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「平成最後の北方領土の日 日ロ交渉を考える」(時論公論)

石川 一洋  解説委員

今日、二月七日は平成最後の北方領土の日となりました。安倍総理とプーチン大統領は、平和条約締結後歯舞色丹の二島を引き渡すとした56年日ソ共同宣言を基礎に交渉を加速化で合意しました。平成の日ロ交渉を検証しつつ、今の日ロ交渉を位置づけ、その見通しと課題を考えてみます。

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今日の解説のポイントです。

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★平成の領土交渉と56年日ソ共同宣言
★今後の交渉の課題

北方領土返還要求全国大会が東京で開催され、日本国内のメディアだけでなく、ロシアそして外国のメディアの取材も多く、近年にない注目を集めました。内閣府など政府と返還要求の民間の団体が共催する大会が、平和条約交渉が動き出した中で開催されたからでした。

安倍総理
「戦後73年以上残された課題の解決は容易ではないがやり遂げなければなりません」
 
今日の全国大会でも元島民の代表が「この一年4島という声が聞こえなくなっている」と強い不満を述べる一方、同じ元島民の中にも歯舞、色丹の二島の引き渡しへの期待の声も強くあります。
 平成の領土交渉と56年共同宣言です。
平成の時代の始まった1989年、それまで領土問題は存在せずとしていたソビエトの厚い壁がようやく崩れ、日ロの間で領土交渉が始まりました。
この30年間、領土交渉で幾つかの山も訪れましたが結局交渉は実ることなく今に至っています。56年日ソ共同宣言がこの30年、領土交渉が動こうとしたときに大きな意味を持っていました。今の交渉方針は過去の交渉の経緯と深く結びついています。そのことをまず考えてみます。
 日本にとって最大の機会はソビエト連邦崩壊直後、新生ロシアの誕生とともに訪れました。1992年3月日ロ外相会談でのロシア側の提案です。

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 「1956年日ソ共同宣言に基づき歯舞・色丹の引き渡しに関する協定を結ぶ。その後、国後、択捉の二島の帰属について予断を持たずに交渉し、交渉の結果平和条約を結ぶ」
 平和条約締結後の二島の引き渡しを定めた56年日ソ共同宣言の可能性を最大限活かした思い切った提案でしたが、あくまで4島を求める日本側が直ちに拒否し、この提案が交渉の中で生かされることはありませんでした。東西ドイツの統一、冷戦の終結、ソビエト連邦の崩壊という大変革の中で今にも4島が返ってくるとの甘い期待が日本側にあったのではないか、ロシア側がこれ以上の譲歩案を提示することはその後もなく、日ロ交渉における最大の機会を日本は逃したといえるでしょう。93年の東京宣言で「4島の帰属の問題を解決して平和条約を結ぶ」という交渉の土台では合意したものの、その後エリツィン大統領が56年共同宣言に戻ることはありませんでした。

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 日本が何もしなかったわけではなく、98年橋本政権の時に、4島返還の中では最大の譲歩案を提案しました。「得撫島と択捉島の間に国境線を定め、施政権は当面ロシアとする」といういわゆる川奈提案です。日本の主権は確定するものの施政権は期限を定めずロシアに残すという思い切った譲歩案でした。ロシアの施政権を合法化する中で、4島での日本の経済活動への道を開くという戦略でした。しかし日本としての最大の譲歩案もロシアは同意しませんでした。
 4島をめぐる交渉が行き詰まる中で、2000年プーチン大統領の登場とともに再び浮上したのが56年の日ソ共同宣言でした。

