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「元徴用工判決の衝撃」(時論公論)

出石 直  解説委員

太平洋戦争中、朝鮮半島から内地に動員された元徴用工の人達が、新日鉄住金に損害賠償を求めていた裁判で、韓国の最高裁判所はきょう、ひとりにつき1億ウォン、日本円にしておよそ1000万円の損害賠償を命じる判決を言い渡しました。
きょうの判決は、日韓関係の根幹をも揺るがしかねない衝撃的なものです。
きょうの判決の意味と日韓関係に及ぼす影響についてお伝えします。

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きょうの判決の何が衝撃的なのでしょうか?

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▽まず何と言っても「解決済み」とされていた問題が一転「未解決」とされた点です。
▽韓国に進出している日本企業はもちろん日韓関係への深刻な影響が懸念されます。
▽きょうの判決、裁判で負けたのは日本の企業ですが「最大の敗者は韓国政府」ではないでしょうか。

【徴用工問題とは】
まず徴用工問題とは何か、簡単にご説明します。

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日中戦争で深刻化した労働力不足を補うため日本政府は国家総動員法と国民徴用令によって民間人を軍需工場や炭鉱などに動員し、その対象は植民地だった朝鮮半島にも及びました。労働環境は劣悪で、賃金が支払われなかったり暴行を受けたり、中には死亡した人もいました。
日韓両国は戦後の1965年に国交を正常化しますが、この時に締結されたいわゆる「請求権・経済協力協定」で徴用工を含む一連の問題は「完全かつ最終的に解決された」と明記されました。これが“解決済み”とされる所以です。
これに対して元徴用工の人達は「問題はまだ解決していない」として、まず日本の裁判所に、これが退けられると今度は韓国の裁判所に損害賠償を求める裁判を起こしました。
韓国の裁判所でも原告敗訴の判決が続きましたが、2012年の5月、韓国の最高裁判所は“まだ解決していない”という初めての判断を示して高裁の判決を破棄して差し戻し、再上告審できょう新日鉄住金に損害賠償を命じる判決が確定したのです。
50年以上も前に“解決済み”とされた問題が、きょうの判決で一転“未解決”とされたのです。

【日韓関係への影響】
冒頭、この判決は、日韓関係の根幹を揺るがしかねないと申し上げました。
その理由を次にご説明します。

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1965年の請求権協定で日本政府は韓国政府に総額5億ドルの経済協力を約束し、韓国政府はこの資金を運用して徴用で死亡した人にひとりあたり30万ウォンを支給しました。
歴史の清算に熱心に取り組んだノ・ムヒョン政権は2005年になって請求権協定の法的な効力について再検討を行いましたが、この時も国内で立法措置が取られていることなどを理由に「解決済み」と結論づけています。

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ところがきょうの判決は、「植民地支配は不法な強制的な占領だった」と決めつけたうえで、「植民地支配と直結した不法行為などは請求権協定の対象に含まれていない」と断定し、新日鉄住金に賠償を命じたのです。
この論法を使えば、植民地時代に行われたことがことごとく不法行為と見做され、元徴用工や元慰安婦に留まらず、当時の軍人や軍属、原爆被害者などからも損害賠償を求める請求が次々と起こされ、被告となった日本企業が際限ない賠償責任を負わされることにもなりかねません。双方の外交努力によって解決したはずの問題が“蒸し返された”“またゴールポストが動いた“と受け取られても仕方ないでしょう。

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経済4団体は「良好な両国の経済関係を損ないかねない」と深い憂慮の念を示し、安倍総理大臣も「国際法に照らしてありえない判断。政府としてき然と対応していく」と不快感を露わにしています。

【今後の展開は】
ここまで今回の判決の内容と日韓関係への影響についてみてきました。
次に今後予想される展開について考えてみたいと思います。

最高裁判所の判決は最終的な判断とみなされますから、今後、韓国の裁判所ではきょうの判決を踏襲した判断が示されることになります。しかしこれで最後という訳ではありません。請求権協定には、次のような条文があるからです。

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「協定の解釈及び実施に関する紛争は、まず外交上の経路を通じて解決する」
外交で解決できなかった場合には「仲裁委員会に付託しその決定に従う」
裁判自体は個人と企業の間の民事訴訟ですが、請求権協定という国と国との約束に関わることですから、まずは外交当局の協議に委ねられることになります。
裁判に敗れた新日鉄住金も「極めて遺憾」としたうえで「判決内容を精査し日本政府の対応状況なども踏まえ適切に対応する」として、当面は外交協議の行方を見守る姿勢を示しています。

さらに韓国の裁判所で出された判決が日本国内で効力をもつためには、原告が日本の裁判所に判決の執行を求める訴えを起こして承認されなければなりません。今回の韓国最高裁判所の判断は、2007年に日本の最高裁判所で示された「解決済み」とする判断とは明らかに異なっており、日本の裁判所がこれを認めない可能性もあります。つまり新日鉄住金は、日本の裁判所が認めない限り、日本国内で損害賠償に応じる必要はないのです。

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むしろきょうの判決で窮地に追い込まれたのは、韓国政府の方です。ムン・ジェイン政権は“解決済み”としていたこれまでの立場とは異なる“未解決”という判断を最高裁から突き付けられました。これに対して日本政府は一貫して“解決済み”という立場です。元徴用工の人達が日本の企業に損害賠償を求めているのは、韓国政府によるこれまでの救済措置に対する不満の表れでもあります。国内からは被害者の救済を、日本政府からは請求権協定を守るよう迫られ、韓国政府は板挟み状態にあるのです。
このように見てきますと、今回の判決でもっとも痛手を被ったのは被告企業ではなく、むしろ韓国政府だ、とも言えるのではないでしょうか。

最後に、この問題が日韓両国の新たな火種にならないために私達はどうすれば良いのか考えてみたいと思います。

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20年前、当時の小渕総理大臣とキム・デジュン大統領によって発表されたいわゆる「パートナーシップ宣言」には「両国が過去を直視し相互理解と信頼に基づいた関係を発展させていくことが重要」と書かれています。
戦争という異常な状況だったとはいえ、当時、朝鮮半島から動員された人達の多くが不幸な状況に陥ったことは否定できません。
安倍総理大臣も戦後70年にあたって発表した談話の中で「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実をかみしめる時、ただただ断腸の念を禁じえません」と述べています。

きょうの判決で、日韓関係に強い逆風が吹くことは避けられないでしょう。
しかしこれで終わりではありません。まずは日韓両政府の外交協議の行方を見守りたいと思います。韓国政府には請求権協定を守る義務がありますし、被害者を救済する責任を負っています。そして私達の側も、韓国政府の対応を見守る度量と不幸な過去を直視する謙虚さだけは失いたくないものだと思います。

(出石 直 解説委員)


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