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「INF全廃条約脱退表明~核軍拡競争再燃か」(時論公論)

津屋 尚  解説委員 石川 一洋  解説委員

冷戦時代、核軍縮を大きく進展させたINF・中距離核ミサイル全廃条約。この条約からトランプ大統領は脱退すると表明しました。その背景には、条約に違反してミサイルの開発を進めるロシア、それに条約の枠外にあって、大量の中距離ミサイルを保有する中国の存在があります。アメリカも新たに開発に乗り出す意欲を示していて、軍拡競争が再燃する懸念が高まっています。

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■INF条約とは■
津屋:INF・中距離核ミサイル全廃条約は、冷戦時代の1987年、当時のレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が調印しました。射程が500キロから5500キロの地上配備の弾道ミサイルと巡航ミサイルを廃棄することで合意しました。この条約に基づいて、「SS20」や「パーシング2」など、米ソ双方はあわせておよそ2700基もの中距離核ミサイルを廃棄しました。

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米ロの核問題を長く取材してきた石川さん、INF条約は、核超大国同士が特定の核ミサイルの全廃に初めて合意した歴史的な条約でしたね。

石川:実際に核兵器の削減に踏み切ったのはこの条約が初めてで歴史的な合意です。当時、ソビエトの中距離核ミサイルSS20によって第一撃の打撃を受けるのではないかというヨーロッパの現実の脅威を大幅に減少しました。「核戦争に勝者はない」という認識を共有したゴルバチョフ・レーガンの両首脳だからこそできた合意です。

■「脱退表明」■
津屋:この条約の締結から31年、トランプ大統領は、「条約を終わりにする」と表明しました。アメリカは条約を順守してきたのにロシアは長年、違反して、新型のミサイルを開発、一部はすでに配備していると批判し、アメリカ自らも中距離核戦力を開発して対抗していく考えを示しました。

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石川さん、トランプ大統領の脱退表明の影響をどうみますか?

石川:このまま500~5500キロの中距離核の範囲が核軍縮の枠組みが全くなくなり、無秩序な核軍拡が進む恐れもあります。実は中距離核兵器とは、アメリカ本土にはあまり関係なく、ヨーロッパやアジアの安全保障に大きな影響を与えます。例えばロシアが冷戦時代と同様ヨーロッパを射程に収める中距離核ミサイルの配備を再開すれば、ヨーロッパが再び直接核の脅威にさらされることになります。

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津屋:ロシアは、条約違反をしてきたのはアメリカの方だと批判していますね。

石川:アメリカはすべての責任をロシアと中国としているが、アメリカ自身もアメリカファーストの立場から核戦力でも優位に立ちたいと思っているように私には思えます。ロシアはアメリカこそが2001年のABM条約破棄から始まり、計画的に順を踏んで、この条約を意図的に無意味にしようとしてきたように見ています。例えばアメリカがポーランドやルーマニアに配備した弾道ミサイル防衛の「イージスアショア」は、搭載するミサイルを変えれば地上攻撃型の中距離ミサイルになる主張しています。

■時代と情勢の変化■
津屋:少し視点を変えてみると、30年前の条約が今の世界情勢に合わなくなっているという面もあるように思いますがいかがでしょう?

石川:米ソが条約を調印した1987年当時と大きく異なるのは、INFを所有する国が大幅に増えているという現実です。

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中国は言うに及ばず、北朝鮮、インド、パキスタン、イラン、イスラエルとロシアから見ると自らの領土の周りをこれらの国の中距離ミサイルで取り囲まれています。大陸国家ロシアが抑止する手段つまり陸上に中距離ミサイルを配備できないのは不公平だという意見は軍部を中心にあります。それがアメリカから見れば条約違反と受け取れるミサイルの開発につながっているのかもしれません。