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プーチン大統領が56年日ソ共同宣言の有効性を認めたことを受けて、日本側は並行協議を提案しました。歯舞、色丹の二島の引き渡しと国後、択捉の二島の帰属の問題を並行して協議しようという提案です。この交渉は56年日ソ共同宣言と93年の東京宣言を明記したイルクーツク声明につながりました。しかし交渉を主導した森総理が退陣して、小泉政権となる中で、日本国内で対ロ交渉が政争の対象となり、足並みの乱れで交渉は破綻しました。その後も水面下で様々な試みはありましたが、領土交渉が動くことはありませんでした。
 戦後70年が過ぎても領土問題は動かない。時が過ぎてロシアの支配が続く中、「56年日ソ共同宣言」が日ロ双方の共通項として残りました。

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歴史的、法的な対立の行き詰まりを打開しようとしたのが、安倍総理が提案した「新しい発想に基づくアプローチ」です。日ロで北方4島の将来像を共同経済活動の形で作ろうというアプローチです。その延長線上に安倍総理は11月のシンガポールでの首脳会談で主権の問題については56年日ソ共同宣言に基づく交渉を始めることを提案し、プーチン大統領も同意しました。共同経済活動によって4島を日ロの共存する島・つなぎ目の島とする枠組みを作りつつ、主権の問題の最終解決を目指した交渉といえます。しかしロシアが果たしてこの枠組みに乗ってくるのか、大きなリスクのあるアプローチとも言えます。歯舞色丹の二島の引き渡しに重点を移すことは、国後、択捉の主権は諦めるのかという国内の強い批判も出ています。平成の時代に行われた交渉を今一度見直し、その中身や失敗を一筋縄でいかないロシアとの交渉に活かす入念な準備が必要でしょう。

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 さて今後の交渉の課題です。両国の外相を責任者として、さらに首脳の特別代表に森外務審議官とモルグロフ次官を任命して平和条約交渉が始まりました。これまでの日ロ交渉は首脳交渉がけん引してきました。しかしこれからの交渉において首脳交渉と同等に重要となるのが、いわば全権代表に任命された首脳の特別代表による交渉です。それが交渉というよりも困難を克服する共同作業となることが必要です。

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 先月22日の首脳会談の後、▼安倍総理「相互に受け入れ可能な解決策を見出すための共同作業」と述べ、▼プーチン大統領 「相互に受け入れ可能な解決策に向けた条件を作る長く辛抱強い作業がある」と述べています。 
 確かにプーチン大統領は短い期間での交渉の妥結をもくろむ日本側に釘を刺した形です。ただ安倍総理と大統領が交渉ではなく作業という言葉を使っています。そして私は「辛抱強い作業」というプーチン大統領の言葉に注目しています。辛抱強い作業というロシア語は汗水たらす、地道な、我慢強い、作業のことを言います。両首脳の特別代表及び両国外交官のチームが困難な相違点を埋めていく共同作業の段階に入ることが大きなポイントとなるでしょう。
 交渉の大きな対立点は、歴史認識と日米安保です。ラブロフ外相が「4島へのロシアの主権を含め第二次大戦の結果を認めよ」と原則的な立場をたびたび主張しています。私はこの点については両国の外交官が知恵を絞り、まさに汗水たらした地道な共同作業をすれば必ず妥協点は見つかるとみています。
 最も難しいのは日米安保の問題となるでしょう。日本はアメリカの同盟国であり、ロシアは中国の戦略的パートナーシップである。この現実をお互いに認め、お互いに楔を打ち込もうとするのではなく、日米同盟と中ロ戦略的パートナーシップ協定があるからこそ逆に日ロ両国が平和条約を結ぶ必要があると発想を転換する必要があります。日ロ平和条約によって、中ロ 対 日米という新冷戦が北東アジアで起こることを防ぐという共通認識を持つ必要があるでしょう。

1855年2月7日、日本とロシアは初めての条約を結び、国境は択捉島と得撫島の間と定められました。その時交渉を担った江戸幕府とロシア帝国の全権代表はお互いにお互いを深く尊敬し相違点を埋めていきました。今の交渉で求められるのはその精神です。平成の時代に成し遂げられなかった「領土問題を解決して平和条約を締結する」という目標が今度こそ達成されることを望みます。

(石川 一洋 解説委員)

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