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「戦争証言 どう引き継ぐ」(時論公論)

清永 聡  解説委員

今年も「終戦の日」を迎えました。終戦から74年。軍隊の経験や空襲の体験を持つ人は年々少なくなり、直接話を聞くことは次第に難しくなっています。
今夜は各地の取り組みを見ながら、人々が体験した戦争の証言をどのように継承していくのかを、考えます。

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【今も続く被爆証言の収集】
去年12月。東京・荻窪の区民センターに広島から財団法人、広島平和文化センターのスタッフが訪れ、現在東京で暮らす男性の被爆証言を収録しました。
大正14年生まれの井上惣左衛門さん。20歳の時に見た被爆後の広島の光景を、カメラの前で語りました。
井上さんの証言は、広島市の平和公園内にある追悼平和祈念館で保存され、現在は閲覧室で自由に見ることができます。
祈念館は国の事業として平成15年度から、全国を回って県外で暮らす被爆者の証言を収録する地道な取り組みを続けています。その数は海外を含めて420人を超えます。担当者は「直接話を聞くことができる限り、貴重な証言の収集を急いでいきたい」と話していました。

【証言を得ることは次第に難しく】
広島のように継続的に証言を収集・記録しているところのほかにも、戦時中の体験を聞く催しは、各地で開かれています。
ただ、ある担当者は「証言できる人が急激に減っており、いつまで続けられるかは分からない」と話していました。
戦争の記憶を詳細に証言できるのは、多くの場合80歳以上ですが、人口の8、7%。軍隊経験の可能性がある90歳以上の男性に限定すると0、4%まで少なくなります。
資料館のある職員は「すでに軍隊の経験を直接聞くことは難しくなっている。あと10年あまりで、空襲体験を話すことができる人もわずかになってしまうだろう」と話しています。では、私たちに何ができるのでしょうか。

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【かつての手記や映像は】
いわゆる一般の市民による戦争の証言は、これまでも残されてきました。主に70年代頃から、全国で手記や写真などの収集が盛んになり、80年代から、戦後50年の節目となった90年代以降には映像や音声で記録する取り組みが自治体などでも行われました。
しかし、せっかく集めたこうした証言は、現在どうなっているのでしょう。
冊子にまとめて関係者に配布して終わったり、映像や音声もテープのまま、書庫などに収められたりしたままのケースもあるといいます。関係者によれば、継続的に活用されていない事例が少なくないということです。

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【各地で始まる証言の活用】
そこで、かつて集めた証言を、今、新たに活用しようという取り組みも始まっています。
大阪では研究者や市民が、大阪大空襲の記録の整備を続けています。この部屋には、70年代から90年代にかけて、空襲被害者の団体が集めた手記や資料が保存されています。
手記は450人分。当時多くが自費出版などされましたが、その後は図書館にばらばらに置かれたままで、団体は高齢化し、新たな活動は難しくなっていました。
そこで研究者や市民が「大阪空襲被災者運動資料研究会」として、9冊の冊子や元になった資料などを引き取って手記を1つずつ分析し、書かれている内容や地域、日時などに分類したリストを作成しました。
それぞれの手記に何が書かれ、どこで読むことができるのかすぐに分かるようになっています。
かつての手記に光を当てる取り組みは、東京でも研究者のグループがすすめています。やはり70年代に集められた東京での空襲の手記844編を保存しようというものです。
体験者の直筆をそのままスキャンしてデジタル化し、活用する方法を探ろうというものです。これから4年かけて原稿を整理する計画だということです。

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こちらは沖縄県の取り組みです。かつての証言や写真を三次元のデジタル地図に再現しました。戦火に追われた人々の動きが、時間の経過を追って分かるようになっています。
人物をクリックするとそれぞれの人の証言内容や動画も表示され、どのような体験をしたのか詳しく分かるようになっています。

スマートフォンのアプリを使った取り組みも行われています。スマホ世代の若者にも興味を持ってもらえるよう、東京大学の渡邉英徳さんと広島の高校生、庭田杏珠さんが制作し、今年公開しました。原爆で破壊される前の街並みが地図と写真で現れます。写真はAI技術や被爆者の方々への聞き取りによって、白黒から鮮やかなカラーに再現しています。
証言と新たな技術を組み合わせ、現在の広島の光景に重ね合わせることで、デジタルの世界に生き生きと浮かび上がるようになりました。
このように幅広い年代に記録を活用してもらおうと、様々な工夫が、今、研究者や市民、自治体の手で続けられています。

【かつての記録から新たに見えるものも】
かつての証言や記録を改めて活用することで、新たに見えてくるものもあるといいます。
先ほど紹介した大阪大空襲の手記を分類した「大阪空襲被災者運動資料研究会」代表の横山篤夫さんによると、同じ地域にいても、米軍機に追われて、地下鉄の駅へ逃げた人と川や海に逃げた人などに分かれていました。では、犠牲はどこに集中したのか。そして、火災は時間とともにどのように広がり、生死を分けたのは何か。
1人1人の言葉は断片的でも、数百人分を重ねたことで、大阪大空襲の全体像とデータだけでは分からない悲惨な実態が把握できたと話します。

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さらに、こうした証言や手記は▼「戦争の実態を伝える歴史学」にとどまらず、▼「戦時中を生きた人々のくらしを伝える社会学」、▼「戦争体験が民衆に与えた影響を伝える民俗学」などさまざまな側面から研究対象になるほか、▼「物語や映画などの基礎資料」としても活用されます。(参考 昭和館 渡邉一弘さん)加えて、時間をさかのぼれば、国民の多くが軍部の台頭を支持するようになり、戦争までに人々の考えや生活がどのように変容したのかをうかがうこともできます。

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自治体などは眠ったままの証言や記録を掘り起こすとともに、民間の団体や研究会などが独自に行う取り組みも積極的に支援し、学校での教育や地域での郷土史の学習など様々な形で生かしてほしいと思います。

【可能な限り証言を生かし学ぶ】
今月10日、東京・江東区で、夏休み中の親子を対象に、戦争体験を聞く催しが開かれました。
当日は、83歳の増澤康年さんが、東京大空襲で逃げ惑った体験を語りました。男性は当時小学2年生。家族全員をその後、別の空襲で亡くしました。
会場は100人以上の親子で満席になりました。自分の街がかつて火の海になったという体験者の言葉を、子どもたちも、真剣な表情で聞いていました。

今回、各地の取り組みを取材して感じたのは、戦争証言の1つ1つに、自分たちの悲惨な体験を繰り返してほしくないという、強い願いが込められているということでした。
私たちはまだ、直接、戦争を体験した方々から、その話を聞くことができます。こうした大切な証言を、国、自治体、市民団体、私たち報道機関もできるだけ残すとともに、すでに集めた記録も活用し、戦争をできるだけ多角的に学んで、次の世代へと正しくつないでいく。
そのことが、現代の私たちに課せられた、責務のように、思えてなりません。

(清永 聡 解説委員)

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