■本音は対中国■
津屋:トランプ政権が、INF条約を脱退しようとしている最大の理由は、まさにこの30年間で軍事費が実に50倍以上に増えた中国の存在です。アメリカが条約の規制によって中距離ミサイルを保有できない間に、中国は軍事力を増強し、着々と中距離弾道ミサイルや巡航ミサイルの開発を進めてきました。中国のミサイルの多くは、米軍基地のある日本やグアム、ハワイなどを射程におさめています。さらに、アメリカの強大な軍事力の象徴とも言われる空母を撃沈することを狙った対艦弾道ミサイルも開発し、すでに実戦配備したとみられています。
中国のミサイルについて、去年、議会の公聴会で、当時のハリス太平洋軍司令官は「中国の保有するミサイルの実に95%は中距離ミサイルだが、アメリカ軍にはこれに相当する装備はない」と強い危機感を示していました。

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■「足かせ」排除で軍拡競争再燃か■
津屋:自分たちが持っていない兵器を競争相手が持っているという不均衡を何としても解消したいというのがアメリカの本音です。いまのアメリカは、いわば「INF条約」という「足かせ」をはめられて身動きができない状態です。それが、条約を無きものにすれば、自ら中距離ミサイルの開発に乗り出すことができる。しかしそれは、ロシアにはめられた「条約の足かせ」をなくし、プーチン大統領に、中距離核戦力開発のフリーハンドを与えることになります。

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また、アメリカが新たな開発をすれば、中国も対抗して核やミサイルのさらなる増強に走り、大国間で核軍拡競争が再燃するおそれがあります。
石川さんは、ロシアはどのような動きに出るとみていますか?

石川:プーチン大統領はもしもアメリカが条約を離脱してこのカテゴリーの核戦力を配備するならば直ちに対抗措置を取ると明言しています。おそらくロシアが所有する巡航ミサイルを核兵器搭載可能なものとするのではないか。ただこのことは米ロ双方とも通常兵器と核兵器を搭載できる「曖昧な」ミサイルが増えるということになります。これは大きな問題です。ロシアはシリアでの軍事行動でも現地に展開した部隊だけでなく、ロシア本土などからの巡航ミサイルによる攻撃を多用しました。これは通常兵器ですが、米ロ双方が通常兵器と核兵器双方に使用可能な兵器が増やすことは、偶発的な衝突の可能性を増すものとなります。

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■条約はどうなる■
津屋:条約の規定では、離脱の6カ月前に相手国に通告することになっています。モスクワを訪問中のアメリカのボルトン大統領補佐官が、プーチン政権に対して条約からの脱退を通告するのかどうかが注目です。トランプ大統領のことですから、脱退表明も駆け引きととらえ、いったん表明したことでも、相手の出方を見て取り消すということもありえなくもないと思いますが、このあたり、ロシアに妥協の余地はありそうですか?

石川:ロシアとしても無秩序な軍拡競争は避けたいと思っているでしょう。INF全廃条約を維持するのが最善ですが、それができない場合でも、INF全廃条約に代わる条約の交渉をはじめ、その間は、米ロが兵器の展開をしないなど米ロ双方に自制した行動を望みたい。これは日本にとっても他人ごとではない。本来はINF全廃条約に中国や北朝鮮など他の国の加盟を求め、核軍縮を進めるのが理想だが、米ロが離脱してしまえば、北朝鮮の非核化への影響も心配されます。中距離核兵器による軍拡が進めば、ヨーロッパとともに日本もその脅威に晒される恐れもあります。

津屋:日本の安全保障の観点からみますと、同盟国アメリカが、中距離核を開発して中国との不均衡を埋められたとしても、軍拡競争が再燃してしまえば、それは、地域の情勢を不安定化させかねません。アメリカが直面する脅威に対応するためという理由で条約を終わらせるのであれば、その条約に替わる新たな核軍縮の枠組みをつくることが極めて重要です。何が何でも他国より優位に立とうとするだけの大国の一国主義的行動は、かえって世界を危険なものにしてしまいます。核の恐怖が支配する世界に逆戻りさせないために、いま、私たちは重要な局面にいるように思います。

(津屋 尚 解説委員 / 石川 一洋 解説委員)

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