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「変わるか中国の政治統治 ~4中全会から見えるもの~」(時論公論)

加藤 青延  専門解説委員

中国共産党は先週、今後の重要な政治方針を決める中央委員会総会、4中全会を開き、「国の統治の方法をより現代的なものに変えてゆく」という方針を決めました。では「統治体制の現代化」とは、はたして何を意味するのか。この決定によって、近年、顕著化している習近平国家主席による専制的な支配体制を少しでも改めることになるのか、閉幕後発表されたコミュニケをもとに、中国政治の今後を読み解きたいと思います。

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【VTR:中国共産党4中全会】
中国共産党の中央委員会第4回総会「4中全会」は、先週31日までの4日間、非公開の形で、北京で開かれました。会議には、党の中央委員202人と候補委員169人などが出席。最終日の31日には、国家の統治能力の現代化を推進することなどを決めたコミュニケを採択して閉幕しました。実は、中国共産党が中央委員会総会を開いたのは、去年2月以来、実に、1年8か月ぶりのことです。

中国の国営通信新華社は、今夜、この中央委員会総会で採択した決定の詳細を発表しました。私も先ほど一読しましたが、その中身は、最終日に発表されたコミュニケに沿ったもので、更に詳しく興味深いものでした。ここではどんな内容かを、コミュニケに沿ってご説明します。

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それによりますと4中全会では、建国100年、つまり2049年を見据えて▼国家の統治システムの現代化や▼党の科学的・民主的な政務の執行。▼人民を主人公にして社会主義民主政治を発展させること、それに抗議デモで揺れる香港については、▼国家の安全を守るための法と執行制度を確立することなどが決まりました。
実は、筆頭に掲げた「国家の統治システムの現代化」については、1年8ヶ月前の中央委員会総会でも機構改革と共に話し合われ、当時のコミュニケにも繰り返し記されたテーマです。今回、同じテーマを再び話し合い、新たな決議をしたことにどのような意味があるのでしょうか。

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前回の総会の決定を受けてこの2年近く、統治システムの現代化も進められてきたはずですが、この間、最高指導部の中で習近平主席だけが別格扱いされ、かつての毛沢東のような個人崇拝の時代に逆戻りしたような印象を受けました。では、今回改めて提起された「現代化」とは、やはり毛沢東時代のような個人崇拝に逆戻りすることなのか、それとも、より民主的な集団指導制の方向に進むことを意味するのか、そこが大きな問題だと言えます。
中央委員会総会のコミュニケは、トップの習近平主席といえども曲げることができない極めて重要な文書です。私は、今回のコミュニケを読んで、再び集団指導制の方向へと、ある程度政策転換が行われた可能性もありうるのではないかという印象を持ちました。

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現在の中国の統治体制の特徴は、ほぼ全ての権力を習近平国家主席に集中させていることにあります。習近平氏は、自分の周囲を側近で固めただけでなく、国家主席の任期を撤廃し、終身制を可能にするなど専制的な統治体制を強めてきました。自分の発言をまとめた「習近平思想」をみんなに学ばせ、報道機関の記者たちには、習近平思想のテストに合格しなければ仕事を継続できない仕組みまで作りました。しかし、習主席だけを別格扱いにするそのやり方は、まるで毛沢東時代に時計の針を逆戻りさせようとしているのではないかという批判的な見方もくすぶり、それが党内部の確執や権力闘争へと発展したとの見方も出ています。

では、今回の4中全会の決定は、そうした中国の政治に新たな変化を及ぼし得るのでしょうか。私は、今回発表された4中全会のコミュニケと、1年8か月前に開かれた前の中央委員会総会、3中全会のコミュニケとの違いにこそ、それを裏付けるヒントが隠されているのではないかと思いました。この新旧二つのコミュニケはいずれも「国家の統治システムの現代化」に関わる問題を政治テーマにしているため、見比べることが比較的容易で、政治の変化が浮かび上がると考えたからです。

