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「小笠原返還50年 自然との共生の課題」(時論公論)

土屋 敏之  解説委員

本州からはるか1千キロ、大小30あまりの島からなる東京都小笠原諸島。2011年に世界自然遺産に登録されるなど、類い希な自然に恵まれ「東洋のガラパゴス」とも呼ばれています。この小笠原は戦後アメリカの統治下にあり、日本に返還されたのは1968年の6月26日。ちょうど50年の節目を迎えました。
小笠原のどこまでも鮮やかな海の青は、小笠原の別名「ボニンアイランド」にちなんで、ボニンブルーと呼ばれています。ホエールウォッチングやダイビングなど海のレジャーが好きな人なら一度は行ってみたい憧れの島ではないでしょうか。
一方でアクセスの手段は6日に1便、片道24時間かかる船しかなく、実際に訪れる人は年間3万人以下です。そうした中、航空路を開設しようという動きもあります。返還から半世紀を迎えた小笠原の現状と課題を考えます。

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小笠原の島々は4千万年以上も昔、海底の火山活動で誕生しました。現在に至るまで大陸とつながったことがないため、風や波に乗って辿り着いた生き物だけが進化を遂げ、世界でここだけにしかない生態系が育まれました。
長く無人島だった小笠原は「無人島(ぶにんじま)」、変じてボニンアイランドとも呼ばれてきました。最初に定住したのは1830年、ハワイから来た人たちです。その後、明治政府が日本の領土として入植を進めましたが、太平洋戦争に伴い島民は本土へ疎開を強いられます。戦後はアメリカの統治下に入り、この間島民の多くは帰島できませんでした。ようやく1968年に日本に返還され小笠原は新たな歴史を刻み始めます。
そして大きな節目となったのが2011年、世界自然遺産に登録されたことです。それまでも海のレジャーを楽しむ若者に人気だった小笠原ですが、世界遺産に選ばれたのは固有の昆虫やカタツムリなどむしろ陸上の生態系が高く評価されたためでした。海だけでなく島全体の自然が素晴らしい価値を持つと再認識され、より幅広い年代の観光客が訪れるようになったと言います。
小笠原村の人口もゆるやかに増え続けています。自然豊かな小笠原にひかれて若い人が移り住むケースも多く働き盛り世代や子供が多い村なのです。
こうして見ると、やはり自然こそ小笠原の地域社会を活力あるものにする財産だと言われるのも頷けます。それを保全する仕組みも住民が参加して作ってきました。

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例えばまず、小笠原の離島に向かう人は船に乗る前に靴底をきれいにすることになっています。生態系を乱す外来生物が靴についた土に混じって持ち込まれるのを防ぐためです。特に近年、ニューギニアヤリガタリクウズムシと呼ばれる外来生物が小笠原固有のカタツムリ類を食い荒らし深刻な被害を与えています。現在は小笠原村の中心である父島だけに留まっているので、これを他の島に拡げないよう靴底の洗浄を徹底しています。
特に自然豊かなエリアは、観光客の立ち入り自体、規制しています。島全体が世界遺産地域になっている南島。ウミガメや海鳥の繁殖地で固有のカタツムリの半化石が多数残されていることでも知られます。この南島には東京都の認定ガイドが同行するエコツアーでしか入ることができません。しかも上陸できるのは1日100人と制限されています。観光客に人気の島ですが、観光事業者も協力して世界遺産登録前からルール作りを進めてきました。
さらに住民自らの取り組みもあります。近年、アカガシラカラスバトという固有の野鳥が絶滅の危機に瀕し、大きな原因が野鳥類を襲う猫だとわかってきました。そこで、地元のNPOが中心となって野生化した猫の捕獲を始めると共に、村では猫を捨てない、そして放し飼いにしないための条例を作りました。今や猫を捨てる人は皆無になりアカガシラカラスバトは集落の近くでも見られるほど増えてきたと言います。
 小笠原の財産である自然を、官民一体で守ってきたのです。
 
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そこに今浮上しているのが空港を巡る議論です。その背景には単に「開発か環境か」では割り切れない特殊な事情もあります。
 小笠原村の住民は若い世代が多く高齢化率は全国平均の半分です。しかし、実はこれは高齢者が安心して最期を迎えられず、島を出て行くことが多い島だからという面もあるとされます。村の診療所には医師が4人。麻酔科医がおらず手術は行われません。さらに人工透析や抗がん剤治療もできないなど健康に不安を抱える人は暮らし続けることが難しいのです。
また産科医もおらず、お産ができない島とも言われます。村の女性は妊娠32週までに本土に渡り産前産後の3か月間島を離れるのが一般的です。
そして診療所で対処できない急患は硫黄島に駐屯する自衛隊に依頼し救急搬送してもらうことになります。毎年20~30件、1000kmに及ぶ救急搬送が行われています。

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こうした中、東京都は去年7月、小笠原の航空路開設について検討する協議会を開きました。仮に空港を作るとすれば都が設置主体になり国が補助する形が考えられるためです。2008年に行われた村民アンケートでは条件付きを含め7割の人が航空路が必要だと回答し、森下一男村長は航空路開設を公約としてきました。
空港計画は過去何度も浮上しては環境問題などから頓挫してきましたが、現在の検討の軸になっているのは世界遺産の地域に含まれていない父島の洲崎地区に1200mの滑走路を建設し、50人程度が乗れるプロペラ機を1日2往復飛ばす案です。数字上は、現在船で訪れている全ての人を空路だけで運べる輸送力になります。
しかし、環境への影響は避けられません。洲崎地区の陸地の幅は場所によりますが800mほどしかなく現行の案の滑走路建設にはサンゴ礁の海を埋め立てることになります。少なくとも数百億円規模の税金を投入しこうした空港を作る必要があるのか、村内にも反対意見もあります。
森下村長は「自然の改変は極力少なくしたい」と強調し、「観光振興のためでなく安心して暮らせるためのライフラインとして航空路が必要だ」と訴えています。30日土曜日には小笠原で返還50周年の記念式典が開かれ、小池都知事が出席します。小笠原村は、航空路開設について一定の方向性を示して欲しいと求めており、知事がどこまで言及するかが注目されます。
    
小笠原の自然は地域を支える基盤であると共に、今や世界遺産として人類の財産でもあります。それを損なわずに航空路を実現することは容易ではないと思います。一方、航空路の開設が困難であるなら島の医療体制を充実させるなど安心して暮らせるためのさらなる施策も必要でしょう。
いずれにしても返還から半世紀の節目を迎えた小笠原諸島が、さらに半世紀後も世界に誇れる小笠原であってほしいと思います。   

(土屋 敏之 解説委員)

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