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「目指せ『認知症バリアフリー』社会」(時論公論)

堀家 春野  解説委員

今後の認知症対策の指針となる政府の初めての「大綱」案が5月16日示されました。高齢化に伴い認知症の人は増え続けています。誰にとっても他人ごとではありませんが、私たちの社会には認知症になったときに生きづらさを感じる様々な壁、“バリア”が存在するのも事実です。

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(解説のポイント)
解説のポイントです。
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認知症をめぐる現状を踏まえた上で、示された大綱案の2つの柱、「予防」と「共生」の具体策を検証し、地域で暮らしていくための壁をなくし、“認知症バリアフリー”社会を実現するにはどうすればいいのか考えます。

(認知症をめぐる現状)

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認知症は脳の病気によって記憶力や判断力が低下したり、BPSDといわれる妄想や暴力などの症状が出たりして、生活に支障をきたしている状態です。かつては「何もわからなくなる」といった誤った考えや、認知症に対する薬や介護サービスもなかったことから病棟にいわば“隔離”されるような時代もありました。2000年に介護保険制度が導入されたこともあり、いま認知症の人の生活の場の多くは自宅や介護施設。地域の隣人として暮らしています。

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認知症は年齢を重ねるほど割合が高くなるといわれています。60代の後半ではその割合は1.5%ですが、80代の後半では44%に上昇します。2025年にはおよそ700万人に上り、65歳以上の5人に1人を占めると推計されています。一方で、発症や進行のしくみの解明は不十分で根本的な治療薬や予防法は十分には確立されていません。こうした分野の研究開発を急ぐのはもちろんですが、それを待っているばかりではなく、認知症への備えや、認知症になっても暮らしやすい社会をつくっていくことが超高齢社会日本の差し迫った課題なのです。

(大綱案 本人からの発信支援)
では、日本の国家戦略ともいえる大綱案を見ていきます。

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団塊の世代がすべて75歳以上になる2025年までの6年間を対象の期間としています。この中では認知症ではない段階から、軽度の認知機能の低下がある段階、そして認知症になってからとそれぞれの段階に応じた対策を打ち出しています。全ての段階に共通するのは認知症本人からの発信の支援と治療法などの研究開発です。今でも「認知症になったら何もできなくなる」「お先真っ暗だ」といった偏見は社会に、そして認知症の人本人や家族にも少なくないといいます。そうではないという本人の生の声を伝えることで偏見を無くし、今後の対策にいかそうというのです。

(検証 大綱案「予防」)
そして、認知症ではない段階から行うのが発症や進行を遅らせる「予防」です。今回の大綱案の柱のひとつです。認知症の根本的な治療薬や予防法は十分には確立されていません。ですが、国内外の研究から発症を遅らせる可能性が示唆されるとして、適度な運動や食事、そして地域の活動に参加し孤立を解消することが重要だとしています。具体的には市町村が主導して地区の公民館や公園に高齢者が通うことができる「場」を作ったり、スポーツ教室を開いたりする。そうすることによって、70代での発症を10年間で1歳遅らせるという目標を掲げています。大綱の対象期間の6年間では70代の認知症の人の割合を相対的に6%低下させると説明しています。認知症をめぐってこうした数値目標が設定されるのは初めてです。これをどうとらえればいいのでしょうか。

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認知症に対する医療や介護、それに家族の負担にかかるコストは合わせておよそ14兆5000億円に上り、今後さらに増えると推計されています。認知症を予防できればコストを削減でき、1人ひとりの生活の質も向上することができる。こうした政府の期待もうかがえます。一方で、認知症の本人や家族からは、数値目標によって「予防」が前面に出てくると、予防できない人が差別されるのではないかといった懸念。そして、そもそも予防法が十分確立されていない中での数値目標の設定に疑問の声もあがっています。こうした懸念や疑問は当然です。これに対し政府は予防法が十分確立されるまで待っていられない。取り組めるものから取り組んでいきたいと説明します。懸念がある中で数値目標を設定するのですから、政府はどのような運動や活動が予防につながるのか、責任を持ってデータの収集や分析を行い、日本発の予防法モデルの確立を急がなければなりません。
大綱案の中では、認知機能が低下してからは医療や介護の体制の充実に加え、介護する人の負担の軽減を図るとしています。効果的な介護方法の開発も急ぐ必要があります。

(検証 大綱案「共生」)
そして、今回の大綱案で最も重要なのが認知症とともに生きるという「共生」の考え方です。認知症の人が生きづらさを感じている様々な壁を取り除き“認知症バリアフリー”社会を実現しようというのです。なぜこうした考えが打ち出されたのか。注目したい調査結果があります。

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認知症の人本人を対象にたずねたもので、およそ70%の人が認知症になったことで友人や知人と会ったり、買い物に行ったりする機会が減ったと答えています。その理由は▽駅の構内で迷ったりバス停を探したりするのが難しい▽券売機や自動改札、それにATMの操作が難しいといったことです。認知症の人が電車やバスを使ったとき降りる場所を忘れてしまったという話はよく聞きます。そういう経験をすると本人は失敗したことで傷つき、家族も外に出さない方がいいのではないか、そう考えて閉じこもりがちになってしまうことも少なくないといいます。大綱案には、認知症の人が感じている壁を取り除くため、移動手段の確保、これは車の免許を返納したあとでも外出しやすいよう乗り合いバスのようなしくみや、自動運転のサービスを進めることも含まれます。そして、買い物がしやすい環境づくりや就労支援、行方不明になったときに早期に発見できるしくみなど、様々な分野の対策が盛り込まれています。実際、参考になる取り組みも始まっています。

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京都の宇治市にあるスーパーで、平日の午前中に設けられているのが、ゆっくり支払いができるその名も「ゆっくりレジ」。後ろの人に気兼ねすることなく自分のペースで買い物ができるレーンです。小銭を出すことができる大きなトレーも用意され、店員と一緒に確認をしながら支払う人もいます。買い物客の女性は「小銭を出すときもあわてなくていいですね。助かります」と話していました。レジの自動化が進む中、買い物がしにくくなったという高齢者の声は少なくないといいます。ちょっとした工夫でこれまで通りの生活を送れる、こうした取り組みを限られた地域や業種にとどめるのではなく、全国にそして様々な分野に広げて、社会のしくみにしていく必要があります。「認知症になって始めてこの社会が壁だらけで生きづらいものだと感じた」。こう話す人もいます。認知症は誰にとっても他人ごとではありません。であればこそ、社会のしくみを認知症の人に寄りそって変えていく、こうした発想の転換がいま求められているのだと思います。

(堀家 春野 解説委員)

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