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「松橋事件 再審は誰のために」(時論公論)

清永 聡  解説委員

30年以上前の殺人事件で、先週、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。「松橋事件」と言われ、犯人とされた男性は今後、この事件で無罪が言い渡される公算が大きいとみられます。
事件は、今の日本の再審制度が抱える問題点をいくつも含んでいます。この事件と制度の課題を考えます。

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【ポイント】

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●今回は、「新しい証拠」が裁判の後になって出てきました。
●そして再審請求が最高裁まで争われたことは適切だったのか。
●最後に、再審は誰のためにあるのか、その理念についてです。

【松橋事件とは】

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昭和60年に、当時の熊本県松橋町、今の宇城市の住宅で、59歳の男性が刃物で刺されて殺害されているのが見つかりました。将棋仲間だった宮田浩喜さんが殺人などの疑いで逮捕されます。
捜査段階で、いったん犯行を認める「自白」をした宮田さんですが、一審の途中から「うその自白をさせられた」と無罪を主張しました。
昭和61年。熊本地裁は懲役13年を言い渡しました。2年後に福岡高裁も同じ判決。さらにその2年後の平成2年に最高裁で確定しました。

【再審の決め手は】

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この事件で、犯人であることを明確に示す証拠は「自白」だけでした。捜査段階の供述の概要は「シャツの左袖から布を切り取り、小刀の根本に巻き付けて男性を刺した。刃物はよく洗い、布は焼いた」などとする内容です。実際、凶器とされた刃物から血液は検出されず、布もありませんでした。
ところが判決確定後、再審の準備をしようとした弁護団が、検察庁に5枚の布が保管されていたことを知ります。
この布は組み合わせると、1枚のシャツに復元されました。「燃やした」はずの左袖も見つかりました。さらに、左袖の布には血液がついていなかったことも分かりました。これらは「自白」と明らかに矛盾します。

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もう一度年表に戻ります。弁護団によるとこの証拠が明らかになったのは平成9年。有罪確定の7年後でした。裁判をしている間、検察はこの証拠があることを、明らかにしませんでした。
平成11年、宮田さんは仮出所します。弁護団は平成24年に再審請求。その後、裁判所の勧告を受けて、さらにおよそ90点の証拠が開示されます。
結局この布や遺体の傷に関する専門家の鑑定などが決め手となって、熊本地裁は再審開始を決定、福岡高裁も再審を認めました。
捜査機関は自分に不利な証拠を、裁判には出さず抱え込んでいたことになります。弁護団から「ずさんな捜査の上、裁判で証拠を隠していた」と批判の声が上がるのも、当然でしょう。

【証拠開示の制度は】
この事件は、▽自白に依存した有罪判決が、▽新たに開示された証拠で重要な事実が明らかになり、▽これまでの判断が覆されるという典型的なケースです。
過去にも同じような経緯をたどった再審事件がありました。しかしなぜ、繰り返されるのでしょう。

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課題の1つに、証拠の取り扱いがあります。裁判員制度の導入などをきっかけとして、裁判の前に、検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示すという制度が導入されました。
しかし、再審請求は、この対象になっていません。証拠をどこまで出すよう求めるかは、裁判官に裁量がゆだねられています。
専門家からは、再審請求についても、証拠開示を制度化するよう求める意見が上がっています。今回をきっかけに、制度の検討にむけた議論を始めるべきではないでしょうか。

【特別抗告は必要だったのか】
宮田さんは現在85歳。認知症が進行し、弁護団によると体も弱って一人では歩くこともできないといいます。

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検察は、地裁の決定を不服として抗告し、去年の福岡高裁の決定に対しても、最高裁に特別抗告していました。特別抗告が認められるのは、憲法違反や最高裁判例と異なる判断があった場合などに限定され、実際にその判断が覆ることは、まれです。それでも検察は争い続けました。
この間も宮田さんの体調は悪化します。父親のために再審請求をしていた長男も去年、病気で亡くなりました。
最高裁では判断が出るまで数年かかるケースも珍しくありません。ところが今回、最高裁はわずか11か月で検察の特別抗告を退けました。さらに最高裁は今回「職権判断」をつけることも一切なく、文字通り検察を「門前払い」しました。これは最高裁が、今回の特別抗告に対する冷ややかな意思を示したとも感じられます。検察は最高裁の決定を重く受け止めるべきでしょう。
すでに自白の核心部分が新証拠で大きく崩れたうえ、地裁と高裁で2度も再審が認められたのに、有罪だと主張し続け最高裁まで争う必要性はあったのか。本人の年齢や健康状態も考慮できたのではないでしょうか。

最高裁には今、「大崎事件」という別の再審請求事件もあります。こちらも地裁と高裁が再審開始を認めたのに対し、検察が最高裁に特別抗告をしています。請求人は91歳です。検察がすでに出されている再審開始決定の取り消しを最高裁まで求めることの妥当性は、今後も議論になるでしょう。

【再審は誰のために】
再審制度は、戦前もありました。では、日本で最初の再審無罪とはどんな事件でしょうか。はっきりとした記録を見つけることはできませんでしたが、戦後、最高検検事や広島高検検事長などを務めた岡本梅次郎氏は、東京控訴院検事時代に自ら担当した昭和9年の新潟の放火事件が、「初の再審無罪だ」とする回想を残しています。

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この事件の最大の特徴は、検察が再捜査して、昭和13年に自ら再審手続きをとったことです。岡本氏は当時の捜査がずさんだったと認めたうえで「記録を調べ、再捜査を行った結果、犯行を認める供述をした別の男が真犯人で、服役した男性は無罪だったと判断し、この男性を促し自らも再審手続きをした」などと回想しています。(『法曹』「あの人この人訪問記―岡本梅次郎」(法曹会)より)
当時の新聞記事にも「検事局が進んで再審手続きを行った」と書かれています。
しかも回想によれば、上司だった検事長や次席検事も報告を聞いて何度も激励し、再審無罪となったことを「よくやった」とねぎらったということです。
当時は司法制度が今とは大きく異なるうえ、事実が判明した経緯も全く違うため、直接比較することはできません。
ただ、回想から伝わってくるのは、事実に対する謙虚さです。自らのメンツのため、ただやみくもに争うのではなく、裁判の誤りを正し、無実の人を救うという再審制度の理念を、岡本梅次郎氏やその上司が、理解していたことがうかがえます。

法律は再審請求を、有罪が確定した人の「利益」のためにあると記しています。
最高検察庁は今回「決定を厳粛に受け止め、再審公判において適切に対処したい」とするコメントを出しました。
今後は、改めてこの事件の裁判が行われます。無罪の公算がすでに大きいことから、裁判所は1日も早く裁判を行って、宮田さんの名誉を回復すべきだと思います。

(清永 聡 解説委員)


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