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「賃上げ 相次ぐ前年割れ 人への投資は?」(時論公論)

今井 純子  解説委員

春闘は大企業の回答が相次いでいます。電機や自動車など多くの企業では、6年連続の賃金引上げは実現しました。ただ、その水準は、去年を下回るところが目立ち、経済への影響が心配されています。一方、今回の春闘では、技術が急速に進歩する中、新しい時代に向けて、どのように社員の能力を高めていくのか。労使で話し合い、取り組みを進める動きも出てきています。きょうは、こうした問題について考えてみたいと思います。

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【春闘の焦点】
今年の春闘では、
▼ 10月に消費税率の引き上げを控えて、全体の賃金をいかに底上げするのか。
▼ また、4月以降に、段階的に施行される「働き方改革関連法」で求められる長時間労働の是正。正社員と非正規社員の間の合理的でない格差の解消、にどう取り組むのか。という点が、去年に続いて、大きな焦点になりました。
▼ さらに、今年は、新しい時代に向けていかに人材育成を強化していくのか。という新たなテーマについて、話し合う企業も見られました。

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【春闘の結果】
(製造業の結果)
まず、これまでに回答があった主な企業の正社員の賃金引上げについて見てみましょう。
自動車や電機などは、いずれも、年功序列で上がる仕組みの「定期昇給分」は確保しました。その上で、基本給の底上げにつながる、賃金の改善分=「いわゆるベア」に相当する分も多くの企業が6年連続で引き上げました。しかし、その額を見ると、去年を下回る水準のところが相次ぎました。

(製造業以外の結果)
製造業以外を見ると、人手不足が深刻な業種では、組合の要求を上回る、あるいは、去年の3倍といった、大幅な賃金引上げに踏み切る動きもみられましたが、ベアゼロなど厳しい結果となった企業も目立ちました。

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(長時間労働や格差の是正では、前向きな対応)
一方、格差の解消や長時間労働の是正については、
▼ 日本郵政が、無期雇用の非正規社員およそ8万人に対して、扶養手当を支給することを決めたほか。
▼ 日本通運も、フルタイムで正社員と同じ仕事をしている非正規社員について、賃金を正社員と同じ水準に引き上げる。
また、
▼ 富士通やIHIが、社員が会社を退社してから、翌日に出社するまでに10時間あけるよう求める「インターバル制度」の導入を決めるなど、前向きな回答が目立ちました。

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【賃上げ前年割れの背景】
では、なぜ、製造業を中心に賃金引上げは、低い水準にとどまったのでしょうか?
(業績への不安)
背景には、業績の先行きに急速に不安の影が広がってきた点があげられます。
▼ 中国やヨーロッパの経済が減速していることを受けて、日本の輸出、生産が減り、内閣府は、景気の状況を示す1月の景気動向指数で、景気の基調判断を「下方への局面変化」に引き下げました。政府全体としては、景気の回復基調は続いているとしていますが、実際には、景気はすでに後退し始めているのではないか、という指摘も経済の専門家から出始めています。
▼ 企業の業績にも、急ブレーキがかかり、今年度は全体で3年ぶりに減益になる見通しに転じました。

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(弱まった政府の圧力)
その上で、政府の賃上げ圧力がここ数年と比べると弱かったという点。これも影響しているという見方があります。安倍総理大臣は、今年も経済界に賃金引上げを要請はしました。しかし、去年新しく就任した経団連の中西会長が、「企業が主体的に社員の処遇改善に取り組むべきだ」と強く主張したこともあって、3%という具体的な引き上げ水準にまで踏み込んで、繰り返し、賃金引上げを求めた去年から比べると、明らかに圧力は弱まりました。そうした中、経済の先行きに不安がでてきたことで、それなら、社会的に関心の高い、長時間労働や格差の是正を優先させよう。一度上げると下げにくくなる基本給の引き上げは抑えよう。という企業の考えにつながったという見方です。

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(評価)
生活する立場から見ると、このところ、食料品の値上げが相次いでいます。10月には、消費税率の引き上げも予定されています。この程度の賃金引上げでは、負担の増え方に追いつかず、生活が苦しくなる心配があります。輸出、生産が減っているところに頼みの綱の消費も落ち込み、景気の足をさらに引っ張る懸念さえ出てきます。

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全体で減益と言っても、利益水準が高い企業も多くあります。抱える現金・預金も265兆円と、過去最高を更新し続けています。確かに、6年連続で賃金が上がるという流れを途切れさせなかったことは評価していいかもしれませんが、「賃金引上げは、企業自らのために自ら決める」と言ったのなら、もっと積極的に引き上げてほしかった。経済やくらしへの影響という点では力不足というのが、正直な思いです。 

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(中小企業の賃上げに期待)
これから、中小企業で交渉が本格化します。中小企業には、働く人の70%が勤めています。今回、組合側は、大企業との賃金の格差是正に力を入れていて、実際、大企業を上回る賃金引上げの要求をしている組合も多く見られます。経営側も、大企業より深刻な人手不足を背景に、帝国データバンクが1月に行った調査では、56.5%の中小企業が、何らかの形で賃金を引き上げると答えました。去年とほぼ同じ高い水準です。経済への不安はあるとは思いますが、少しでも余裕のあるところは、生産性を上げる取り組みとあわせて、思い切った賃金の引き上げに踏み切ってほしい。よい人材を確保するためにも、大企業の結果に引きずられず、前向きに対応してほしいと思います。

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【今後の課題】
(人材育成の強化)
一方、今年の春闘では、人材育成の強化という新しい課題も見えてきました。
今、AI=人工知能やロボットなど、技術の急速な進歩に伴い、企業は事業の中身を大きく変えようとしています。ただ、こうした分野の専門的な人材は、世界的に激しい採りあいになっています。そこで、企業の中には、外に新しい会社をつくって、本体とは別の高い賃金体系で、優秀な人材を移したり、新卒や海外から新たに採用したりするところもでています。一方、本体では、これまでの仕事がなくなる社員もでています。仕事がなくなった社員が切り捨てられたり、賃金の二極化が進んだりしないよう、いかに全体の社員の能力を高めていくかということが、働く側にとってもこれからの大きな課題です。取り組みを始めた企業もあります。

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(人材育成の取り組み)
▼ 日立製作所は、4月以降、社内の研修の体制を強化します。役職ごと必要な技術や経験を明確にして、意欲を示した社員などにAIやIoTなどの研修を拡充することを労使で確認しました。今後、具体的な検討をしていくとしています。
▼ また、ダイキン工業は、去年大阪大学と連携して社内に情報技術大学を開きました。新卒や若手社員にAIやデジタル技術をみっちり研修するほか、今後は、対象を営業や事務系の管理職にも広げて、AIなどの基礎的な知識について研修していくことにしています。

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今回の春闘では、年功序列、あるいは一律に、賃金やポストを引き上げる、これまでの人事のあり方について、見直しを求める経営側の姿勢が目立ちました。放っておけば、ますます二極化が広がりかねません。そうならないよう、いかに人への投資を強化して、社員の能力、そして、賃金の水準を同時に底上げしていくのか。春闘の後も、労使で話し合いを続けて、取り組みを急ぐことが求められると思います。

(今井 純子 解説委員)

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