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両者を比較しますと、字数で言えば、前回が3000字あまり、今回は6000字弱と今回の方がおよそ1.7倍の長さがありました。ただ基本的な文章の流れに大きな違いはありません。今回、まず際立ったのは「人民」。日本で言えば国民に当たる言葉だと思いますが、その「人民」という言葉が極端に多用されたことでした。前回のコミュニケでは、わずか8回しか登場しなかったのに、今回は51回も使われました。しかも、今回は「人民のために」が3回、「人民が主人公になる」が3回登場しました。これらの表現は、前回はまったく見られなかったものです。特に「人民が主人公になる」という言葉は、権力の頂点に立つ習近平国家主席を「国の主人公」として崇め奉ろうとする人たちにとっては都合の悪い言葉と言えます。

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さらに目を引いたのが前回はまったく使われなかった「民主」という言葉が、今回は5回も登場し、特に「人民の民主を発展させる」という言葉まで使われたことです。民主という概念は、「トップリーダーによる個人独裁政治」とは「ま逆」の意味を持ちます。

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さらに「思想」というキーワードの使われ方もだいぶ異なりました。前回は「思想を統一する」という言葉が2回つかわれました。思想を統一するということは、国民があまねく習近平思想を身に着けることを意味しますが、今回はまったく使われないどころか、むしろ逆方向の「思想を解放する」という言葉が登場したのです。実は、「思想を解放する」という言葉は、かつての指導者、鄧小平がまさに毛沢東への個人崇拝からの脱却と改革開放政策の推進を打ち出した1978年に述べたもので、今回も「教条的な思想から頭を解放し、事実に基づいて物事を客観的に判断できるようにするべきだ(解放思想,実事求是)」という鄧小平の当時の表現がそのまま引用された事も注目されます。

実は、習近平主席がトップになって以来、鄧小平の打ち出した現実主義よりも、習主席が唱える理想主義的な考え方が重視されてきたきらいがあります。しかし今回のコミュニケでは、再び鄧小平の現実的な考え方も一部で再評価されはじめているといえるのです。私がもう一つ注目したのは、「党」と「国家」の力関係です。これらの言葉の使われ方の頻度も、党の国家に対する支配力を強める形の機構改革が打ち出された前回のコミュニケと、今回のコミュニケとでは異なる傾向を見せました。

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前回のコミュニケでは、「党」という言葉は71回使われましたが、今回のコミュニケでは、全体の字数が1.7倍も多いのに、61回しか使われませんでした。一方、「国家」という言葉は、前回も今回も37回と、同数使われていました。「党」という文字の数がずいぶん減ったのです。もちろん、コミュニケに登場した数の比較だけで、党が国を支配することが前提の両者の力関係を判断することは、リスクが大きいかもしれません。ただ、「人民」や「民主」という言葉が多用されるようになった流れの中で、その数の変化も簡単に「無視できる違い」とも言い切れません。「党」が習近平氏の、「国家」が政府行政機構のトップでナンバー2の李克強氏の、力関係とどこかでつながっているかもしれない、そんな見方もあり得るからです。

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とはいえ、61対37ではまだ圧倒的に「党」が多いことに変わりはありません。習近平氏を頂点とする中国共産党の指導体制自体は当面変わらないと言う事でしょう。ただ、一時は忘れられていた集団指導制を意味する言葉、「民主」という考え方が限定的であるにせよ息を吹き返したという変化を読み取ることもできるでしょう。もし個人崇拝から集団指導体制へと、中国が少しでも舵を切ることになれば、確かに建国100年を迎えるころの中国は、現状の体制をそのまま続けるよりは、だいぶ変わっている事でしょう。
実は、中国が改革開放政策を打ち出した1978年の3中全会で出されたコミュニケも、文字面のわずかな異変からその後の大きな変化が起きることはまったく予想できませんでした。共産党の指針として大変重みのある文書、コミュニケは、ごくわずかな表現の違いも、その後の大きな変化につながる可能性を秘めているといえるのです。今回の4中全会のコミュニケや決定も、そのような兆しをほのかに、におわせていると言えそうです。

(加藤 青延 専門解説委員)

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