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「西日本豪雨1年~命を守った『判断』から学ぶ」(時論公論)

松本 浩司  解説委員

九州を襲った今回の記録的豪雨でも避難のあり方が問題になっていますが、去年の西日本豪雨では行政から出された避難勧告が住民の避難に結びつかず多くの犠牲者が出てしまいました。一方で異常を感じて自ら判断したり、まわりから声をかけられたりして避難をして命が守られたケースも決して少なくないことがわかってきました。これらの事例から豪雨災害から身を守るために必要なことを考えます。
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広島県東広島市の洋国団地は山の斜面におよそ50軒が並んでいます。
西日本豪雨で大規模な土石流がこの団地を襲い10棟が全半壊し、20棟に濁流が流れ込みましたが、ひとりのけが人も出ませんでした。
岩と土砂の直撃を受けて押し潰されたこの家には高齢の女性が一人で住んでいました。

この家に住んでいた黒崎真弓さんです。普段から大雨のたびに避難の準備をしていましたが、3日間雨が続き、裏を流れる川の流れがいつもより激しく感じられたため、明るいうちの避難を決断しました。土石流が起きたのは翌日の早朝でした。

黒崎さんは「川があふれたら逃げられないという思いがあったから避難しようと決断しました。自分が危ないところに住んでいるということをいつも意識しなければいけないと思います」と話しています。

黒崎さんの判断を促したのは防災リーダーを中心に団地全体で防災に力を入れ、防災意識を高めてきたことが背景にあります。団地の防災マップを作り、緊急告知用のラジオも全世帯で購入。毎年、避難訓練を行ってきました。さらに豪雨のときの避難路を住民が自ら作ったほか、高齢者などの避難を手伝うサポート役も決めていました。
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西日本豪雨ではこうした備えが活かされました。まず前日のうちに体の不自由な高齢者をサポート役の住民が車で避難させていました。

土石流発生後、団地内を膝上までの濁流が流れ続けて住民が孤立しかけましたが、あの避難路を使って安全な場所に逃げることができました。90歳のお年寄りを背負って避難した人もいます。

防災リーダーの大野昭慶さんは、「小さい団地でもひとりひとりに事情があってみんなに避難してもらうのはとても難しいが、訓練を繰り返すことで抵抗感が小さくなり避難につながると思う」と話しています。
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一方、高校生の機転で命が救われたケースもあります。

愛媛県西予市の明間地区も土石流などで大きな被害が出ました。
当時高校3年生で両親と祖母の4人で暮らしていた兵頭佳凪太さんは、午前3時頃、激しい雨の音で目を覚ましました。外を見ると排水口から濁った水が噴き出し、拳大の石が落ちてきて大きな音を立てました。

兵頭さんの家は標高差が200メートルある山の麓に建っていました。
「山が崩れる」と直感した兵頭さんは両親を起こして「逃げよう」と何度も訴えました。
しかし両親は「心配しすぎだ」と取り合わず、家に水が流れ込むのを防ごうとしていました。

兵頭さんは「『そんなことをしているひまはない、早く避難しようと」と今までにないくらい強く言いました。父は僕があまりに言うものですから、驚いて『わかった。逃げようか』と言って避難することになりました」

兵頭さんの家族は車に乗り込み避難所に向かいました。土石流が起きたのはそのわずか20分後。家は全壊し、特に祖母がいた母屋は原型をとどめていませんでした。

兵頭さんは決断ができたのは小学校の1年から6年まで、毎年、防災の授業と訓練があり「地区に土砂災害の危険があること」と「避難の大切さ」を繰り返し学んだおかけだと今、強く思っています。

兵頭さんは「防災の授業で『人に言われるのではなく、とにかく自分が怖いとか危ないとか思ったら逃げなさい』と教わっていたので、本当に今回それが活きたと思います。」と振り返っています。

【その他、避難で命が救われたケース】
住民などの判断で命が守られたケースはほかにもあったことがわかっています。

愛媛県大洲市三善地区は川の氾濫で70棟以上が最大で4メートル近く浸水しましたが、世帯ごとに避難方法を書いたカードを作っていたことや住民同士の助け合いでひとりのけが人も出しませんでした。
松山市高浜地区や愛媛県八幡浜市須川奥地区では、土石流で多くの家が全半壊しましたが、自主防災組織や消防団員の呼びかけで住民は直前に避難して、ひとりの犠牲者も出ませんでした。
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【命が守られた現場から学ぶこと】

「早めの避難」が大切だということをわかっていても実践するのは簡単ではなく、西日本豪雨では多くの人が逃げ遅れました。例外的に命が守られた現場の取材を進めると、そこにはいくつもの共通点があり、それらが避難行動を起こすための重要なカギであることがわかります。

▼まず行政のハザードマップに加えて、住民が地元の防災マップを作り、危険な場所や避難所などを把握していたこと
▼住民組織を中心に訓練に取り組んでいて、熱心な防災リーダーがいるケースが多いこと
▼高齢者など避難に支援が必要な人の名簿を作り、誰が避難を手伝うのか決めていたこと。ただ一般に、担当者を決めることには「責任が重すぎる」という声もあります。大洲市三善地区では避難カードに「気にかける人」を記入してもらってできる範囲で支援をしてもらうことにしていました。
▼そして防災教育や地域に伝わる災害の伝承も生かされました。住民10人の命を救った八幡浜市の消防団員は地域のお年寄りから「泥水が出たら危ない」と聞いていて、その前兆に気づいて避難を呼びかけました。
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【豪雨災害から命を守るために】
豪雨による被害を小さくするためにもちろん国や自治体は重い責任を負っています。一方、見てきたように、ぎりぎりのところで命を救う力になったのは、地域の日頃の取り組みや助け合いと言った「共助」だったと言えます。

西日本豪雨を教訓に、今、全国で住民が声をかけあって避難をする訓練が行われています。広島県呉市広石内地区で先月行われた訓練では、市から警戒レベル3の「避難準備・高齢者等避難開始」の情報が出たのを受けて防災リーダーの人たちが高齢者のいる家1軒1軒に声をかけ、住民が高齢者を支えながら避難所に向かっていました。こうした訓練をはじめ、地区の防災マップづくりや防災リーダーの育成、防災教育など住民の「共助」を後押しする取り組みを国や自治体が一層進める必要があります。

地球温暖化によって集中豪雨が起こる回数や地域が増えると指摘されていて、今回の九州の豪雨も当初の予測を超えて長く続きました。波状攻撃のような豪雨に住民にとっても防災に携わる人たちにとっても本当にたいへんな時代になったと感じます。しかし、ひとりひとりや地域の取り組みで確実に命を守ることができるという1年前の教訓を共有して備えを進めることが大切ではないでしょうか。

(松本 浩司 解説委員)


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