東京高等検察庁の検事長の定年延長が議論となっています。法律の解釈を変更したことや、その手続きについて指摘も相次いでいます。
今回は、この定年延長で何が問われているのかを考えます。
【解説のポイント】
●異例の定年延長とその“理由”。
●検察庁法の理念。
●繰り返される公文書の問題と国民の信頼についてです。
【定年延長の経緯は】
まずは、今回の経緯から見てみましょう。
国家公務員の定年は国家公務員法で60歳。
検察官は、検察庁法という別の法律で63歳。
ただし、検察トップの検事総長だけ65歳。
東京高検の黒川弘務検事長は「検察官」にあたります。2月8日の誕生日で63歳になりました。つまり本来は2月で定年退官のはずでした。
ところが政府は、直前の1月末に1人だけ定年を8月まで延長する閣議決定をしました。これが今回の定年延長です。
では、なぜこのようなことが行われたのでしょう。
政府は「複雑困難な事件に対応するため」としています。一方、黒川検事長は官房長や事務次官などを歴任し、野党からは「官邸に近い」という指摘もあります。このため定年延長は、「次の検事総長にするためではないか」という見方も出ています。
検事総長は近年、2年ほどで交代することが多く、今の総長は7月で就任から丸2年になります。また、定年延長の結果8月まで勤務が続くと、黒川検事長よりも誕生日が後で、ライバルと目されたほかの人が63歳を迎えて、先に定年となります。
ただし、検察庁法には定年延長の記述はありません。このため今回は国家公務員法の定年延長の規定が使われました。
森法務大臣は「検察官も国家公務員であり問題ない。適切な人事だ」と説明します。しかし研究者や法律家からは「別の法律で延長するのはおかしい。検察の不偏不党を損なう」という声も上がっているわけです。
【検察庁法の理念とは】
1人の定年延長がこれだけ議論となるのは、検察官の職務の特殊性がその背景にあります。
検察権は「捜査から刑罰まで」と幅広く及ぶため、行政権の一部とされています。ただ、同時に司法と密接に関係することから、「準司法官」とも呼ばれ、独立性や中立性が求められます。
検察庁法という法律は、今の憲法ができた昭和22年に作られました。組織や権限に加えて、司法の独立のもと裁判官に準じる身分の保障や待遇を定めています。専門家によれば、定年もこうした考えから設けられたとされます。
つまり検察庁法には憲法の「司法の独立を守る」、という役割もあったのです。
【検察と政治との緊張関係】
「検察と政治」の関係は、長く緊張が繰り返されました。
過去には何度も、検察の捜査が時の内閣を崩壊させています。昭和29年の「造船疑獄」では吉田内閣が総辞職しました。また、昭和63年から平成元年にかけては「リクルート事件」をきっかけに政治不信が高まり、竹下内閣が総辞職しました。
それだけに検察に求められるのは、「不偏不党」です。
昭和60年に検事総長となり「ミスター検察」と呼ばれた伊藤栄樹も「検察権の行使が政党内閣の恣意によって左右されることになれば、ひいては、司法権の作用がゆがめられることになる」(「秋霜烈日」より)と記しています。もちろん、検察も国民の信頼を得られるよう、常に自らを律していくことも求められます。
また、検事総長の人事は内閣が任命します。しかし検察庁は歴代、前任の検事総長らが後任を決める運用をしていると言われます。
こうして検察の人事に政府が介入しない伝統を作ってきたのです。
【定年延長の議論は】
では、今回の定年延長はどうなのでしょう。
実は、従来の政府の見解も「検察官に国家公務員法の定年延長は適用されない」とされていました。
しかし、安倍総理大臣は2月、「解釈を見直した」と答弁します。では、この間いつ、どのように解釈を変えたのか。
国会で森大臣は、1月16日に作成したとするメモを明らかにした上で、「検討の結果、国家公務員法の規定で定年を延長することも『排除されない』と考えた」「事前に内閣法制局や人事院とも協議した」などと説明し、「1月下旬に解釈を変更した」と説明しています。
ただ、このメモで参考文献の1つに挙げている検察庁法の解説書。これはさきほどの伊藤栄樹元総長が在任中に書いたものです。この同じ本の別の部分で伊藤は「定年などの規定は国家公務員法の影響を受けない」(「新版検察庁法 逐条解説」より)とメモの結論とは正反対の内容を記しています。
加えて、人事院は定年を延長する例として「名人芸的技能」「離島などの勤務」、「大型研究プロジェクトの主要メンバー」などを挙げていて、いずれも今回とは大きく異なります。
政府は定年延長を「政治的なものではない」としています。そうであれば、これまで何十年も行われなかったのに、今解釈を変えて延長しないと「業務の遂行に重大な障害が生じる」具体的な理由は何か。どんな障害が生じるのかを説明する必要があるのではないでしょうか。
【“口頭決裁”と“決裁文書”】
さらに今回、公文書が、また問題になっています。
国会での議論で、先ほどのメモを含め、政府はいくつかの文書を提出しました。
ただ、森大臣は、定年延長を妥当だとしたことについては「口頭で決裁した」と述べたうえで、「適法であり適正な手続きだ」としています。
「口頭決裁」。つまり決裁文書はないということです。これは記者側の問い合わせに対し、法務省が夜遅くに回答しました。
法務省のある元幹部は私の取材に「自分が現職だった時、口頭決裁という言葉は聞いたことがない。法解釈を見直したのに決裁文書を作らないことは、考えられない」と話しました。それは「内部で検討した結果を、証拠として残す必要があるからだ」と言います。
確かに、細かな連絡や了承を、口頭で済ませる場合もあるでしょう。ただ、今回は決裁文書の作成が必要な「法律の解釈や運用に関する場合」などには当たらないのでしょうか。
何より、このままでは決裁文書上は、いまだに法律の解釈が変わっていないことになります。やはり法務省は、解釈変更の意思を言わば「かっちり」と固めた時には、決裁文書を作成することが望ましいのではないでしょうか。
【検察への国民の信頼】
映像に出てきた昭和29年の「造船疑獄」などを捜査し、特捜検察の基礎を作った河井信太郎は、現場の検察官に向けた著書でこう記しています。
「検察における不偏不党とは、検察権の行使は常に一党一派に偏することなく厳正中立であって、いささかもそれが疑われるようなことがあってはならない」(「検察讀本」より)。
河井は国民に公正さへの疑念を持たれること自体が、検察の信頼を損なうと考えていたことが分かります。
戦後の検察は、憲法の「司法の独立」を理念とする検察庁法によって作られ、その結果、数々の巨悪を摘発してきました。ただ、その「検察の威信」は、どこまでも国民の信頼の元に成り立ってきたはずです。
その信頼が「いささかも疑われることがあってはならない」という言葉を、関係者は、忘れないでほしいと思います。
(清永 聡 解説委員)
この委員の記事一覧はこちら