NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「『INF条約破棄』は何をもたらすのか」(時論公論)

津屋 尚  解説委員

アメリカとロシアはともにINF・中距離核戦力全廃条約を破棄する方針を表明し、核軍縮の重要な枠組みの一つが消滅の危機に瀕しています。こうした中、条約の拘束を受けないもう一つの軍事大国・中国は中距離ミサイルの増強を続けています。INF条約の破棄がもたらす安全保障上の様々な課題について考えます。

190213_00mado.jpg

解説のポイントは次の3つです。
▽米ロにとって条約は“足かせ”。 
▽アメリカの本音は中国への対抗。
▽軍拡競争で何が起こるのか。

■INF条約とは
冷戦時代、アメリカとソビエトが調印したINF条約は、射程500キロから5500キロの地上配備型のミサイルを禁じました。この条約によって米ソは全ての中距離核ミサイルを破棄し、当時懸念されたヨーロッパでの核戦争の危機を大きく低減させました。

■INF条約は“足かせ”

190213_01_5.jpg

しかし、30年余りが経ち、情勢は大きく変化しています。ロシアの巡航ミサイルや弾道ミサイルの一部が条約に違反しているとしてアメリカは今月2日、半年後に条約を離脱すると通告しました。それだけではなく、この通告と同時に条約義務の履行を停止するとも表明。ただちに中距離ミサイルの開発に乗り出す姿勢を示しました。これに対してロシア側は「アメリカと同じようにふるまう」と述べ、禁じられている兵器開発に着手するとともに、条約を破棄する方針を表明しました。プーチン大統領は、条約が禁じる中距離兵器で、音速の5倍で飛行する「極超音速兵器」の開発を始めるよう命じました。アメリカも対抗策に乗り出すことは確実で、双方は、正式な条約の失効を待たずに新兵器の開発競争に突入しようとしています。

190213_02_1.jpg

激しく対立する両国ですが、ひとつ一致している点があります。それは、冷戦時代の産物であるINF条約は今の情勢には合わず、自国の安全保障の「足かせ」になっているという認識です。

190213_03_2.jpg

超大国同士が対立した冷戦時代とは対照的に、核兵器とその運搬手段である中距離弾道ミサイルを保有する国が次々と現れています。軍拡路線をひた走る中国、国際社会を欺いて核武装した北朝鮮、それに、ともに対立するインドとパキスタンなどです。こうした国々に囲まれた形のロシアは、同じような兵器の保有を禁じるINF条約は不公平だと受け止め、条約違反のミサイル開発を何年も前から進めてきたと、欧米諸国はみています。

■アメリカの本音は中国への対抗
一方、アメリカは、このロシアの違反をいわば口実に条約から抜け出し、みずからも中距離ミサイルの保有を目指そうとしているようにみえます。その最大の理由は、中国です。

190213_04_3.jpg

中国は、米ロが条約に縛られている間に、着々と中距離弾道ミサイルや巡航ミサイルの開発と配備を進め、今では「世界最大の中距離ミサイル保有国」です。米軍基地のあるグアムや日本を狙える核ミサイルも数多く存在します。中国の中距離ミサイルは1900発にものぼるとされ、中には、アメリカの空母を狙う“空母キラー”の異名を持つ、世界初の「対艦弾道ミサイル」もあります。

190213_04_6.jpg

これに対しアメリカは、中国の中距離ミサイルに相当する兵器を持ち合わせていないことを不安視しています。さらには、中国やロシアの軍事力の急速な近代化によってこれまで維持してきた軍事力の圧倒的な優位性が失われつつあると危機感を強めています。アメリカの軍事力は今でもまだ世界最大最強ですが、自分たちが持っていない兵器を競争相手が持っているという不均衡を何としても解消したいというのがアメリカの本音なのです。

INF条約の失効まで残り半年、条約の拘束を受けない中国が中距離ミサイルを増強している現状に対して、アメリカや国際社会の対応には、どのような選択肢があるでしょうか。ここでは、大きく分けて2つの対立する考え方があるように思います。

190213_05_4.jpg

ひとつは、アメリカがその発表に従い、中距離ミサイルを再び手にして、中国との不均衡を解消すべきとの意見です。同盟国も協力してアメリカの抑止力を強化し、中国が危険な行動に出ないようけん制すべきだとの立場です。
もう一つは、核軍縮による問題解決。中国も参加する新たな核軍縮の枠組みを追求すべきだとの意見です。
しかし、どちらの方向に進んでも大きな「困難」が伴います。アメリカが中国を抑止するため中距離ミサイルの開発と再配備に向かえば、米中の間で新たな軍拡競争が起き、地域を不安定化させることも懸念されます。
一方、核軍縮については、中国を含む多国間の枠組みをつくることが軍備管理の観点から言っても、当然、目指すべき方向です。しかし、今のところ具体的な動きは見えず、今後出てきたとしても、核兵器の削減条約に一度も加わったことのない中国を新たな交渉にどのように引き込むのかが大きな課題です。

■軍拡競争で何が起きるか
トランプ大統領は、言葉の上では「多国間条約」に言及はしているものの、「核軍縮」による解決は事実上放棄し、中距離核戦力の強化にまい進しようとしているように私には見えます。

190213_06_3.jpg

軍拡競争の再燃が予想される中で、アメリカが目指す軍事力の増強とはどのようなものなのでしょうか。「このままINF条約が破棄された場合、アメリカは、中国を強く意識して中距離ミサイルを配置することになるだろう」と専門家は指摘しています。そうなれば、中国周辺のアジア地域がアメリカにとって対立の最前線となりかねません。
「中国を意識したミサイルの配置」とは何か。それを探る手がかりの一つが、アメリカ国防総省が去年、「核態勢の見直し」という文書で示した新たな核戦略です。

190213_07_3.jpg

この中には、オバマ政権時代に退役した「核搭載型の巡航ミサイル・トマホーク」を復活させる方針が示されています。実戦で数多く投入されてきた「トマホーク」に再び核弾頭の搭載を目指す計画です。射程100キロ以上と中距離ミサイルに匹敵する飛距離があるトマホークの“核ミサイル化”によって、中国の中距離核に対抗する狙いと見られます。ただ、トマホークは、外見からは核を搭載しているかどうか見分けがつかず、仮に核を載せていなくても、相手が核ミサイルだと誤解すれば核戦争を誘発するおそれがあることも指摘しておきたいと思います。

190213_08_4.jpg

ここでさらに問題になるのは、アメリカが新たに中距離核ミサイルを導入する場合の運用方法。中国シフトでアジアに配備するならば、それらがどこに配備されるのかです。地理的条件だけを考えればグアムの他、日本や韓国なども候補になりえると指摘する専門家もいます。しかし、核の配備となれば、そもそも非核三原則がある日本では制度上不可能です。このため、洋上への配備、つまり、水上艦や潜水艦などに配備する案が検討される可能性があります。しかしこれも、核ミサイルを搭載した艦艇が補給や休養をする際、どこの港に入るのかなど、あいまいな部分も残ります。この先、アメリカの新たな戦略が具体化されていくとき、日本はどのような対応をするのか問われることになるでしょう。
冷戦時代につくられた条約が十分に機能しなくなっているいま、その代わりが見つからない限り、私たちは、不透明で不確実な世界に向き合うことになります。日本が核の廃絶を国是とする限り、かつてヨーロッパが経験した核戦争の恐怖が再びアジアの地にもたらされることがないよう、困難は承知の上で、中国を巻き込んだ新たな枠組みづくりをあきらめてはならないのだと思います。

(津屋 尚 解説委員)

キーワード

関連記事