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「リーマンショックから10年 次の危機の芽は」(時論公論)

櫻井 玲子  解説委員

アメリカの大手証券会社リーマンブラザーズの経営破綻が発端となり、世界的な金融危機にまで拡大した『リーマンショック』からまもなく10年がたちます。
世界経済は今、かつての危機を忘れたかのように、4%近い安定成長をみせ、日本もアメリカも戦後最長の景気拡大を記録しようかという勢いです。
その一方で、「100年に一度」といわれた金融危機の火消しに使われた対応策が、次の危機の種を蒔いてはいないか。また、次の危機が起きた場合への備えが不十分ではないのかという懸念も高まっています。この10年を振り返りつつ、一見好調にみえる世界経済に迫る、次の危機は何なのかを考えます。

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リーマンブラザーズが破たんしたのは2008年9月15日。
アメリカの住宅バブルがはじけ、サブプライムローン・いわゆる低所得者向けの住宅ローンを組みこんだ金融商品が不良債権となって経営が行き詰った結果でした。「潰れるはずがない、潰せるはずもない」と思われていた名門投資銀行が倒産した衝撃は大きく、各地で株価が暴落。世界中の資金の流れが止まり、巨大保険会社「AIG」や銀行最大手「シティグループ」などが相次いで経営難に陥りました。またアメリカ3大自動車メーカーのうち、ゼネラル・モーターズとクライスラーの2社も破綻。影響はアメリカにとどまらず、アイスランドやハンガリーさらにギリシャなどヨーロッパ各国の債務危機へと広がりました。そして日本も、大きな打撃を受けました。世界貿易の急激な縮小により、2009年の1月から3月期までのGDPの伸び率は、年率換算でマイナス18パーセントと戦後最悪の数字となったのです。

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私は当時、ワシントンで取材にあたっていましたが、アメリカのポールソン・ガイトナー両財務長官や中央銀行にあたるFRBのバーナンキ議長らは、バブル崩壊後長い間苦しんだ日本の例を、研究しつくした上で、対応をとっていると感じました。アメリカが各国と連携してとったその対応策、主に、3つあります。

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1つ目は異例の金融緩和です。アメリカは、史上初めてとなる事実上のゼロ金利政策に踏み切り、輸血をするかのように市場にカネを流し込んでいきました。日銀やECB・ヨーロッパ中央銀行も後をおうように金利を引き下げ、世界のカネの流れの滞りを修復していきました。
2つ目が大規模な財政出動です。リーマンの経営破たんから半年後にロンドンで開かれたG20の首脳会合では、先進国と新興国が総額5兆ドルもの緊急経済対策を行なうことで合意。特に中国は日本円にして50兆円を超える経済対策の実施に踏み切り、世界を驚かせました。
そして3つ目が銀行に対する規制の大幅な強化です。金融危機が2度と起こらないようにするため、危機の要因となった低所得者への過剰な貸付や、預金者のおカネでリスクの高い投資を銀行が行うことを禁じ、監視の目を強めました。
こうした対応を行うことで、1990年代に起きたバブルの崩壊後、長期低迷に陥り「失われた20年」を経験した日本にくらべると、はるかに短期間で、事態の収束をはかることに成功したのです。

しかし、その一方で、このときに決まった対応策が10年の時を経て今、副作用や後遺症となり、世界経済にとって3つの課題を生んでいると考えています。
すなわち、
①    危機対応策の長期化による新たなバブルの可能性。
②    存在感を強める機関投資家
③    危機対応のための限られた選択肢、です。

まずは新たなバブルへの懸念についてです。異例の金融緩和、当初はカンフル剤として短期的に実施するはずでしたが、リーマンショックの余波で起きたヨーロッパの債務危機などに対応するため長期化。日本とヨーロッパは現在もマイナス金利政策を続けています。足元の世界経済や日本経済が好調だといいながら、実は今も裏で点滴を続けているのです。そして金融緩和によってありあまった資金は、新興国それにアメリカの株式市場などに流れこみ、バブルに近い現象を生み出しています。
また、中国でも、リーマンショック後の大規模な景気対策として実施した大掛かりなインフラ投資などによって、民間債務・すなわち企業の借金の額が日本のバブル期を越える額にまで積みあがっています。バブルがはじけてこうした債務が不良債権となれば、世界経済への打撃ははかりしれません。

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2つ目は、存在感を年々強めている機関投資家についてです。金融危機の再発を防ぐために規制を強めた結果、銀行は以前ほどには利益を生まないビジネスとなってしまいました。このため、リスクマネーの行き場がなくなって行き着いた先が、銀行規制の対象とならないヘッジファンドなど、銀行以外の機関投資家です。最近特に、一部の専門家の注目を集めているのが膨張を続ける巨大資産運用会社の存在です。推計によると、大手2社の運用資産残高はリーマンショックの前にくらべて4倍以上に膨らみ、あわせて10兆ドル以上=日本円にして1000兆円をこえています。日本のGDPの2倍にあたる額を、数少ない会社で運用していることや、こうした会社には銀行への規制が適用されず各国の金融当局が十分にその中身を知るには難しいことに、懸念の声もあがっています。バブルが崩壊した場合、こうした機関投資家が抱えている金融商品や資産を一斉に売り出すことで株価や資産価格の下落に拍車がかかり、危機を一段と拡大することにはならないか。それだけにこうした会社に対しても一定の金融監督を行ない、カネの流れを、より見える形にしたほうがよいという声もあがっています。

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そして何より心配されるのは、再び金融危機が起きた場合、各国がとれる対応策が極めて限られている、ということです。すでにマイナス金利を続けている日本やヨーロッパにとって、金利をこれ以上引き下げて景気を回復させるのは非常に難しい。また、財政出動をするにも、日本をはじめ、各国の債務はリーマンショックのときの経済対策の影響もあって膨張しており、余裕がないのが実情です。
その上、10年前にくらべて先進国と新興国が手をとりあって対応するといった国際協調が難しくなっていることも大きな懸念材料です。G20という枠組みは当時、大きな役割を果たしましたが、アメリカ・トランプ政権の誕生とともにこういった多国間による枠組みが機能不全になっています。

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このところ、アルゼンチンやトルコ、インドネシアなど新興国通貨の下落が続き、好調だった世界経済が変調をきたすのではないかという懸念が出ています。またアメリカ・トランプ政権を中心とした貿易摩擦による影響も、心配されています。
しかしいったん金融危機に陥っても、それに対応する手立てがないといった事態に陥らないよう、日本をはじめ各国は、今一度、金融・財政の両面で政策を点検し、正常化への道を探っていく必要があるのではないか。また、来年G20の議長国もつとめる日本としては、どうやったら国際協調の枠組みが機能するよう、建てなおしをはかれるのかが、あらためて、問われています。

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ことし夏、日銀の10年前の金融政策決定会合の議事録が公表されました。
2008年6月、リーマン危機が起きる3ヶ月前の会合で、当時の白川方明(しらかわ・まさあき)総裁が次のように発言していたことが明らかになりました。
「最悪期は、去ったのであろうと思われる」
金融危機を事前に予想することの難しさを示していると思います。
それだけに、日本そして各国は、次の危機がいつ来るのかを予測するより、リーマンショックの大きな後遺症を乗り越えて、次の危機への備えを早急に整えることが、求められています。

(櫻井 玲子 解説委員)


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