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「欧米利下げ 世界経済は大丈夫か」(時論公論)

櫻井 玲子  解説委員

アメリカの中央銀行にあたるFRB・連邦準備制度理事会は、日本時間のきのう、前回7月の会合に続き、景気の冷え込みを防ぐための追加の利下げを決めました。
また、ヨーロッパ中央銀行も先週、3年半ぶりの利下げを決定。
米中貿易摩擦の影響で、世界経済が減速し、頼みの綱としてきたアメリカでも、変調の兆しがみられる中、欧米ともに、景気を支えるための金融緩和に、舵をきったことになります。
これでひとまず世界経済は大丈夫といえるのか。今後のリスクは何か。
そして日本経済への影響はどうかを考えたいと思います。

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まずは今回のアメリカの利下げとその背景をみてみます。
FRBは景気の減速を防ぐため、政策金利を0.25%引き下げると決めました。
10年半ぶりの利下げを決めた7月の会合に続き、2回連続の利下げです。
実は足元だけみると、景気をどう判断するかは難しいところです。
ニューヨークのダウ平均株価は依然として堅調で、失業率も3.7%と歴史的にみても低い水準です。
一方、米中対立の影響で、製造業の景況感を示す指数は3年ぶりの水準に悪化。
賃金や輸出も伸び悩んでいます。
患者に例えれば、風邪のひきはじめのような兆候はみられるが、高い熱が出ているというわけではない状態です。
このため、今回の利下げには先行きのリスクに対する「保険」という意味合いもあると、FRBのパウエル議長は説明しました。

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ではアメリカの景気の先行きはどうみたらいいのでしょうか?
こちらはニューヨーク連邦準備銀行がまとめている「12か月後の景気後退確率指数」です。
過去には、この指数が30パーセントを超えると、実際に、その1年後に景気が後退するケースが多いことがわかっています。
2000年代前半のITバブルの崩壊や、2008年のリーマンショックがその例です。
そして来年8月のアメリカの景気が後退する確率は、37パーセント。
大統領選まっただ中の時期に、景気後退の可能性が高まるようにも、みえます。
トランプ大統領はこれまでFRBに大幅な利下げを何度も迫ってきましたが、こうした背景を知ればその執拗さも、理解できようというものです。

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ただ、この指数、短期金利と長期金利の差をもとに機械的に算定されたもので、あくまで参考材料の一つにすぎません。
そもそも、景気後退の確率が上昇している背景には、米中通商摩擦など、政治的なリスクの影響があります。
パウエル議長も「貿易政策が重石になっている」と嘆いています。
このため、FRB内部でも、先行きについての見方は大きくわかれ、「これ以上の利下げは必要ない」と考えるメンバーが多数いることも明らかになっています。

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一方、ヨーロッパ中央銀行も、FRBに先駆け、先週、3年半ぶりのマイナス金利の拡大や、量的緩和の再開を含む、大胆な金融緩和策を打ち出しました。
こちらも銀行内に根強い反対がありました。それをこれまで数々の危機を乗り切ってきたことで知られる「スーパーマリオ」こと、マリオ・ドラギ総裁がおさえた形です。
米中貿易摩擦の影響でドイツがマイナス成長に陥り、景気後退が避けられそうにもないこと。イギリスのEU・ヨーロッパ連合からの離脱への懸念が高まっていることなどが、背景にあります。
政策の出し惜しみをして、対応が後手にまわるのを防ぐ狙いがあるとみられます。

そして今、欧米の中央銀行がひとまず金融緩和に舵をきったことで、市場関係者の間でいくぶん不安も和らぎ、景気後退や、世界同時不況といった事態は避けられるのでは?という楽観論も強まっています。

しかし、こうした対応で、世界経済は大丈夫といえるのでしょうか。
結論からいうと、安心するのはまだ早い。むしろ不確実性が高まっているという指摘もあります。2つの理由があります。
1つは、FRBにもヨーロッパ中央銀行にも、残されたカードは少ないことです。

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アメリカの政策金利は今回の利下げで1.75%から2%の範囲となりました。
ヨーロッパ中央銀行はすでにマイナス金利です。
金利の引き下げ余地は少なく、病状が重くなってから治療するとなると、効果のある薬が足りなくなる可能性がある。
そこで今回の利下げは、早めに手を打って重病になるのを事前に防ごうという狙いがありました。
しかし症状の悪化を食い止められない、あるいは、別の要因で重病にかかった場合、打つ手がなくなるかもしれません。
アメリカでもヨーロッパでも中央銀行の内部で、利下げをすすめることへの慎重論が根強い理由の一つがこれです。
このため、このまま緩和を一本調子で続けられるか、その保証は、ありません。

2つ目は、大きな危機を未然に防ごうとする金融緩和の動きが、新たなリスクを招く危険性についてです。

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これまで続けてきた金融緩和の影響で、世界の債務残高・つまり借金はすでに、およそ10年前・リーマンショック前の1.5倍にまで膨らんでいます。
特にアメリカでは今、信用力の低い企業への貸付けが日本円にして100兆円を超えています。FRBがさらに金融緩和をすすめ、カネあまりの状態が加速すれば、新たなバブルを招く可能性があります。

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注意すべきはこれがアメリカだけでなくほかの国にも影響を与える可能性です。
2008年のリーマンショックのときは、リスクの高いローンを組み込んだ金融商品の多くをヨーロッパの金融機関が買っていて、巨額の損失を被りました。
今は、似たような金融商品の多くを、日本を含むアジアの機関投資家が買っていると指摘されています。
バブルが弾ければ、アジアを巻き込む形で、金融危機が起きる可能性もあります。
それだけに、各国の中央銀行は難しい舵取りが求められています。

それでは、日本への影響についてはどうみればよいのでしょうか。
アメリカ・ヨーロッパの中央銀行が緩和をすすめれば、円高がすすみ、企業業績の悪化も心配されます。
しかしマイナス金利政策をとる日銀には残された選択肢が極めて少ないのが実情です。
こうした中、日銀はきのう、金融政策を据え置くことを決めました。
来月・10月に、5年半ぶりとなる消費増税を控え、景気への影響を見極めたいこと。
輸出や生産にはすでに影響が出ているものの、円相場が比較的落ち着いていることが背景にあります。
黒田総裁は会見で、「前回7月の会合の時よりは緩和に前向き」「日銀には緩和の余地は十分にある」と述べ、必要ならば、追加の緩和策に踏み切る構えを強調しました。
また、来月に開かれる次の会合では、経済と物価の動向をあらためて点検する方針も示しました。
消費増税や米中貿易摩擦はもちろん、中東情勢の緊迫による原油価格への影響や、香港の政情不安などリスクは山積みです。
国内外の経済がさらに減速する可能性もある中、この難局をどう乗り切るか、一層細やかな目配りが必要になりそうです。

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リーマンショックの教訓は、危機の火消しは躊躇なく行ない、金融政策も出し惜しみをしないことが重要だということでした。
ただこうした緩和を長期にわたって続けることは当初は想定しておらず、その副作用に、今、苦しんでいるのが実情です。

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それぞれの中央銀行はこれから、薄氷の上を一歩一歩、前をすすむような、繊細な舵取りが求められます。また、金融政策が魔法の杖でも、打ち出の小槌でもないということがはっきりした今、各国政府は政治的なリスクを少しでも減らせるよう努力をし、金融政策の過度な依存からの脱却を検討することも、必要ではないでしょうか。

(櫻井 玲子 解説委員)


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