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「邦人ジャーナリスト解放 背景と波紋」(時論公論)

二村 伸  解説委員

紛争下のシリアで3年以上にわたって武装勢力に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが、25日に帰国しました。安田さんは拘束されていたときの状況を「地獄のようだった」と述べています。シリアでは安田さんが拘束される半年前に2人の日本人が、IS・イスラミックステートによって殺害される痛ましい事件が起きました。それだけに長い人質生活から無事解放されたことは明るいニュースです。しかし、日本国内では、安田さんがとった行動に対して厳しい批判の声も上がっています。安田さんを拘束していた武装勢力は何を求め、何故今解放に至ったのか、その背景を探るとともに、今回の事件から得られた教訓と、自己責任を問う声について考えます。

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安田さんは2015年6月、トルコ南部から陸路シリアに入国。まもなく消息を絶ち、国際テロ組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線」に拘束されたと伝えられていました。以来今年7月までに安田さんがメッセージを読み上げる動画や画像が4回ネット上などで公開されています。シリア北西部を拠点とするヌスラ戦線は、他の武装勢力と統合・分離を繰り返し、現在は「シャーム解放機構」を名乗っていますが、この組織は過去に多数の外国人や地元住民を誘拐して得た身代金を資金源としてきました。安田さんの拘束も身代金目当てと見られてきましたが、日本政府は、身代金の要求にはいっさい応じない姿勢を貫いてきました。身代金の支払いは、テロ組織の資金源となるばかりでなく、新たな誘拐や拘束事件を招くからで、国連安全保障理事会は、4年前にテロ組織への身代金の支払いに応じないよう各国に求める決議を全会一致で採択しています。
 
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そうした中で今回解放が実現した背景には、カタール政府とトルコ政府の協力があったことが明らかになっています。日本政府に解放の知らせが届いたのはカタール政府からでした。また、安田さんの身柄を無事確保したのはトルコ当局でした。この両国ともヌスラ戦線、現在のシャーム解放機構をはじめシリアの反政府勢力と強いつながりを持ち、資金や武器を供与してきました。とくにカタールは、4年前にもヌスラ戦線に拘束されていたアメリカ人人質の解放を実現させています。イギリスに拠点を置くNGO「シリア人権監視団」は、今回の安田さんの解放にあたってカタール政府が身代金を支払ったと主張しています。それを裏付けるものはなく、身代金支払いを疑問視する専門家もいますが、過激派組織に影響力のあるカタール政府が解放の重要な役割を担ったことはたしかなようです。

ではなぜ、今、カタールが、日本人人質の解放に動いたのでしょうか。
その背後には、中東の複雑な政治力学があります。カタールは「ムスリム同砲団」などのイスラム主義組織や過激派を支援していると批判を浴び、サウジアラビアを中心とした湾岸諸国やエジプトなどから外交関係を断絶されています。国際的な孤立を深める中で、人質解放はカタールの存在感を世界にアピールする機会となりました。とりわけ、対立を深めるサウジアラビアが、政府に批判的なジャーナリストを殺害した疑惑で国際社会の批判を浴びている今こそ、カタール政府は好機と見なしたのではないでしょうか。人質解放を機に日本との関係強化や国際的な孤立からの脱却につなげたいという狙いがあったのではないかという指摘もあります。

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もう一つは、解放の条件が整っていたこと、つまり、シリアの紛争が新たな局面を迎えたことです。安田さんが拘束されていたシリア北西部のイドリブ県は、反政府勢力の最後の拠点であり、シリア政府軍による大攻勢の危機に直面していました。ロシアとトルコの合意により非武装地帯が設けられ、攻撃は回避されましたが、イドリブ県に追いやられるかたちとなった過激派をはじめとする反政府勢力は態勢の立て直しを迫られました。そうなると、人質を抱え続けることが負担になったと考えられます。今年7月に動画が公開された頃、過激派組織が安田さんの扱いに苦慮し、早期決着を求めているのではないかという観測が流れていました。
このように、過激派にパイプを持つカタールとトルコの思惑と、過激派をとりまくシリア情勢の変化、この2つが安田さん解放につながったという見方が有力です。

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では、今回の事件からどのような教訓が得られたでしょうか。
まず、この種の人質事件では犯行グループに通じた信頼できるルート、しかも複数のルートの確保が何よりも重要であることが改めて示されました。政府には邦人を保護する義務があり、いくら渡航の自粛を求めても拘束されてしまったら救出につとめなくてはなりません。その際に犯人グループとパイプを持つ仲介役の存在が大きなカギを握ります。
複雑化する国際社会で、現地から正確な情報を入手して、的確に分析、対処するための組織力の強化も欠かせません。菅官房長官は、会見で、「国際テロ情報収集ユニットを中心にトルコやカタールなど関係国に働きかけた」と述べています。信頼できるパートナーを通じた情報の入手、それが今回の解放のカギだったともいえます。国際テロ対策や危機管理に詳しい公共政策調査会の板橋功研究センター長は、安田さんの解放は、「各国情報機関と信頼関係の構築を進めた成果だ」と話しています。

一方、安田純平さんが3年4か月の長きにわたって人質生活を強いられ、ときには虐待を受けながらも、無事帰国できたことに、日本国内では様々な反応が見受けられます。
「無事の解放」を喜ぶ声がある一方で、ネット上などでは今回もまた「自己責任」を問う声が持ち上がっています。「責任は自分でとる」といって現地入りした安田さんですが、結果として大勢の人たちを巻き込むことになってしまったことは事実です。ましてや安田さんは2004年にイラクでも拘束され人質となった経験があり、その影響の大きさは本人が一番わかっているでしょう。

だからといって、一方的に「自己責任」だと断罪することには危うさを感じます。真実を求めて現場に足を運ぶのがジャーナリストの仕事であり、中東をはじめ世界の紛争地域では、多くのジャーナリストが拘束されています。しかし、そうした人たちの安全を心配するのではなく責任を問う声は日本以外ではあまり聞きません。同じ日本人として、無事の帰還を喜び、健康を気遣うような社会になってほしいと思います。

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もちろんそのためにはプロのジャーナリストとして、安全への意識を高めることが求められます。紛争地域や強権的な国ではジャーナリストが一時的に拘束されることは珍しくなく、私も何度か経験はありますが、過激派やテロ組織などの非国家主体が相手だと身を守ることは極めて難しいだけに慎重な行動が望まれます。リスクの高い地域では、警護をつけることや単独行動を避けることが鉄則です。また、身代金目当ての誘拐が多い海外では、過激派との交渉や身代金の支払いがカバーされた保険もあり、シリアの過激派から解放された人質の中にはこの保険が適用されたケースもあります。万一に備えてこうした保険も選択肢の1つとなるでしょう。

戦火が続く中での長期間にわたるストレスは、PTSD・心的外傷後ストレス障害などの症状を招く危険性があり、安田さんには長期的なケアが必要と思われます。その上で、事件の再発を防ぐために、また将来同じような事件が起きたときのためにも、一連の経緯を詳細に説明してほしいと思います。政府も十分な検証を行い邦人保護にいかしてほしいと思います。

(二村 伸 解説委員)

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