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「解決できるか 諫早湾干拓最高裁判決」(時論公論)

合瀬 宏毅  解説委員 清永 聡  解説委員

長崎県諫早湾の干拓事業をめぐり、最高裁判所は13日、国の訴えを認めた2審の判決を取り消し、審理のやり直しを命じました。
この事業では排水門を開けるかどうかで長年対立が続き、司法の判断も混迷しています。最高裁の判決で、問題は解決できるのか。農業や漁業の問題を担当する合瀬解説委員と、司法担当の清永でお伝えします。

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【解説のポイント】

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●諫早湾干拓事業はどのような目的で行われたのか。
●紛争の背景と最高裁判決のポイント。
●そして、問題は解決できるのでしょうか。

【諫早湾干拓事業とは】
(清永)
13日の判決はもう一度、2審の福岡高等裁判所で審理をやり直せと命じたわけですが、最大の焦点である排水門を開門すべきかどうかの判断には直接明言しておらず、なお混迷が続くでしょう。
Q:この諫早湾干拓とは、どんな事業だったのでしょうか?

(合瀬)
この諫早湾干拓事業、完成までに紆余曲折を繰り返しました。
もともと、この事業、戦後の食糧難の中、平地が少ない長崎県に広大な水田を造成しようという「長崎大干拓構想」が発端でした。しかし減反政策が始まるとともに、その目的や規模は大きく変わります。平成9年に海を締め切る工事が始まった時には「止まらない公共事業」の象徴と言われ、鉄の板を落とす映像は大きな衝撃を与えました。

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現在の諫早湾干拓が完成したのは平成19年です。総工費2530億円。有明海に面する諫早湾の3分の1を全長7キロの潮受け堤防で閉め切ることで、870ヘクタールの農地を造成。また、新たに出来た調整池を利用することで洪水や高潮から町を守ることが目的となっています。

Q:現在、干拓地はどうなっているのでしょう。
 新たに出来た農地では、現在35の農家や農業法人がニンジンやタマネギ、キャベツなどを栽培しています。広大な農地を生かして、1戸あたりの耕作面積が18ヘクタールと全国平均の6倍に及ぶ、大規模農業が実現しています。

 また、諫早地区は昔から大雨の被害が繰り返された地域ですが、潮の満ち干に関係なく、市街地からの排水が可能となり、地域の防災機能に大きく貢献していると長崎県では評価している。

【紛争の経緯とねじれた司法】
Q:ただ、裁判で漁業者は違う立場ですよね?

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(清永)
漁業者などは、特産の貝の不漁やノリの不作などが深刻になり、排水門の開門を強く求めました。一方で農家側は、開門すると堤防の内側に海水が流れ込んで作物が塩の被害を受けると強く反対しました。
それぞれが裁判を起こし、平成22年に当時の民主党政権のもと、開門を命じる判決が高裁で確定。
一方で自民党政権になった平成29年には開門を禁止する判決が言い渡され、その後確定しました。つまり国は「開門しなければならない」「開門してはならない」という正反対の判決がいずれも確定するというねじれた状態を背負うことになったわけです。

Q:どうして裁判所は正反対の判断をしたのか。
これは漁業者と農家がいずれも国を相手取って別の裁判所でそれぞれ訴えたからです。裁判所が、それぞれの権利が侵害するかどうかを個別に判断したため、1つの裁判所では漁業者の言い分を認めて開門を命じ、別の裁判所では農家の言い分を認めて開門を禁止したわけです。

【最高裁判決の意味は】
Q:ただ、今回の最高裁判決、そこに決着をつけるものではなかったですね。

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(清永)
今回の裁判は、すでに確定した「開門を命じた判決」について、その後事情が変わったという理由で、事実上無効にするよう国が別の訴えを起こしたものです。いわば「ねじれ」の解消を狙ったわけです。
最高裁は、「かつての判決から長い時間が経過して事情が変わったことによって、ほかの理由がないかどうか、さらに審理を尽くすべきだ」と指摘して、もう一度高裁で審理をやり直すように命じました。

Q:これは漁業者が勝訴したというわけではないのでしょうか?

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そうとは言えないと思います。まず、開門すべきなのか、開門すべきでないのか、最も注目されるポイントで、最高裁は直接の言及をしませんでした。
加えて、2審が漁業権の判断で国の訴えを認めたのに対し、実質的な事情の変化を調べるように求めたことから、第2小法廷が確定判決を無効にする方向性を示唆したとも考えられます。
今回の判決には「長期化、混迷化しているので」と裁判長による補足意見も書かれています。この中では、「判決が確定した当時の判断には、かなりの不確実性が含まれていた」と指摘して、その後の状況が変わっている可能性があるのではないか、という考えをにじませています。こういった点が、おそらく今後の審理では焦点になるのだと思います。
ただ、判決が解決の突破口になるわけではないので、争いとしてはさらに続くことになるでしょう。

Q:合瀬さんはこの判断をどうみますか?
(合瀬)
 裁判が始まって17年です。どんな結果であろうと、地域を2分した漁業者と農業者の争いにこれで決着がつくと、地域の人たちは期待していたはずです。
判決を差し戻しただけでなく、決着に向けて明確な方向性を示さなかった最高裁の姿勢は、地域に大きな失望を与えたことは間違いありません。
 
【解決の糸口はどこに】
(清永)
さらにねじれ状態が続くわけですが、一方でこれだけ対立が深まると司法、特に判決によって解決を導き出すのは、もはや難しいのではないかとも考えます。
言うなれば司法の限界であり、現状では、裁判のたびに争いが繰り返され、感情的なしこりが大きくなっていくおそれがあります。最後には地域が分断されかねません。

Q:今後どこを糸口として解決を図っていけばいいのでしょうか?
(合瀬)
 カギは有明海での漁業の再生だと思います。漁業者も国も有明海を昔のような「宝の海」に戻したいという思いは同じです。

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実はノリなどが不作になった2000年以降、国はアサリなど2枚貝の稚貝を放流したり、生息場所となる海底を掘り起こしたりして、環境を改善する取り組みを行って来ました。
その結果、熊本県や福岡県においてアサリの資源量の増加が確認できたほか、佐賀県では二枚貝のアゲマキ漁が22年ぶりに再開するなど徐々に取り組みの成果が出てくるようなったと、農林水産省では説明している。

Q.それでも漁業者の方々は開門を強く望んでいます。その理由は何なのでしょうか。
全体として、復活の兆しが見えているものの、今回訴訟の中心となっている有明海の西側では、2枚貝のタイラギなどの不漁が相変わらず続いているからです。国が対策を打っても、この地域の漁業復活が見えない以上、開門しかない、というのが、追い詰められた漁業者の気持ちなのです。
もし、国があくまでも、開門しない、解決策にこだわるなら、漁業者の気持ちに寄り添って、この地域の漁業が復活する方法を提示する。そこが解決には不可欠だと思います。
 
【裁判にこだわることなく解決策の模索を】
(清永)
諫早湾干拓事業では、紆余曲折を経ても止められない巨大な公共事業が、最終的に混迷をもたらす結果になりました。漁業者も農家も長年にわたって翻弄され続けたと言えるのではないでしょうか。
裁判はさらに続くわけですが、ここまでの長い経緯を考えれば、国は強硬的な対応を取るのではなく、有明海の再生を図り、謙虚に双方と話し合って、裁判にこだわることなく、解決策を模索してほしいと思います。

(合瀬 宏毅 解説委員 / 清永 聡 解説委員)


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