに圧力をかけました。EUは難民を政治の道具にさせないとする声明を出し、非難の応酬が続いています。対立がこれ以上エスカレートすれば5年前のような難民危機が再燃しかねないだけに、トルコ政府には自重を望みたいと思います。そしてEUにはトルコの負担を和らげるための支援が不可欠です。

(出川)難民にも新型コロナウイルスの感染拡大の影響が出ていますね。

(二村)EUが域外からの入国制限を打ち出したことで難民たちは行き場を失いつつあります。ユニセフは17日、ギリシャの難民キャンプで数百人の子どもたちが危険な状態にありながら安全な場所に移すことができないと懸念を表明しました。また、UNHCR・国連難民高等弁務官事務所は、ドイツに入国した難民の中から新型コロナウイルスの感染者が見つかり、今後難民の支援や受け入れが難しくなる可能性があるとしています。各国はこういうときだからこそ、お互いに非難しあうのでなく結束が必要ではないでしょうか。

(出川)ユニセフは、この9年間で、シリアで生まれた子どもがおよそ480万人に上り、さらに、100万人が、周辺国で、難民として生まれたことを明らかにしました。また、シリア人権監視団によりますと、シリアでも、新型コロナウイルスの感染者が多数出ているものの、感染者の治療や感染拡大を防ぐための対策はほとんど講じられていません。
これ以上、事態が悪化するのを避けるためには、今、何が必要でしょうか。

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(二村)国連は、今世紀最大の人道危機は停戦によってのみ回避されると警告しています。それには国際社会が一体となって難民や周辺国の支援を行うと同時に紛争解決のために知恵を絞るしかありません。国際社会の協調が今こそ求められていますが、現状では難しそうです。
この9年間に生まれた600万人近いシリアの子どもたちが安心して学校で学ぶことができる日はいつになったら訪れるのでしょうか。多数の市民、とりわけ子どもや女性が逃げ惑う状況がいつまでたっても変わらないのは、アサド政権だけでなくロシアやトルコをはじめ各国が人命より自らの利益を優先しているからです。自国第一主義と排外主義が蔓延する現代の世界でシリアの人々がこれ以上取り残されないようにするためには、歩み寄りと相互の不信感を取り除く努力が全ての当事者に求められます。そのために日本の私たちも声を上げていくことが重要ではないでしょうか。

(二村 伸 解説委員 / 出川 展恒 解説委員)

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