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「初の人工衛星から50年 日本の宇宙開発はどこへ」(時論公論)

土屋 敏之  解説委員

1970年2月11日に日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられてからちょうど50年。日本の宇宙開発の“産みの苦しみ”だったとも言える「おおすみ」の打ち上げまでを振り返ると共に、そこから半世紀を経て広がる宇宙利用と、直面する多くの課題の中で日本の宇宙開発がどこへ向かうのか?考えます。

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 鹿児島県大隅半島から、当時の東京大学宇宙航空研究所のグループが打ち上げた人工衛星「おおすみ」は、全長1m、重さ24kg。宇宙での位置を知らせる無線送信機などを搭載していました。おおすみはその後に続く、より実用的な衛星を打ち上げる技術を蓄積するための実証試験衛星でした。
 日本のロケット開発を推進した故・糸川英夫教授らのもとで始まった人工衛星計画は、当時の国会で「ロケットの誘導技術は軍事転用される恐れがあるのではないか」との懸念が示されたことから、「無誘導・重力ターン」という独自の方式が編み出されました。これは、打ち上げられたロケットは地球の重力に引かれて向きを変え、やがて地表と並行の向きになるので、そのタイミングで次のロケット噴射をさせられれば衛星を軌道に乗せられるというアイデアです。ただし、こうしたことを打ち上げ後に地上から指令を送って誘導することなく、タイミングを計算して正確に動くように作るのはきわめて難度の高いことです。

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 これを実現しようとしたL-4Sロケットの開発は苦難続きでした。
 1966年の1号機から4回続けて打ち上げに失敗。ちょうどよいタイミングで多段ロケットが分離しなかったり、エンジンが点火しないなどトラブルが相次ぎました。こうした中、強まる批判を受けて糸川教授が東大を去ることになってしまいました。さらに、当時の科学技術庁が近くの種子島に新たな打ち上げ場を作ったことに漁業者から強い反対が起き、その影響で東大グループの打ち上げも中断されます。しかし、その間もスタッフは失敗の原因を一つ一つ分析し地道な改良を続けました。

 そして1970年2月11日、ついにL-4Sロケットの打ち上げが成功。その様子は、東京銀座でもテレビのショールームで多くの人たちが見守りました。打ち上げから2時間半後、地球を1周してきたおおすみからの電波をついに受信。日本はソビエト、アメリカ、フランスに続く4番目の人工衛星打ち上げに成功した国になったのです。

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 この計画の発案者の一人で宇宙システム工学の第一人者・秋葉鐐二郎さんによると、初の人工衛星となったおおすみの打ち上げでも失敗した部分があったと言います。ロケットの熱が衛星に伝わったことで軌道投入後電池が壊れ、翌日には通信が途絶えてしまったのです。
 そして当時の取り組みを「すべてが失敗であり、同時にすべてが成功だった」と独特の表現をします。国家ぐるみではなく一大学の研究グループが始めたロケット開発は、数々の失敗を重ねてそこから学んだからこそ実践的な技術を蓄積でき、この翌年から新たなロケットを使って、科学的な観測を行う衛星の打ち上げに次々成功していきます。おおすみの苦闘はまさに日本の宇宙開発の“産みの苦しみ”だったのです。

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 それから半世紀、日本の人工衛星や探査機は小さなものを含めると200基以上が打ち上げられたとも言われ、打ち上げの成功率も世界屈指の高さです。そして、人工衛星の種類も多様化が進んでいます。科学研究が目的のものだけでなく、気象衛星ひまわりや環境の変化を捉える地球観測衛星、さらに位置情報を得る測位衛星や、情報化社会を支える通信衛星などが世界的にも急増しています。そして、小惑星探査機「はやぶさ2」や国際宇宙ステーションへ補給物資を送る「こうのとり」なども含め、今や宇宙開発の世界で日本が一定の存在感を示していることは間違いありません。

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 とは言え、今後を考えた時、課題も山積しています。
 まずこの半世紀で、宇宙開発は冷戦時代の軍拡競争や宇宙というフロンティアへの挑戦自体が評価された時代から、社会を支える実用・商業利用の場へと姿を変えています。しかし、こうした実用衛星をより安くより大量に打ち上げるビジネス化の競争では、欧米などに比べ日本はようやく民間企業が育ち始めたばかりで大きく出遅れているのが実情です。
 また、戦後宇宙の平和利用を大原則としてきた日本の宇宙開発ですが、2008年の宇宙基本法に「安全保障の推進」が明記されて以降、国の基本計画で安全保障重視の姿勢が際立ってきました。そして、防衛装備庁が多額の資金を助成する安全保障技術の研究制度をめぐって、軍事研究につながることはないか宇宙分野の科学者の間でも議論を呼んでいます。

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 その背景には、日本の科学技術関係予算が、主要国が軒並み大きく増加させている中で2000年以降停滞している現状があります。とりわけすぐに利益を生むわけではない基礎科学の分野は研究費や安定したポストを得るのが容易でなく地盤沈下が進んでいます。
 もう一つ気になる傾向もあります。JAXA・宇宙航空研究開発機構が行った世論調査では、宇宙の科学研究や探査に興味があると答えた人の割合が男性で年代別に見ると若い世代ほど減っている傾向が目立ちます。かつて宇宙と言えば夢やロマンに満ちた若者の憧れの対象だったはずですが、今やそうではなくなっているのか?あらゆる科学技術が結集される場でもある宇宙開発が若年層の関心を引かなくなっているとすれば、科学技術立国を掲げてきた日本の先行きに不安も否めません。

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 日本初の人工衛星計画の発案者の一人であり宇宙科学研究所の所長も務めた秋葉鐐二郎さんは、これからの宇宙開発に求められるものをこう提言します。
 まず、「国から民間へ」「競争から協調へ」、そのためには「多様な人材の育成」も急務だということ。そして何より、地球環境問題が深刻化し国と国が対立する中でも、宇宙開発はその垣根を超えて「人類の存続に貢献」できるものであってほしいと言います。
 ロケット技術は多くの国で弾道ミサイル技術と関連して進んできた面がありますが、日本では戦後、純粋に科学者たちの探求心から生まれ育ってきました。宇宙開発が今後も人類社会に普遍的な価値を持つものであってほしいと思います。

(土屋 敏之 解説委員)


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